第410話 Bコースの流行

 バイク通学の高校生は大島サイクルを始めとする高嶋市内のバイク店の大切なお得意様だ。安曇河町から約十㎞離れた今都町にある高嶋高校は全国でも珍しいバイク通学可能な高校。バイク通学が認められるのには理由がある。電車の本数が少ないのだ。しかも高校は駅から少し離れた所に建っている。バイクで通えば学校から歩いて駅まで行くのと同じ時間で帰れるとあって、大概の生徒は十六歳になると小型自動二輪免許を取り、バイク通学を始める。


「ヴぉるんヴぇろんヴぉるんヴぇろん!」

「ヴぉっふんヴぉっふん! ヴぉんヴぉりん!」


 そんな高嶋高校だが、バイク通学するためにはいくつか許可が必要だったりする。学業の成績が振るわない者・普段の素行が悪い者には小型自動二輪運転免許を取る許可が下りない。学校から二キロ圏内から通う者・自宅及び下宿先など居住地の近くに学校を経由するバス路線がある者は免許が取れてもバイク通学許可が下りない。


「四町一村~踏み台に~♪ 輝く~我らの~今都町~♪」

「下民ど~もを蹴散らし~て♪ 我ら神の子~今都の子~♪」


 一時期は『家業手伝いの為』と申請をして小型自動二輪免許を取る抜け道があった。だが最近はバイクでリヤカーをけん引して物を運ぶ農家は少ない。申請理由が『家業手伝いの為』の場合は小型自動二輪ではなくて小型特殊免許の取得が許可(ただし、家業がバイク店場合はこれまで通り)されるようになった。希望をすれば大型特殊免許も取れる。稲作農家の多い今都町ではどちらも小型自動二輪免許よりも役に立つ免許だ。


「近畿の防衛~担い受け~♪ 進め火の玉♪ 神子の町♪」

「あゝ今都~今都~今都~♪ 今都~中~学校~♪」


 いろいろ定められた規則だが、実際に影響を受けるのは大多数が都落ちと呼ばれるBコースの生徒だったりする。近所から通うならバイクは要らない。近くにバス路線があるならバスで通えば良い。家業の農業を手伝いたいならバイクよりも小型特殊免許を取ってトラクターに乗る方が良い。『今都の生徒はバイク通学させない』と決めれば差別や不公平と大騒ぎになるが、『バイクで通う理由が無い・バイクに乗る理由が無い』と理詰めで決めた規則なら従わざるを得ない。


 そこでバイクに乗れない生徒、主に成績不振・素行不良の生徒が集まるBコースの生徒の中で流行りだしたのが改造や飾りつけをした自転車だった。奇声を上げて走り回る生徒を菊の葉でも噛み潰したような表情で眺める二人の教師が居た。


「大声を出して……何が楽しいんかのう……」


 バイクに乗りたいが免許取得の許可は下りず、無免許運転をしてタダでは済まない。そんな生徒たちの間で自転車を格好良く改造して乗る事が流行り始めた。もちろん世間一般の基準では滑稽以外何でもないのだが、やっている当人たちは真剣そのもの。


「乗りにくい自転車ほど格好が良いみたいですよ」


 乗るのは近距離に限定されているので乗りやすさよりも格好重視。ハンドルを前に倒したり荷台に座って運転するのが流行らしい。サドルは高く上げているが、座っていないのだから全く意味が無い。こんなアホな連中に注意しないのかと思われるかもしれないが、校則には何も触れる所は無い。悲しいかな高嶋高校の自転車通学規定はどこぞのバイク屋の親父大島バス運転手絵里パパ扇骨職人瑞樹パパが高校生だった頃に出来た『競走を取り締まるための規定』でしかなかった。


 腕を組んで眺めているのはリツコに代わってバイク通学担当になった竹原。それに答えているのは竹原と正反対の優しい顔立ちの女性教諭。

 

