第376話 わりと忙しい土曜日・午前

 リツコさんが妊娠がわかって以来、俺は結構忙しい日々を送っている。朝起きて最初にゴミ出し。リツコさんに朝食・弁当・おやつを用意した後はリツコさんを学校まで送って帰ってきて朝食。店を開けて普段の仕事をしつつ掃除・洗濯などの家事全般をこなす。今まではリツコさんと分業していたけれど、お腹に赤ちゃんが居るのに家事をさせる訳にはいかない。倍とは言わないが料理や洗濯は二人分。特に洗濯物に関して手洗いする物も多くて手間がかかる。独身だった頃とは大違いの忙しい日々だ。


 夕方にリツコさんのお迎えもあるし、今日は車輪の会ホイラーズクラブの会合が在るから晩御飯のおかずも用意しておかなければいけない。リツコさんがレンジでチンして食べられるものを数点用意しておく。最近のリツコさんは食欲旺盛だ。一時期の窶れ具合が嘘の様にふっくらして来た……いや、妊娠前より太った気がする。相変わらず腕枕を求めて来るので一緒に寝ているのだが、当たりが柔らかいと言うか重い。お酒は呑んでいないから摂取カロリーは少ないはずなのになぜだろう。


 何処かで買い食いでもしているのだろうか。そのうち竹原君に聞いてみよう。そんな事を考えながら店を開けていると葛城さんがカブの後に彼氏の浅井さんを乗せてご来店。今週末は彼氏とのデートをしつつ、リツコさんのゼファーの調子が狂わない様にツーリングを兼ねた遠乗りだ。


「おじさん、疲れてるんじゃない?」

「リツコさんにこれをどうぞ」


 疲れが顔に出ているのかゼファーを借りに来た葛城さんにも心配される始末。今日の二人はデートで石山まで行くらしい。カブで行くには距離が在る。ゼファーなら湖西道路を使ってあっという間だろう。何でも美味しい和菓子屋が在るんだと。


「今日はちょっと怠いかな、でも大丈夫。浅井さん、ありがとね」


 ゼファーを暖機しながら葛城さんが各部の点検。浅井さんはリツコさんの大好きな漉し餡を練り込んで焼いた食パンを持って来てくれた。


「で、今日の天気予報は夕方から怪しくなるみたいやけど、大丈夫?」


 データ放送によると十九時から雨の予報が出ていた。


「大丈夫、いざとなったら……ね……」

「それまでには帰って来れるよね」


 プロのライダーだから雨の備え位しているのだろう。いざとなったらレインウェアを着るか濡れるのを気にせず走れば良い。リツコさんは雨の日でもゼファーに乗って通勤していたから雨に当たるくらいで怒ったりしないだろう。


「じゃあ行こうか、薫さんお兄ちゃん乗って」

「うん」


 エンジンが暖まりアイドリングが安定した。ひらりとゼファーに跨った葛城さんの後にチョコンと乗る浅井さんが何とも愛らしい。行ってらっしゃいと二人を見送った後は仕事の合間に家事をこなしつつ夕方まで過ごす。


「そろそろ夏休みの事も考えんとアカンな」


 このところ趣味人の間でスーパーカブの人気が高まっている。おかげで仕入れ値が上がるわ玉数が少ないわで困る。構造がシンプルで弄りやすいキャブ時代のスーパーカブに人気がある。そして、インジェクション車だと中国での生産に変わる前の丸ライトのカブ一一〇・カブ五〇・リトルカブにコアな人気があり、生産が日本に戻った現行型のカブシリーズは原点回帰ともいえるデザインで安定した売れ行きだそうな。


 中国で生産していた頃のカブはやや人気薄ってところだ。ウチでも問い合わせは無い。そもそも形からカブと思われていない様に思う。四角いライトのカブカスタムでさえ嫌がられる保守的な田舎町では受け入れられないデザインだった。


 問題は高校生が欲しがる十万円近辺で店に並べる事の出来るカブが減っている事だ。倉庫に何台か有るカブを手入れすると十万円では利益が出ない。整備に使う純正部品の値上がりもあって十万円台中盤か後半で売らないと経営が成り立たない。学生たちに燃費の良いスーパーカブを安くで提供したいところだが、なかなか厳しい。


 原付スクーターをボアアップして二種登録すれば値段とスピードは何とかなるのだが、タイヤの小さいスクーターを高校までの通学に使うとタイヤが良く減る気がしてならない。それに、タイヤが小さいスクーターは速くても安定性がカブより劣る気がする。オッサンな俺が今都まで行くと少し疲れるのだが、学生たちにとってはそれは問題無いらしい。若さゆえ体力が有り余っているのだろう。


 タイヤが小さいと言えばモンキー・ゴリラを始めとするレジャーバイクだが、これに関しては好きだから乗る物であって、乗り心地やタイヤの減りの速さなんて気にしない子が多い。タイヤが減った所で合わせホイールだから自分で交換できる(ホイールが錆びていると苦労するみたいだが)し、そもそもエンジンはスーパーカブ譲りの頑丈さなんだからオイル交換さえきちんとしていればそうそう壊れる物ではない。


「ん~っ」


 伸びをするとあちこちからポキポキゴリゴリと音が聞こえる。元気なつもりでもスポーツ選手なら引退を考える歳……いや、とっくに引退している歳だ。それなのに俺はもうすぐ父になる。生まれて来る子供が成人になるまで、出来れば独り立ちするまでバリバリと働かなければならない。それまで店を続けて行けるだろうか。心配だから近いうちに金一郎に相談しよう。


 ジョルカブはフレーム周りはほぼ組み上がって外装の塗装待ち。今日はシートを張り替える。タッカーの針を外して固くなった表皮を剥がし、防水のラップをかぶせたうえから新しい表皮を被せてタッカーで留めて行く。アンコと呼ばれるスポンジは多少へたっているかもしれないが、今回はそのままで行く。タッカーを打ちこんだ後は表皮とラップの余った部分を切って整えてシートが完成。


 土曜日だから学生たちは半日授業だ。藤樹商店街に見向きもせず安曇河高校の生徒が駅へ向かう。もうしばらくすれば高嶋高校の生徒も帰って来るだろう。

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