第212話 リツコ・ギャン泣きする

 リツコがあたると一緒に食事を食べるのを止めて数日が経った。


(どうしよう……ますます顔を合わせるのが気まずい)


 朝は食べず昼はコンビニ弁当、そして夕食は同僚や後輩の竹原と食べてから帰るリツコだったのだが…


「うっ……ウエストがキツイ!」


 早くも食生活の乱れが体形に現れ始めた。お通じも2日前から無い。化粧の乗りが悪い。何となくだが肌が油っぽくて荒れている気もする。


「ほんの数日で……」


 中と食事をする様になって数か月間に引き締まった分が元に戻っただけなのだがリツコはショックだった。ちなみに体重は3㎏増。分母が小さい分影響は大きい。


(今夜こそ謝ろう、謝って仲直りしよう……)


「行ってきます……」


 昨日まで有った見送りが無い。昨日まではテーブルにあった朝食も今朝は用意されていなかった。今朝こそ謝ろうと思っていたリツコだったが謝るチャンスも朝食もそこには無かった。


「嫌われちゃったのかなぁ……」


 心なしかリトルカブの排気音も元気が無い。


「出て行けって言われたらどうしよう……実家も貸しちゃったし……」


 高校時代は弾丸娘と呼ばれていたリツコ。いつもならかっ飛んで行く彼女だが、今朝はヨロヨロと国道161号線バイパスを走った。


 お腹が空いているし、昼の購買は混むのでコンビニで朝食と昼食を買おうとしたのだが……


「あ、お金出してなかった」


 いつもなら出掛けにあたるが財布の中身が有るか確認したり、今日みたいに無い日なら1000円くらい貸すのだが、顔を合わせていないのだからどうしようもない。そもそも最近は弁当持参なのだから弁当代を持つ必要が無かった。大島宅に下宿を始めてからあたるに頼りっきりとなって、リツコは持ち物の確認が疎かになっていた。


(お金はまだ出せないから……百円玉が1・2……これは50円玉か)


 財布の中には300円と少し。茶やコーヒーは職員室の物を飲めば良いとしても食べる物は自前で用意しないといけない。


(全然品物が無い。変だなぁ)


 こんな日に限ってパンやおにぎりが品切れしている。金も無ければ選択肢も無い。今都発の電車が出た直後、しかも商品搬入直前の時間に来てしまったのだ。通勤客が買って棚は品切れ状態。もう10分もすればパンやおにぎりが到着するのだが、そんな事を知る由も無かった。


「これにしておこうっと」


 リツコは食パンを買った。塗る物はあとで考えるとして味より量だ。


「お砂糖もミルクも無い」


 学校に着いて食パンとコーヒーの朝食。こんな時に限ってコーヒーフレッシュが切れている。スティックシュガーも無い。ブラックコーヒーと焼いていない食パン。食パンに塗る物も無かった。


「ひもじい……」


 ちなみにリツコは『ひもじい』をひもみたいに痩せたお爺さんの事だと中学生の頃思っていたのを同期に間違っていると指摘された事が有る。


「うす、先輩随分早いっすね、あれ? 何食ってるんですか?」


 炊飯器が壊れたのでコンビニで何か買ってデスクで食べようと30分以上早く来た竹原。でもリツコが仕事場へ来たのはそれよりも遥かに早かった。寝惚けて時間を間違えていたのだ。


 いつもなら『おっはよ~♪』みたいな元気な返事が返ってくる事が多いのだが返事が無い。


「竹ちゃん……お腹空いたよう…ひもじいよう……グスッ……ふえぇぇ…」

「うわっ!先輩?!どうしたんですか!」


 空腹で情緒不安定になったリツコは泣きだしてしまった。


「先輩、フランクフルト!フランクフルトあげるからパンに挟んで…ほらっ!」

「ううっ……ぐすっ……脂っこい……え~ん!」


(大変だ……お家に電話っ!)


