第380話 わりと忙しい土曜日・帰宅
「そういえば大島ちゃん、今都の六城石油と付き合いがあるんやって?」
「お? 六城石油を知ってるんか? すごいぞ、俺は初めて今都で普通な人を見た」
狭い世界なので情報が広がるのも早い。今都の店なのに(世間一般な感覚での)普通な人間が経営していると話すと周りがどよめいた。
「おいおい、マジかよ。大島ちゃんと言えば今都嫌いの先行逃げ切りやん」
無理も無い。今都町と言えば魑魅魍魎が住みつく暗黒の街。そんな街の人間と付き合いがあるなんて火中の栗どころかマグマの中に手を突っ込んでTNT火薬を拾う様なものかもしれない。
「最近俺は今都の人間でもまともな人間が居るって気がするんや。縮緬雑魚の中に紛れ込む小さい蛸やカニくらいの確率やけどな」
自分で言うのも何だが、俺ほど今都の事を嫌っている人間はいないと思う。両親と婚約者、そして婚約者のお腹に宿った命を奪われて店も潰されそうになった俺が『今都にまともな人間が居る』と言うものだから周りはさぞかし驚いた事だろう。言ってる自分でも信じられん。『珍しいから見てこよう』とか『あの今都嫌いの大島がなぁ』とか駐車場まで何やかんやと話しながら皆で歩く。
(もしかすると色々と変わりつつあるんかもしれんな)
皆の様子から察するに高村社長は六城君の事を少しずつ周りに話しているのだろう。変わりつつあると言えば俺だけじゃない。この一~二年で変わったと言えばウチの奥さんだろう。独り暮らしから我が家へ転がり込んでなし崩しに御嫁入り。そしてご懐妊とめまぐるしい変化だ。そんな事を考えながら歩いていると仲間がグラスを傾けるジェスチャーをしながら話しかけてきた。
「大島ちゃん、この後……コレどうよ?」
呑み会へのお誘いだが我が家では
「すまん、奥さんがコレでな。うちは奥さんが車に乗れんから、な?」
他の奴らは嫁さんに迎えに来てもらえるが我が家では無理だ。車を置いて帰ったりしたら次の日に困る。右手で小指を立てて左手でお腹の前で円弧を描いて『奥さんが妊娠中』とアピールすると「ほなしゃぁないな」と言われた。元々呑み会へ参加する方ではなかったが、結婚してからは尚更参加しなくなった。願掛けをしているからでもある。リツコさんも妊娠がわかってからは断酒して居ることだし、俺も無事に赤ん坊が生まれるまでは付き合って酒断ちだ。
「思ったより遅くなったな……」
車に乗り込んでラジオを付けると丁度深夜ラジオが始まるところだった。コーヒーに入れる小さいミルクのメーカーのCMの後で時報が鳴った。
『時刻は二十二時。土曜の夜を皆様いかがお過ごしですか、京……』
ラジオパーソナリティーの午後十時を告げる声と共にペランパランと屋根を叩く音がした。
「お? 今から雨か……」
話しこんでいるうちにすっかり遅くなってしまった。天気予報の時刻より大幅に遅れて降り出した雨は遅くなった梅雨の幕開けか。雨はシトシトと降り続け、地面を濡らし、フロントガラスを濡らした。
◆ ◆ ◆
家に戻った俺が見たのは居間で大の字になってスヤスヤ眠るリツコさんだった。出会った頃のクールビューティーは何処に行ったのだろう。ノーメイクでムニャムニャと寝言を言いながら子供みたいな表情で爆睡している。一見子供が寝ているみたいだが、パジャマの裾から覗いているお腹は少しずつ大きくなっている。ここ最近は上向きで寝転んでいるとポコッと大きくなっているのがよく解る。だが、どうもお腹が大きいのはそれだけではない気がする。もしかしてと鍋を覗くと肉じゃがから肉が消えてじゃが芋だけになっていた。台所には洗った丼茶碗。ジャーのご飯は半分近く無くなっていた。
「食べ過ぎやねん、まぁお腹の赤ちゃんの分も食べてるから仕方ないか」
このまま寝かせておいても風邪なんか引いたりしないと思うが、万が一が在ってはいけない。
「リツコさん、お布団で寝ようね~」
布団まで運ぼうと抱っこしたら起こしてしまった。
「にゃう~おとうちゃん……」
「はいはい、お父ちゃんの代わりでも何でもなるよ~」
寝ぼけているのか俺を親父さんと間違えている様だ。
「だっこ……スゥ……」
再び眠ったリツコさんを布団で寝かせた後で風呂に入って洗濯機を回す。洗濯機が止まるまでアイスコーヒーを飲みながら一息。
(くたびれたな……明日の朝ご飯はパンにするか)
今日はバタバタしていたように思う。寄り合いで話題になったタバコの事が気になる。恐らく宏和が言っていたのも同じだろう。
(甘い匂いに饐えた臭い……そう言えば今日来た愛護団体のオバハンも甘い匂いがしたな……妙に舞い上がってたし……)
妙にハイテンションで支離滅裂な事を言うオバハンは今日読んだ資料の例に当てはまる。幸いな事にウチのお客さんに刑事さんが居る。週明けに調子伺いをするついでに相談してみよう。
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