第350話 六城・安曇河へ

 日曜の午前九時。六城は秘密基地兼ガレージからキットバイクを出した。


「オイル漏れなし、ブタと燃料……OK」


 エンジンを始動して暖機をしながらブレーキとタイヤの溝・空気圧・灯火類、そして燃料を確認した六城はヘルメットを被って愛車に跨った。


「さぁ、初の遠乗り。安曇河まで駄々こねずに走ってくれよ」


 ポンポンとタンクを叩き撫で、六城はキットバイクを発進させた。今都市街は当たり屋が出て来たり、猫や犬の死骸をバイクの前に放り投げて轢かせ、因縁をつけて金を奪おうと目論む輩が多い。六城は気を引き締めて愛車を走らせた。


「ふぅ、わが街ながら物騒だな」


 今都市街を抜けて湖岸道路を数キロ走って真旭ランプから国道一六一号線に乗る。あとは淡々と安曇河町まで走る。桜の季節が終わった四月末の陽気はバイクで移動するのに丁度良い暖かさだ。


「この色で塗って良かったなぁ」


 春の日差しを受けてキャンディブルーのタンクは輝き、ゴールドのラインがアクセントを加える。フェンダーのメッキとも相性が良く似合っている。乗り心地だってダンピングの効いた腰のある乗り心地で悪くない。


「ロンスイが効いてるんやなぁ」


 最初についていたスイングアームは怪しい出来だったので信頼が出来るメーカーの中古品を買って取り付けた。ホイールベースを伸ばすロングスイングアーム(略してロンスイ)は格好重視で装着される事も有るが、長ささえ吟味すれば実用性を損なわず直進安定性を向上させることが出来る。


「エンジンは好調、力はあるけどボアアップだけより振動は大きいかな?」


 ロングストローク型のエンジンは高回転まで回すと若干振動が大きくなるが粘りと底力が有る。


「静かでも糞づまりにならん、キレイに吹けるなぁ」


 六城はバイクに乗り始めた頃、音が大きければパワーがあると思っていた。最近のマフラーはパワーが出るだけでなく騒音の面も配慮されて作られている。制限速度内で走らせているとマフラーよりもキャブレターからの吸気音が気になるほどだ。これに関しては今後改善しようと六城は思った。


 六城とキットバイクは安曇河町に着き、老舗菓子店へ寄ってさつま芋の練り菓子とアドベリーのお菓子を箱詰めしてもらってから再び走り出した。


◆        ◆        ◆


 六城が出発した頃、中は昼食の準備を始めていた。飯を炊き、紫蘇のフリカケをまぶしたご飯を冷ましてラップで包んで握り飯を作る。その間のリツコは竹原に手伝ってもらいながら庭でバーベキューのセットを出したり椅子を並べたりしていた。


「さて、僕は肉屋に行ってきますね」

「ありがと、じゃあお金ね、お肉は準備してあるんだって」


「ついでに飲み物も買ってきますね」


 竹原を送り出したリツコは六城が来ても驚かない様に化粧をする事にした。休日のリツコはスッピンでいる事が多いのだが、元生徒が訪ねて来るとなれば化粧をしなければならないと思っている。最近はノーメイクの素顔を生徒に見られる事も有るリツコだが、大多数からは『大人のオンナ』と思われている。自身のイメージを崩さないように必死なのだ。


 リツコが顔を作っている間にも中はバーベキューの準備を続けていた。カボチャや玉ネギを切り、キャベツを千切る。いつもならリツコは千切ったキャベツを失敬して味塩をかけてビールを呑んだりするところだ。


「中さん、どう?」


 メイクを終えたリツコが訪ねると中は「今日もキレイやで、でも俺は素顔のリツコさんも好きやなぁ」と答えた。


「私の顔じゃなくて、心構えの方はどう?」

「問題無い」


 問題無いとは言うものの、中の様子はいつもと違う。


「リツコさん、何か有っても俺の事を嫌いにならんといてな」

「中さん、私が初めてを捧げた人は小さな人じゃないのよ?」


 話しながらもバーベキューの準備は進み、肉を買いに行った竹原が帰って来た。


「大島さん、先輩。もうそろそろ六城が来ますよ……来たかな?」


 時刻はもうすぐ十時。空冷単気筒のエンジン音が大島家に近付いて来た。

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