2019年7月後半 テスト後

第389話 令司・自転車を壊される

 会合以来、車輪の会の各店では『甘い匂いの客』が訪れると車やバイクのナンバーを控え、整備や販売はやんわりとお断りする日々が続いていた。


 そんなある日、ミズホオートの前に一台の車が停まっていた。


「おとなしくしやがれっ! 撃ち殺されてぇのかっ! 俺の勤務中に面倒を起こしやがって! ぶっ殺してやろうかっ!」

「ぎょんヴぁるげっふぁい!」※憤りを表す古い今都言葉

「暴れるなっ! 俺の仕事を増やしやがって糞がっ! マジでぶっ殺すぞっ!」


 怒り狂う老人は両方のこめかみに拳銃を突きつけられながら車の後部座席に押し込まれた。物騒だが問題無い。拳銃を持っているのはギャングや強盗の類ではない。二人ともれっきとした滋賀県警高嶋署の優秀な優秀な警察官だ。


「やれやれ、来てすぐに通報して良かったな……」

「どちらかと言えば警官の方がヤバいくらいですね……」


「頭のおかしい輩を相手するんや、大変な仕事やで」


 店を訪れた老人の放った鼻が曲がりそうな臭気、そして虚ろな目とおかしな言動。様子がおかしいと事務員がすぐに警察へ通報したのが幸いした。


「あ~あ、店がメチャクチャや」

「今日は臨時休業や、片付けて被害を調べんとな」


 ミズホオートはどちらかと言えば面倒見が良いバイク店である。バイクの修理だけではなく、ご近所の自転車やちょっとした機械なら何とか修理するところだが、老人が持って来たのは扇風機。会長が「これは電気屋さんじゃないと直せない」と断った途端に老人は大暴れをした。


「あの爺さんが乗って来た軽トラは車検切れやったみたいですね」

「鑑識が調べてたな、暇な所へ仕事が来て張り切ってるんやろう」


 老人が乗って来た軽トラックも積載車に乗せられて高嶋署へ運ばれていった。


「参ったな、よりによってワンオフのこいつが壊されたか」

「店は片付けるとして、お預かりの自転車が……」


 扇風機の修理を断られて怒り狂った今都町住民。被害を受けたミズホオートで最も破壊されたのは整備中だった令司の愛車だった。


「こんなもんを振り回すか?」


 暴れ回った狂人が警察に取り押さえられるまでの十数分間、店内や工場内で大暴れした狂人は梅雨の間にメンテナンスをと預けていた令司の愛車を警官相手に振り回し、殴り掛かった末に公務執行妨害やら何やらかんやらの現行犯で連行された。


 ―――――そんな騒ぎのあった日の夕方―――――


「高石君、申し訳ない。必死で取り押さえようとしたんやけどな……」

「人と思えん怪力で暴れて、私達では何とも出来ませんでした」


 フレームが再起不能になった令司の愛車を前にミズホオートの社長と会長は頭を下げた。


「申し訳ない」

「申し訳ありません。新しいフレームを手配させてもらいますが、何分ワンオフフレームですので時間が……」


 フレーム修正が出来ない訳ではないのだが、修理しても完全に元通りになるかを考えると作り直した方が早いらしい。修理費用と迷惑料を暴れた者から取り立てる様に車輪の会経由で手配はしたとは言うものの、高嶋高校の通学規則通りに自転車を造っていても今より速く走れないだろう。


「ミズホのおっちゃん、兄ちゃん気にせんといて。怪我が無うて良かったやん」


 それに、高校までのタイムトライアルに特化した自転車は卒業後は役に立ちそうもない。令司は両親に二輪免許を取ってから四輪免許を取るともう一度学科を受けると言われていたのだが、どうやら両親の時代と違うのか勘違いだかでそうではないらしい。


「自転車は潮時やったんや、取り立てる金はオートバイに回してください」

「そうか、じゃあ銭は取り立て屋に任せておくとするか」


 金銭的な事はともかく電車通学するにしても駅まで行く脚が無いのが痛かった。


「でも、代わりの自転車が無い……」

「ママチャリで良かったら使ってくれ、令司君に似合うバイクを捜しとくわ」


 さて、問題は免許だ。


「やれやれ、まぁ良い切っ掛けになったか」


 思わぬところで自転車通学を卒業する事になった令司は翌日に免許取得を申請、事情を話すと担当の教師は即日に申請を通してくれた。


「竹原の奴、絶対顔で損してるよな~」


 その週末から令司は真旭自動車教習所へ通い始めた。


◆        ◆        ◆


「……本題に入ってくれる?」


 テストが終わり、夏休みまでのこの期間は大きな行事は無く、成績がそこそこな今日子は返って来るテストの結果を心配する事が無い。


「……と言う事でね、自転車通学は卒業になりました」

「だから、何で私に報告すんのよ?」


 万が一成績が振るわなくとも口煩く言う者も居ない。今日は祖母が老人会の旅行で居らず、家事を手伝う必要も無くのんびりと図書館で読書。そんな憩いのひと時を邪魔されてムカついていた。