 これは一大事と竹原は下宿先である大島サイクルに電話をしたが繋がらない。それもそのはず。今都町からの電話には大島は出ないのだから繋がるはずが無い。まぁ今回に関しては違うのだが。


「今お家に誰も居ないんですか?誰も電話に出ませんよ」

「わぁぁぁん!あたるさんに嫌われたぁ!帰るお家が無いぃ!」


 リツコが子供の様に泣き、竹原がワタワタと慌てていると朝練を終えた部活顧問の教師たちが集まり始めた。クールビューティーと評判のリツコが強面の竹原に泣かされているのかと思ったのである。


「わぁあぁぁぁん!電話に出ないなんてぇぇぇぇ!嫌われたぁぁぁ~うわぁぁぁぁん!びえぇぇぇえ!」


「竹原先生、何が有ったんですか?」

「僕が泣かしたんじゃないですよ!」


「わぁぁぁん!ひっく……お腹空いたぁ……ごめんなさい……ごめんなさい……ひっく……」


 荒れたお肌を隠す為にした厚化粧をグズグズにしてリツコは泣き続けた。


「あの、どうなってるんですか?」

「あ、事務員さん、おはようございます。磯部先生がちょっと……」

「その磯部先生にお家の方がこれを渡すようにと」


     ◆     ◆     ◆


「行ってきます……」


 ヴロロロロ……カチャン、ヴロロロロ……


(え?)


 大島がトイレで気張っているとエンジン音が聞こえた。時刻は6時前。普段より1時間以上早い時間だ。朝食の準備も出来ていない時間に寝坊助なリツコが出勤するなど今までには無い事だ。


「リツコさん、時間を間違えてないか?」


 トイレを出て時計を見ても時間は6時を少し過ぎた所。


「やっぱり、こりゃ相当参ってるぞ……ヤバいな」


 一昨日に来た1年生の話によるとリツコはお腹を鳴らして仕事をしていたらしい。昨日来た2年生が言うには空腹でうなだれていたそうだ。3年生が言うには購買で弾き飛ばされてべそをかいていたらしい。


(学生の話にからすると、今日くらいに限界が来るやろう……)


 冷凍した煮物・作り置きしたおかずを半解凍で弁当箱に盛り付ける。数日前に作って冷凍保存しておいたおから入りハンバーグも入れる。朝ごはん用にサンドイッチ、昼ご飯用にはボリューム満点のハンバーグ弁当。2つの大きなお弁当箱だ。


「さてと、ニャンコリツコさんにご飯を届けようかいなっと」


 普段より大盛りな弁当2つをゴリラのトップケースへ積んでひた走る大島。


「待ってろよ~大盛りのお弁当やぞ~ゴリラさん……かっ飛べっ!」


 今都嫌いで有名な男が今都へ行く。大島はリツコの為なら今都に行く事くらいなんでも無い。普段なら滅多に出さないスピードで愛車を駆る。大嫌いな今都を避けるよりもリツコに弁当を届ける方が大事だ。


(ちょっと悪い事をしたかもしれんな)


 少し後悔をしながらボヘボへと排気音を立てて校門をくぐると何やら騒ぎ声が聞こえた。


(職員室の方か?何か騒がしいな……問題でも起こったんか?)


「すいません、磯部の家族の者です。お弁当を渡してもらいたいのですが…」


 正面玄関から受付へ回った大島は事情を説明して弁当を届けてもらう事にした。


     ◆     ◆     ◆


「あの、こんな時にですけど、磯部先生にお届け物なんですが……うわっ」


 竹原に声をかけた事務員さんが驚くほどにリツコのメイクは乱れていた。涙・鼻水・よだれでグシャグシャになって嗚咽を上げている。


「先輩、お届け物ですって……ん?」

「ヒック……何よっ……こんな時に……グシュッ」


「先輩、顔が滅茶苦茶です。どうぞ」


 チ~~~ン!


 あまりにひどい顔になっているので顔を拭くように渡した竹原のハンカチは思いっ切り鼻をかまれて鼻水まみれになった。


「ありがとう」

「なんで鼻を……こっちはお届け物。昭和チックな買い物カゴですね」


 現在主流のエコバッグではなく、使い込んだ大島家の買い物カゴだ。


「あ、ウチのお買い物カゴ」

「はい、どうぞ」


 受け取った買い物カゴには弁当が2つ入っていた。

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