第450話 音叉のヤマハ・完成間近

 レイの誕生から六日間が過ぎた。この一週間は朝からリツコさんとレイの様子を見に産院へ行き、ミントの作業進捗状況を報告したり、着替えやおやつを渡してから家に戻り、昼前から店を開ける。店を開けてからは中古車を商品化したり飛び込みの修理をしたり、ミントの作業を覗きに来た仲間を捕まえて作業を手伝わせたりの慌ただしい日々だった。


「そんな訳で『レイ』と名付けました」

「おめでとうございます。これは僕と薫からです」


 浅井さん経由でリツコさんが入院した事を知った竹原君が出産祝いを持って来てくれた。


「おお、こりゃ助かるわ。おおきに」

「で、退院はいつですか?」


 俺の仲間からはミントの部品ばかりを持って来たのだが、竹原君が持って来てくれたのはベビー服と山盛りの紙オムツ。哺乳瓶や粉ミルクもある。


「明日の朝に退院。それまでにこいつを完成させんと叱られる」

「このスクーターをですか? このスクーターに何が有るんですか?」


 匠の技が集結されたヤマハミントは何も知らない人が見ればキレイだけど古臭いスクーターに見えるだろう。だが中身は聞いて驚くな。ワンオフのカーボンカウルに同じくワンオフのステンレス製マフラー、そしてコネクタ端子に金メッキを施した強化ハーネス、残りは略すが匠の技のオンパレードなのだ。


「さぁな、強いて言うなら『思い出』かなぁ」

「先輩は何を考えてるか解らんですよね」


 リツコさんは予想がつかない行動や言動で俺を惑わせる。一緒に暮らし始めて八割方は解る様になった。でも残り二割は今でも解らない。ちなみにこのミントはお祖母さんとの思い出がある車種だそうな。長々作業して来たミントだが、あとはミラー・シート・キャリアを取り付ければ完成だ。


「まぁそれが楽しいんやけどね、こいつは今夜中に完成させるで」

「そうですか、ところで……」


 竹原君が見た方向には三輪バイクのホンダジャイロXがある。


「あの三輪車はヘルメット無しで乗れるんですかねぇ」

 

 ジャイロXの後輪にワイドタイヤやスペーサーを取り付けて幅を広げ、ミニカー登録をするのが数年前に流行った。でも我が大島サイクルでは『ヘルメット無しで乗りたいから』なんて理由ではミニカー登録の依頼は受けていない。


「あれは原付登録やからヘルメットは要るで、幅を広げてミニカー登録したらヘルメットは無しでも法律上は問題無い。でも危ないからヘルメット無しで乗るのはお勧めできんなぁ」


 ミニカー登録したからといって安全になる訳ではない。バイクと同様に運転者の身体は剥き出しだ。しかも出しても良いスピードが上がった上にヘルメット無しで事故を起こしたら大変な事になる。当店では原付一種の時速三十キロ規制から解放されたいと言った客にだけミニカー登録することにしている……というか、した。『ヘルメット無しで乗りたい』と言ったらアウト。


「僕は三輪バイクはヘルメット無しで乗れるもんやと思ってました」

「それはよく言われるけどな、基本的にバイクやからミニカー登録しても被る方が良いで。いくら竹原さんが頑丈でも事故をしたら怪我するさかいな」


 原付一種登録であろうが初期型をボアアップして二種登録しようが、ワイドタイヤの装着でミニカー登録しようがジャイロXはジャイロXだ。操縦者の身体が剥き出しな事には変わりない。


「買い物に使いたいんですよね……ハイエースでは億劫なんですよ」


 高嶋市内は自転車で買い物に行くには広すぎる。かと言ってハイエースで全てをこなすのは無理があるだろう。一人乗りでウロウロするのは空気を運んでいる様な物だと思う。


「ん~なるほど。じゃあ予算とか細かな条件を聞こうか、リツコさんの後輩やから勉強するで」


◆        ◆        ◆


「さてと、一台売れたことやしミントを完成させるとしよう」


 ジャイロXに『売約済み』の張り紙をしてミントの整備を再開する。整備といってもチョイチョイで済む所ばかり。可倒式のミラーを取り付けたりヘルメットが入るトップケースを取り付けたりしたけれど、一時間しないうちに完成した。


(う~む、見た目はノーマルと変わらんのやけどなぁ)


 見た目が変わらないので奥様の買い物バイクに見えるミント。中身は匠の技でアップデートしてあるが走行性能は変わらない。外見を変えずにエンジンやサスペンションをチューニングして走行性能や快適性を向上する『スリーパースタイル』というカスタムが有るらしい。だが、このミントは調子は良くなっているがスピードが出るようになったわけではない。


 匠の技で精度と耐久性を上げたミント、ただし走行性能はノーマルなのが笑える。


(明日からは三人で生活するんやなぁ、賑やかになるで)


 明日はリツコさんとレイが退院する。ついこの前まで俺一人で住んでいた我が家。リツコさんが同居して妻となり、レイが産まれた我が家はこれから更に賑やかな生活になるだろう。楽しみで仕方がない。


 完成したミントにカバーをかけて工場の電源を落とした。明日は金一郎がお迎えのドライバーをしてくれる。寝坊しないようにさっさと風呂に入って早めに寝よう。

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