「いや、いつも一緒に居る奴は彼女とバイクで帰っちゃいまして」

「知らん」


 ムカつくと言えば友人たちもだ。「ごゆるりと……」と言って自分とこのチャラ男を置いて帰ってしまった。


「『若い御二人でごゆるりと』って何やねん。見合いか」

「でね、教習所に通ってるんですけど、どういうバイクに乗れば良いですかね?」


 気にせずニコニコと話しかける令司だが、どういうバイクもこういうバイクも今日子が知ったことではない。


「私は大島サイクルで買った。アンタの自転車は何処で買った?」

「も~、冷たいなぁ……ミズホオートですよ」


(ふむ……)


 ここで大島サイクルを勧めてしまえば、このチャラ男は今後も自分に付きまとう事になるだろう。そんな事はどうでも良い小さな事だ。だが、そもそもコロコロと店を変えるというのはどうだろう? フレームを作るほど親密な付き合いをしていたにも関わらず、他所へ行かれたとあっては気分は良くないだろうし、来られた店だって気まずいだろう。小さな町ゆえに諍いにも通ずる。


「じゃあミズホオートで買えばよい。アンタの事を良く知ってる」

「まぁ、そうっすけどね……」


 そもそも今日子はバイクに詳しくない。今乗っているトゥディだって予算を言って見繕ってもらったものだ。オイルだって『三千キロ乗ったらおいで』と言われて交換しているくらいだ。そもそもアドバイスできることが無いのだ。こんな事ならマニアックなバイクに乗る同期を無理やりにでも引き止めれば良かった。


「先輩たちはマニアックなバイクが多いから詳しいと思ったんすけど」

「少なくとも私は詳しくない。バイク屋のおじさんに任せた」


 令司は今日子がこだわりを持ってパッチワークみたいなスクーターに乗っていると誤解していた。今日子がこだわったのは値段であってバイクではない。


 マグナ五〇にツキギホッパー一二五改、トゥディはボアアップ済みで激速、二スト時代のDioと一緒に走っている今日子はバイクに詳しいと思われても仕方が無い。周りがマニアックなバイクに乗っているが、今日子はバイクに詳しくない。そしてこだわりも無い。自分の生活の為に乗っているだけだ。


「予算と希望を店に言って探してもらうのが良い。で、免許はいつ頃取れるの?」

「夏休み中には取れます。梅雨の時期は教習が空いてますから」


 高級料理店にはソムリエが居る。ワインに詳しくなければ任せれば良い。同じ様にバイクに詳しくなければバイク店の店主に相談するのがベストだと今日子は考えている。


「だったらさっさと帰って教習所へ行って来いっ!」

「痛てっ!」


 今日子は本を閉じて立ち上がり、令司の尻を蹴り上げてから本を棚へ戻し、図書室を後にした。悲しいかな今日は雨。合羽を着て空を見上げた今日子は一つため息をついて雨の中をトゥディに乗って走り出した。


◆        ◆        ◆


 シトシトと雨が降る日は来客が少ない。そんな隙を突いてミズホオートの会長がやって来た。例の客が店で暴れた件で金一郎を紹介したのだが、今度は「何ぞ高校生が乗るのに良さ気な単コロはないか?」と倉庫を覗きに来た。


「何とまぁ、カブの在庫がえらい減ってるやんけ」


 スーパーカブの人気が国内でも出ている。有名人がテレビでOHV時代のカブをカスタムしたり。カブに乗った女の子の小説が売れたりするのは良いのだが、カブの仕入れ値まで上がってしまうのはいかがなものか。今在庫しているのは書類こそ有れど程度が良くない。新品や中古のフレームが有るので部品取りにして組もうと思っている物ばかりだ。いつもならパッパと組んでしまうのだが、最近少し疲れ気味で手が回らない。


「殆どが部品取りですね、人気が出る前に安くで買いました。直そうにも手間賃を上乗せしてまで並べられませんよ」


 直せるが商品としては成り立たない微妙な所。部品は揃っているから新品フレームと合わせて『レストアしたい方に』ってセットにして売りだそうかと悩んでいる。エンジンやその他の部品は生きているがフレームが腐っているから全部分解して組み直しになるのだ。趣味で触るなら悪くないが、商売でとなると手間賃を車両代に上乗せできず、手間の割に利益が少なく厳しい状況だ。


「ふ~ん、じゃあ部品代だけで一台なんぼや?」

「部品だけですか……会長には世話になってるし中古の書付きフレーム込みで七万円。その代わり部品を剥ぎ取ったフレームと書類は返してくださいね」


 もちろん交換が必要なタイヤや新品部品は値段に入っていない。


「お前が紹介してくれた取り立て屋億田金融はナンボ(迷惑料を)引っ張って来れるんや」

「今都とか後ろめたい事情のある相手からは尻の毛までむしり取ります。あいつ金一郎は閻魔様からでも銭を巻き上げる男ですからね」


 会長はニヤリとして財布から七万円を出して俺に渡し、カブの中古フレームと部品取り車を一台トラックに積んで帰った。

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