「漕ぎにくそうじゃのぅ」


 通学用自転車の規定は厳しいような緩いような高嶋高校。ギヤは三段まで、ドロップハンドルや原動機・発動機などの汎用エンジンを積むのは禁止。要するにシティサイクルやママチャリと言ったごく普通の街乗り自転車なら問題は無い。ごく稀に自作フレームや競技用自転車のハンドルを交換して乗って来る者が居ないではないが、アップダウンがある高嶋市内ではピストレーサーやシングルスピードの通学は厳しいものがある。坂道に対応するには脚力の強化かギヤ比の調整をしなければいけない。定められてから二十年以上経っても高嶋高校の自転車通学規定は自転車のスピードを抑制し続けている。


「機能美に欠けますね、何が楽しくてあんな自転車に乗ってるのかしら?」


 竹原の補佐としてバイク通学担当になった女性教諭の山羽やまはも呆れ顔。学校に苦情が何件か来たが、今都から通っている生徒だと答えたらピタリとやんだ。


「竹原先生、自転車通学の規則も更新する時期なんですかねぇ」

「そうじゃの……考えた方が良いかもしれんのぅ」


 サドルではなくて荷台に座って奇声を上げて走り回る自転車に悩む竹原と山羽。二人を横目に、リツコは私物を段ボール箱に入れていた。


「来月から産休と育休で休むけど、何か在ったらいつでも相談してね。病院に行く以外はお家に居るからね」


 瀬戸際になってバタバタするよりマシと細かな物から箱詰めするリツコのお腹は下を向いて作業するには辛い大きさになっていた。夫に頼んで一気に持って帰っても良いのだが、部外者に見せたくないものも多い。月末になればお腹は今より大きくなり動き辛くなるだろう。周りに迷惑をかけないよう上手く産休に入ろうとボチボチと準備を進めている。


「静かになるのはエエですけど、寂しくなりますねぇ」

「竹原先生とのスパーリングも来年度まで見れなくなりますねぇ」


 出産のあとは育休に突入する。そして来年度のスタートと同時に職場復帰の予定。それまでは子育てに集中する予定だ。


「や~ね~、まだ二週間あるでしょ? しんみりしないでよ……」


 十月から産休に入るリツコ。二十代前半から勤めている高嶋高校とのしばしの別れが近付いていた。


◆        ◆        ◆

 

 放課後になって二年生の澄香ちゃん・麗ちゃん・瑞樹ちゃんに四葉ちゃんがやって来た。とくに修理や用事があるわけではなくて暇だから来ただけの様だ。各々菓子や食べ物をテーブルの上に広げておしゃべりをしている。


「はぁ……」

「どうしたんや澄香ちゃん、お悩みか?」

「おっちゃん、澄香ちゃんはロスや」


 さっきから澄香ちゃんがため息ばかりついている。ため息をつくと幸せが逃げそうだ。悩みがあるなら聞こうかと思ったら、三人が言うには『ロス』なんだそうな。


「演劇部の轟先輩が引退したから『美紀様ロス』なんやって」

「他にもいっぱい居るで、私は違うけど」

「一・二年生は美紀様ロスが広まってて元気無いです」


 夏の引退公演で文化部の三年生が部活を引退した。うちのお客さんでもある轟美紀ちゃんは演劇部の男役のエースらしい。どの位の人気かと言えば、男子生徒を差し置いて一年生の頃から王子様役をして演劇部の発表会やコンテストで主演男優賞をもらうレベルだとか。


