第375話 高村の憂鬱

 大島は滅多な事で高村を困らせる事は無い。ボロいフレームや訳の分からんバギーのフレームの修理や塗装を出したりなんかはするが、高村ボデーの高い技術力の前ではフレームの歪みや塗装が乗りにくい事など何も問題は無い。だが、今回は板金塗装や経営の相談ではなくて、今都にある店を車輪の会へ入れてやってくれなんて無理難題だ。今都と言えば誰しもが『息をする様に嘘をつく』と言われる性格の悪い住民が集う街だ。そんな街にある店を信用第一の車輪の会へ入れるなどと言えば会員は何と思うだろう。


大島君が言うくらいやから大丈夫やと思うけどな……」


 大島の両親は今都の運送業者の大型トラックとの事故で亡くなっている。その後は色々と嫌がらせにあったと大島サイクルの前身である大石サイクルの親父から聞いた。更に婚約者はお腹にいた赤子と共に今都町議会議員の息子に蹴られて命を落としている。しかもその事件は事故として有耶無耶に処理された。誰よりも今都を嫌い、今都を憎む男にどんな心境に変化が在ったのだ。


「厄介な事を引き受けたもんや……」


 高村も店を始めて間無しの頃には何度も今都町の住民に煮え湯を飲まされたものだ。修理が終わって出来上がりの連絡をしたら「あ、やっぱり要らんわ」と引取り・支払いを拒否されたり、連絡が付かなかったこともある。今都町住民に対して裁判も数件起こしている。その度に店に乗りこまれて警察沙汰になったのが車輪の会ができた理由の一つだ。


「おい工場長、ちょっと来い」

「はいっ!」


 作業後に整頓をする工場長を呼び、高村は質問をした。


「工場長、いい加減な仕事する奴はどんな奴や?」


 いきなり聞かれた工場長は顎に手を当てて少し考えて答えた。


「技術が未熟か性格がいい加減かでしょうね」

「下地がしっかり出来ていて上塗りで失敗してるって場合は?」


 工場長は天を仰いで「ああ……」とつぶやいた。


「何か慌てていたんじゃないですかね? あと、気温が低い時に塗ったとかでしょう。本当にいい加減な物が塗るなら下地から駄目でしょう」


 高村が見た六城のバイクはタンクの下の方に少しだけ垂れが在った。


「なるほど。じゃあ工場長、自分のクルマで塗装をして上塗りで失敗したらどうする」


「乾燥後に修正ですね、ただ、色によっては塗り直し。自分の愛車なら色によっては多少は目を瞑ります。例えばですけど、キャンディ色は垂れやすいし、ごまかしが効きませんからね」

「そうか……」


 高村はふむと納得をして工場長を作業場へ戻らせた。整頓された工場と比べて高村の心は散らかり放題。当分片付きそうにない。


◆        ◆        ◆


 間口が広く、比較的敷居の低い仕事は志を持って就く者と、流れ流れて就いた者に分けられる……と高村は思っている。志を持ってなった者が一人前になるのはよくあるが、流れ流れて自分の店高村ボデーへ来た者の中には思わぬ才能を発揮して一流の自動車板金職人になった者が居る。逆に何ともならずに逃げだして良くない噂を聞く者も居る。工場長も昔はやんちゃ坊主だったが今では工場を任せる事の出来る一人前になったし、最近入った新人も高校生の頃は何を考えているか分からないイキリ陰キャなるアホだったらしいが、高村ボデーで叩き直されて真人間になった。


(でも、今都のガキは儂でも何ともならんかった……)


 随分昔の話だが、高村ボデーに高校を卒業したばかりの今都町出身の若者が入社した。ところが入社して三日後、工場から溶剤を盗み出して仲間と吸っていた所を警察に見つかり今都港から琵琶湖へ飛び込んだ。酔った状態で琵琶湖へ飛び込んだものだから溺れて大騒ぎになってしまったのだが、その数日後に親が甘ったるい臭いを漂わせながら『薬品の管理が悪いせいで息子が酷い目に会った。賠償金を払え』と怒鳴り込んできた。


(……そう言えば六城とやらあの小僧はあの匂いがせんかったな……)


 保管庫のカギを壊して溶剤を盗んでおいて何たる言い分だと怒鳴り返したのだが、何せ相手は木刀を持っていたから質が悪い。散々暴れて預かっているクルマや従業員を叩きまくったので警察を呼ぶ羽目になった。保管庫は壊され預かり車の納期は遅れる。従業員の数名が怪我をするなど散々な目に会った。それ以来高村ボデーでは今都町出身の従業員を雇っていない。『真面目な今都人より他町の荒くれ者を雇え』が高村ボデーを始めとする車輪の会会員の考えだ。


(そういう意味では今都らしくないと言えば今都らしくない)


 あの匂いとは今都町で吸われている『今都タバコ』の事だ。今都では自生する何かの草を干してタバコ代わりに吸う。吸った者は気分が高揚して空腹や疲れも感じなくなると評判のタバコ(?)だ。何が含まれているかは定かではないが、噂によると警察が動いているらしい。高村ボデーにも刑事が来て今都からのクルマが来たら連絡をと言われている。


(六城って小僧にジョルカブの外装色、そして警察からのお願いに車輪の会の会合……やる事は山積み。まだまだ隠居は出来んな)


 腕を組んで工場を見回し、さてどうしたものかと考えていると見慣れた軽バンが工場の前に停まった。


「高村のおじ様、こんにちはっ!」


 大島君とリツコちゃんだ。大島君はともかく、この若奥さんは高齢化が進む藤樹商店街に咲いた一輪のバラ……そんな感じの華やかさだ。


「どうしたんや、平日に二人でデートとは珍しいやないか」

「産婦人科へ検診に連れて行ったんですよ、ところでジョルカブはどうなりました?」


 アレを見ろとアイコンタクトをした先にはサフェーサーまで塗ったジョルカブのカウル。大島君の表情は変わらない。少なくとも作業が遅いとは思っていないだろう。


「リツコちゃん、何ヶ月や? 順調か?」

「はいっ、現在三ヶ月。順調ですっ!」


 無邪気な良い笑顔だ。決めた。ジョルカブはバラの様な真っ赤に塗ろう。幸いな事にイタリアのスーパーカーを塗った塗料が余っている。悩みの種が一つだけ消えた。

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