第332話 四葉の憂鬱

 今日も四葉は憂鬱だった。母がバイクに乗ると性格が変わるのは仕方がないが、押さえていたスピードへの欲求を解放したのは自分の愛車だったからだ。


「四葉ちゃん、何か困り事?」

「うん、バイクのことでチョッチね」


 両親の話し合いで出た結論も憂鬱の原因だ。父は母に「四葉の通学用バイクに乗る事は許さん」と言い渡し、それでもバイクに乗りたいと言う母をなだめる為に、父は四葉へ母のバイクを選んで買って来いと命じたのだ。


「お母さんのバイクを買うお金はお父さんが出すんやんな? じゃあ適当なバイクを選んだらええやん、何を困ってんの」


 瑞樹が言う様に適当に選べれば問題は無い。ところが父が出した条件は非常に厳しい物だった。予算は自由(と言っても限度はある)だが、車体に関する制約がある。


「お父さんが出した条件が厳しーのよ、『スピードが出なくて、改造が出来なくて、危なくないバイク』って何なのよって感じ」

「じゃあ、バイクのことならバイク担当に聞いてみたら?」


 滋賀県立高嶋高等学校(普通科)は全国でも珍しいバイク通学可能な高校である。生徒をバイクを遠ざけるのではなくて、敢えてバイクに乗らせる事で社会性やバイクに対する安全性を考えさせる教育方針である。その担当者は元ボクシングミドル級日本ランカーの竹原螢一と、見た目は大人のオンナ中身は甘えた少女な大島リツコ(旧姓・磯部)だった。


「今日子ちゃんの言う通りかもしれんねー。でも竹原先生はバイクの免許が無いみたいな事言ってたし、大島先生の方が良いんじゃない?」


 他に相談すると言えば自身が乗るトゥディ改を買ったお店『大島サイクル』だが、取りあえず四葉は放課後、大島先生に相談することにした。


◆        ◆       ◆


 放課後、第二教務室に訪れた四葉たち仲良し五人組。四葉が父の出した条件を伝えると竹原はポカンとし、リツコは困った表情をした。


「そんなバイクがあるんか? バイクってのはスピードが出て危ないもんやろう」

「私も速いバイクしか知らないからねぇ」


 そもそも高嶋高校のバイク担当の仕事はスピードが出るバイクを安全に乗らせる事である。人格や性格がバイクに乗るのに不適な生徒にはバイクに乗る許可を与えていない。正確に問題がある人間にバイクを操らせると言った考えが無いのだ。


「大島先生のリトルカブなんかゆっくり走りそうですけど、どうですか」


 バイクの事をよく知らない竹原が訪ねるとリツコは雑誌を出しながら答えた。


「駄目よ、カブはその気になったら速いのよ。六十年前でも最高速は公称で七〇キロだったかな」


 リツコが取り出して開いたバイク雑誌にはボンネビルモーターサイクルスピードトライアルに挑戦するスーパーカブの記事が載っていた。


「これは車体が特殊だけど、カブ系エンジンはチューニングすると泥沼よ。『バイクは怖い、バイクは危険。それでもバイクに乗る』って生徒を導くのが私たちのお仕事なんだけど、お母さんをどうのこうのってのは初めてね」


 生徒たちはスーパーカブの予想外の速さに驚き、四葉に至っては「カブでもダメかぁ」と落胆していた。そんな肩を落とす四葉を気の毒に思ったのか竹原が救いの手を差し伸べた。


「バイクのことならバイクのプロに頼めばいいでしょ、大島先生の旦那さんに相談すりゃイイんですよ、先輩なんか乗るだけですからね」

「竹原、てめぇ先輩に対してなんて口をききやがる。折檻だっ!」


 突如始まったリツコと竹原のスパーリングを一ラウンド見た後、五人は第二教務室を後にした。

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