第341話 大島のお仕事
バイク乗りなら『オートバイは馬鹿でなければ乗れない』みたいな事を聞いた事は無いだろうか。俺は聞いた事があるし、その後に『自転車は馬鹿では乗れない』とも付け足して言われた事がある。これは結構的を得た言葉だと思う。
俺も自転車に乗っていたからわかるのだが、自転車は非常にエコな乗り物だ。人が操縦する乗り物の中で最も環境に優しい乗り物だろう。動力が人間だから騒音が非常に少ない。まぁ理恵みたいにうるさいのも居るが、静かさに関してはあらゆる乗り物の中でトップクラスだろう。健康にも良い。体を動かして風を切って走る爽快感は何事にも代えがたい爽快感がある。
人間の対応できるスピードは時速六〇キロメートル辺りと世界選手権で何度も優勝した元競輪選手が言っていた。普通の脚力を持つ一般人なら自転車で超える事は難しいだろう。人間の限界内でスピードを楽しむ自転車は非常に素晴らしい乗り物だ。
それに比べるとオートバイは怖い乗り物だ。
そんな人間の限界をいとも簡単に超えてしまうのがエンジン付きの乗り物だ。その中でもオートバイは最も危険な乗り物だろう。リッターバイクとなれば移動するエンジンの上に跨っている様なものだ。加速は自動車より鋭く、スピードだって時速三〇〇キロ出るバイクもある。遅いと言われるホンダモンキーやスーパーカブだってちょいと弄れば時速八〇キロメートルくらいはすぐに出せるようになる。
オートバイは危険な乗り物だ。
特に問題なのは乗り手の安全性だ。自動車ならドライバーはエアバックにシートベルト、そして車体自体にクラッシャブルゾーンと呼ばれる車体が潰れて衝撃を吸収する部分がある。自動車の安全性はこの数十年で大きな進歩を遂げた。対してオートバイは誕生以来現在に至るまでライダーが剥き出しだ。身を守るのはヘルメットと衣服。皮ツナギや胸部プロテクターを普段から装着しているライダーは少ない。
オートバイは狂った乗り物だ。
今都町の住民にとってオートバイは所詮遊びで乗る物だ。大型バイクを所有するのは乗って楽しむのではなく高額な大型車を持てる経済的余裕を周囲に見せる為。若者の場合も周囲に自慢する為か暴走族紛いのスピードで走り回りスリルを楽しむためだ。そして、時折『
オートバイは手間がかかる乗り物だ。
わざわざ維持をするのに手間や金が掛かるオートバイに乗るのは馬鹿な事かも知れない。雨が降れば濡れ、風が吹けばホコリまみれになりレインコートをアタフタと着る。夏は灼熱の中で悶え苦しみ水分補給をしようとコンビニを探す。
事故をすれば怪我は確実、一歩間違えば命さえ落とす。理論的に考えると『バイクは馬鹿でなければ乗れない』のかもしれない。
だが、少なくともウチのお客さんは『馬鹿になれる』のであって『馬鹿』ではない。安曇河町から通う学生たちは三〇分に一本の電車を不便に思い、暗くなると物騒になる今都から自分の身を守り、楽しく高校生活を送る為にオートバイで通学するのだ。
オートバイは楽しい乗り物だ。
高校生たちは解っている。オートバイは危険で怖い乗り物だ。だが、それを覚悟のうえでオートバイに乗る。そして楽しむ。ならば俺は危険や手間を承知でオートバイに乗る子供たちから車体が原因のトラブルだけでも防いでやろう。そう心に決めて仕事をしている……。
「……と言う事なんやけど、坊主、予算は? どんなふうに使う? 条件を聞こ……」
「いや、もう子供の頃からやし知ってるけどな、おっちゃん話が長いねん」
人がビシッと決めようとしている所へ被せた上に話が長いとは何事だ。遅いと思われているスーパーカブでも事故をすれば骨折の一つもすると教えているのに。『
「そやからな、その小さいバイクが欲しいねん。取り置きしといてぇな」
「手付金五万円。くれたら絶対に他に売らんと約束する」
◆ ◆ ◆
「で? 去年から置いてあるゴリラさんが売れたの?」
リツコさんが言った『ゴリラさん』はホンダが販売していた小さなバイクだ。去年下取りをしてから売れずに置いてあったのだが、今年から高嶋高校へ通う小僧が目を付けていた。免許取得の申請も出してあるらしい。免許が取れるまでは売約済の札をかけて取り置きだ。
「手付金を貰った。小さい頃から自転車のお得意さんや」
「手付金を用意してるなんてよっぽど欲しかったのねぇ……おかわり」
今年は去年と違って制服のサイズ合せと同時に免許取得の申請も即日審議したそうで、学校が始まる前から教習所へ通える新入生も居るらしい。
「ほいよ」
「ありがと、あ、そうそう、忘れてた」
リツコさんがカバンから出したのはクリアファイル。
「新しい元号は『平成』です」
「おおっ……懐かしい」
どこで買ったのか『平成』と印刷されたクリアファイルから出したのは一枚のプリント。始業式の後で行うバイク点検のお知らせだった。
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