第240話 墓参り

 夜明け前の午前四時。疲れた体を引きずるようにして起きた大島は冷蔵庫から五個の卵を取り出してグラスへ割り入れた。体がタンパク質の補充を要求していたからだ。高殿ファームの新鮮な卵に少しだけ醤油を垂らして一気に飲む。


 リツコと暮らし始めてから激しく動くことが多くなった大島は、自身のスタミナ不足を何とか解消しようと必死だった。そこで映画を真似して生卵を飲む様になった。


(効くんかなぁ?)


 実際はスタミナが付くどころかお腹を壊してトイレに駆け込む事も有るので効果は疑わしい。


(またTシャツが血だらけや)


 大島の背中は数本の引っ掻いた跡があり、所々から血が滲んでいる。


(あ~いたっ! ガリガリ掻いてしもて、猫じゃあるまいし)


 昨夜、散々大島の背中を引っ掻いたリツコは幸せそうな顔で寝息を立てていた。


(あれだけ頑張ったんやから昼までは寝てるやろう、行くか)


 白い瓶に入った軟膏を傷に塗って服を着た大島は、花と線香、そしてお供えを持って家を出た。大島が運転する軽バンは蒼柳北交差点から国道一六一号線バイパスへ入り、すぐに側道へ入って右折。目指すは蒼柳区の墓地だ。今は藤樹区に店を構えて住んでいる大島だが、元々は蒼柳区の住民だ。両親が眠る墓とかつての恋人、そして、生まれる事の無かった子供が眠る墓はここにある。


「ったく……呼び水を置いとけよなぁ、持って来てよかったわ」


 悪態をつきながら手押しの井戸ポンプに持って来たペットボトルから呼び水を入れる。レバーを動かすとグッと手ごたえが出てきて、地下水が汲み上げられた。冷たい地下水で顔を洗った後はバケツに水を汲み、備え付けの柄杓を借りて墓へ向かう。盆とは言え早朝なので周りに人は居ない。聞こえるのは国道を走る自動車の走行音とカラスの鳴き声だけだ。


「親父・母ちゃん、ご無沙汰」等と言いながら墓の周りを掃除して墓石を洗い、お供えをそなえて線香に火を点ける。タバコを吸わない大島だが、この為だけに父の形見のオイルライターは使えるようにしてある。


(親父、母ちゃん。俺、結婚するんや。実質二回目やなぁ)


 しばらく手を合わせた後は少し離れた所にある墓へ向かう。墓石には『泰山寺家乃墓』と彫られている。かつての婚約者の眠る墓だ。


(桜さん、ご無沙汰。俺、結婚します)


 周りを掃除して花と線香、そして饅頭を供えて手を合わせているとカラスが騒ぎ始めた。饅頭を狙っているのだろう。「すまんなぁ、食うてる間が無いなぁ」と言いながら饅頭を下げた大島は、使った道具を元に戻してバンに乗り込んだ。


「あれだけ動いたんやから、リツコさんはモリモリ食うやろうな」


 墓参りの時間を作るために昨夜は「もう許して~!」とリツコが音を上げるまで頑張った。疲れた彼女は間違いなく昼前まで眠るであろう。そうすれば昔の恋人の墓参りに行った事を気づかれずに済むと考えた中は顔色が悪くなるほど頑張ってリツコの相手をした。目覚めていきなり映画のワンシーンみたいに生卵を飲んだのはそのせいである。


(無茶したから朝飯は豪華にするか、ちょっと食材を買い足しておこう)


 モリモリ食べるリツコの為に朝の献立を考える大島だった。


      ◆     ◆     ◆


 大島が墓参りのついでに買い物をしている間、リツコは天井を見上げていた。


「うう、動けない。昨夜は凄かったなぁ」


 普段は「おっさんやから、な!」と言ってリツコを制するあたるが昨夜に限っては「まだ行ける」「もう一ラウンド」とリツコが音を上げるまで頑張った。


(トイレに行ったのかなぁ、腕枕して欲しいのに。ギュッとして欲しいのになぁ)


 起き上がる事もままならない程リツコはグッタリとしていた。体中が筋肉痛で痛い。普段使わない筋肉を思わぬ形で使ってしまったからだろう。


「はぁ……もうチョット寝ようっと」


 タオルケットを体に巻きつけてリツコは再び夢の世界へ旅立った。


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