第297話 静かなお正月

 昨年のお正月は速人と理恵が遊びに来た。ところが今年は来ない。昨年末から付き合い始めた二人はデートに勉強にと二人だけの時間を過ごして青春をしているのだ。今年はゆっくりと箱根駅伝を見る事にする。大手町をスタートした箱根駅伝も今日は復路だ。駅伝の終わりとともに正月も終わる。明日から二人とも仕事だからゆっくりしようと思う。


「今年は静かね」


 そんな静かな我が家でどてらを着て火鉢の前に座っているのはリツコさんだ。元旦に御汁粉を食べ損ねたリツコさんは目覚めてすぐに「お餅を食べたい。アンコで食べさせてっ! 私、御汁粉食べてないっ!」と駄々をこねだしたのだ。そこで火鉢を出して来た訳だ。ちなみに元旦に作った御汁粉は気絶していたリツコさんの分も含めて三人で美味しくいただきました。


「さて、上手い事膨れるかな?」


 五徳の上に網を置いて、その上に軽く切目を付けた餅を置く。餅が焼けるまでの間に缶詰の餡やきな粉を出したり、海苔や醤油を出したりしてお餅好きな彼女の要望に応えられるようにしておく。


「にゃう~、お餅~♪」


 今日のリツコさんは来客があっても大丈夫な様にほぼフルメイクのタイプⅠの顔だ。ただし、口紅だけしていない。食器や餅に口紅を付けたくないからなんだと。見た目は大人で中身は子供。名探偵の逆だ。じりじりと炭火に炙られた餅がプスプスと音を立て、切れ目から割れて膨れだす。リツコさんは少し焼き色が付いてカリッとしたくらいが好きだ。


「さて、焼けたな。はい、好きなもんで食べて」

「最初はアンコでっと、いただきま~す」


 今年は競争相手が居ないのでのんびりとしたものだ。美味しそうに餅を食べながら箱根駅伝を見るリツコさんは出会った時と違って柔らかい雰囲気なったように思う。職場では気を張っていると竹原君が言っていた事だし、正月くらいは思い切り我儘を言わせてあげて、甘えさせようと思う。


まう~おもひ~にゃう~おもち~


 餅は作るのに手間がかかる。切り餅を買えばそれで良いが、雑煮にしても焼くにしても料理下手のリツコさんには手に負えず、お義母さんが嫁入りしてからは食べる機会が無かったらしい。妙に餅が好きなのは食べられなかった反動だろう。好物を独り占めする仔猫の様な声を立ててお餅を食べている。やっぱりニャンコだ。


「リツコさん、お酒は?」

「餡ころ餅じゃ無理よ~。これ食べたら醤油に行くからそこで日本酒ね」


 餅にアンコで糖質たっぷりなのにそこへ更に餅を追加して日本酒なんて糖質の塊だ。


「油断してると太るで……」

「もふ? 何か言った?」


「いや、何も」


      ◆      ◆      ◆


 餅をたっぷり食べた後は火鉢でスルメや厚切りベーコンを炙ったりしながらグダグダと飲み続けた。リラックスモードのリツコさんはすっかり酔ってトロンとした眼をしている。それでも一升瓶を放さないのは彼女が筋金入りの酒飲みだからか、何か抱っこしていたいからかは分からない。


「ねぇ中さん」

「何や?」


 俺もほろ酔い気分でフワフワしてる。今の俺達は酔ったオッサンとオバチャンだ。新婚さんと言うより熟年夫婦だ。ガラゴロとビールや日本酒の空き瓶をかき分けてリツコさんが這いずって来た。ベロベロになっている。


「わたしねぇ、一人の時は寂しかったの……去年も今年もお餅食べて、お話してたのしーの……だからねぇ、ずっといっしょにいようねぇ……グゥ……」


 見た目はクールビューティなリツコさんだが、中身は子供の様に幼く寂しがりやな面がある。一緒に居ようと言いながら抱き付いて来て寝てしまった。


「寝てしもた。やれやれ、どっこいしょっと」

 

 フニャフニャになったリツコさんの服を脱がせてパジャマに着替えさせた。

布団に寝かせてからは酒宴の後片付け。そうこうしているうちに箱根駅伝は終わり、優勝校のインタビューが始まった。


「呑んだなぁ、明日からの仕事に差し支えが無いやろか」


 さすがのリツコさんも日本酒二升と瓶ビール十数本を呑んでしまうとほろ酔いでは済まない。グデングデンになってムニャムニャ言いながら大いびきで爆睡中だ。幸せそうに眠る寝顔を見た俺は、翌朝彼女が二日酔いになっている事を予想してスポーツ飲料を冷蔵庫へ入れた。


 いよいよ正月休みは終わり。明日は仕事始めだ。朝一番で玉垣邦文堂のカブを登録して、おっちゃんに届けて午後から店を開ける。今年はどんなお客さんが来るだろう。

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