「ううっ……美紀様が引退しちゃったぁ……私はどうすればいいの?」


 ここまで来ると重症である。そんな所に間が悪いというか運命の悪戯と言うか、聞きなれたエンジン音が近付いてきた。


「おっちゃん、オイル換えて」

「いらっしゃい」


 艶めく角ばったボデーにキラリと光る角型ヘッドライトのカブカスタム七〇。三年生の轟美紀ちゃんだ。


「わぁ……轟先輩やぁ……こんにちは」

「こんにちは、お菓子を広げて御茶会かな?」


 ニコリと微笑んで挨拶を返す美紀ちゃん。口元から白い歯が見えた。何故か小さな音で『キラ~ン☆』と聞こえた気がする。葛城さんほどではないが、美紀ちゃんも特殊なスキルが有るらしい。


「美紀ちゃん、後輩はアンタが引退してショックらしいぞ」

「あら、そう? でも本物には勝てないなぁ」


「先輩は本物ですっ!」

「ありがとう。でもね、世の中には男ばかりの職場でで仕事をして、下手をすると男よりも男らしい女の人が居るのよ」


 本物とは何だろうと思っていたが、要するに葛城さんの事だ。四人に美紀ちゃんが王子様をする時のポイントを説明した。その間に俺はオイル交換をする。


「基本的に私は背が高いから良いとして、胸は晒で潰して腰はタオルでボリュームアップ。肩パットを入れると体形は男っぽくなるね」


 美紀ちゃんは顔つきが凛々しいのと身長が高いのが相まって、普段から女子にモテる。


「そこで仕草を男の人っぽくする。例えばおっちゃんが座ってるみたいに少し脚を広げてグッと肩を張って太ももに手を置くと……ね?」


「キスシーンは本当にしてるんですか?」

「キスシーンはね、こうやって顎をクイッとさせた後で少しずらして……」


 オイル交換をしているので見れないが、何やら『おお~』とか『キャ~』とか黄色い声が聞こえる。


「でもね、『高嶋署の白き鷹葛城晶』みたいに笑顔一つで女の子を失神させたり、投げキッス一つでお婆さんの曲がった腰を真っ直ぐには出来ないの。私の演技は本物の王子様じゃないの」


 そこまで行くと本物じゃなくて化け物だと思う。ちなみに葛城さんは演技無しの天然ジゴロの無自覚イケメン女子ではあるが、投げキッスではお婆さんの曲がった腰は一瞬しか伸ばせない。笑顔だって半径三メートル圏外なら失神なんかしない。気を失うのは至近距離で直視した時だけだ。


「ホントに、あの人は反則レベルやわ……なんで女性に生まれたんやろう?」

「ホントになぁ……」

「何か間違えてるわ……」

「見るだけやったら本当に最高やのに……」


 美紀ちゃんを含む五人がうなだれているが葛城さんは正真正銘の女性。多分やけど、神様が間違えたか悪戯したかやろうなぁ……。


◆        ◆        ◆


 一日の仕事を終えて夕食を食べ、お風呂掃除や洗濯を終えて居間に戻るとリツコさんが転がってジタバタしていた。お腹が邪魔で起きられない様だ。


「何してるん? 体操?」

「違う、爪を切ろうとしたんだけどバランスが……起こしてぇ♡」


 足の爪を切ろうとしていたが、大きくなったお腹のおかげでバランスを崩して転がってしまったようだ。最近は何かにもたれて座っている事も多いし、ソファーか座椅子を用意した方が良いかもしれない。


「足の爪くらいナンボでも切るのに、足出して」

「旦那様に足の爪を切らせるなんて悪いよ、家事もほとんどしてもらってるのに」


 足の爪くらい何てことない。今までもっと恥ずかしい事をやっている。お尻の穴まで見ているのに、何を今さらって感じがする。


「こんな時くらい遠慮せんと、な?」

「うん、ありがと。深爪にならないようにしてね」


 お腹が大きくなって普段の生活で困る事が出てきた。リツコさんはそろそろ産休に入る。自営業の俺は店を休むことが出来ない。子育てで至らぬところが出て来るだろうから今のうちに出来ることはしておこう。お互いに両親に頼れないのが辛い所だ。プチプチとリツコさんの爪を切りながら気を引き締めるのだった。

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