第203話 大島の誕生日

 5月11日は俺の誕生日だ。もしも何事も無く人生を過ごして来れたなら高校生くらいの子供が居て嫁さんの尻に敷かれている年ごろだろう。


(店が嫁さん、バイクが子供。寂しくなんかない……)


 いつもは忘れているか覚えていても少し良い肉を焼いて食べる程度だ。でも今年は一緒に過ごしてくれる女の子(?)が居る。せっかくだからいつもより豪華な晩御飯で少しだけはしゃいでみようかと思う。


 週が開けて少し忙しくなってきた。免許を取れた高校生のお母さん方の来店が多い。お母さん方にも高校時代にバイク通学していた世代が多くなってきた。つまり、俺より歳下って事だ。何となく一気に老けた様な気分になる。


「もう2ストの新車は無いんやね、私たちの頃は駐輪場はけむくって…」

「今都の子はカストロールを使ってたよね~甘~い良い匂いの奴」

「私もカブだったけど、まさか今までカブが有るなんてね~」

「おじさんの頃はバイク通学は駄目やったって?じゃあ先輩やん」


 まぁ、いろいろ言っているけれど、元バイク女子だけあってバイク通学への理解がある。送り迎えに手が掛からなくなるのが嬉しいみたいだ。


「そう言えば、私の後輩が言ってたんだけど『紅い弾丸娘』って知ってる?」

「何それ?」


『紅い弾丸娘』なんて聞いた事が無い。この奥様は何と30代だそうな。俺より10年近く時代が違うと世代も違う。この辺りまで年下になるとサッパリ事情が分からない。


「赤い小さなスクーターでブンブンと白煙と共に現れる女子が居たんだって」

「まぁ、ウチの娘はそんな事させない様にしなきゃ」


 結局、お母さん方が眼を付けたのは改造した4ストスクーターとスーパーカブ。2ストは煙が臭いのと音がうるさいので嫌がられてしまった。


 お母さん方は良く喋る。いつの間にか店の中は喫茶店状態。先代の頃の客も何人か居て俺の高校生時代を知る子も何人か居る。


「大島さんもここのお客さんだったよね?」

「うん、自転車通学してた頃やから古いな」


「私、大島さんが2人乗りして学校へ行ってたの見た事が有るで」

「そうですか…」


 いつまで経っても昔の思い出は俺の心をえぐる。表情に出てしまったのだろうか?奥様方はそれ以上昔の事は言わなくなってしまった。それからは旦那への愚痴やら姑さんの何たらかんたら。まぁ奥様方の会話の内容ははどの世代も同じだ。


(『紅い弾丸娘』ねぇ…彗星やったら3倍速いのになぁ…)


      ◆      ◆      ◆


「ただいまぁ…ふぅ…疲れた」

「おかえり」


 勇ましい排気音を響かせてリツコさんがご帰着だ。ずいぶん疲れているなぁ。


「今日はお疲れ?食欲無い?ちょっと重い晩御飯なんやけど…」

「ううん。頑張って仕事を片付けたの。明日が辛くならないようにね」


 明日は何か学校の行事でも在るのだろうか?


「お?オードブルとお寿司?もしかして手作り?」


 流石にこれは俺には作れない。自分を祝うために奮発した。


「今日ぐらい楽させてぇな。誕生日やでぇ」

「私も買って来た。ジャンッ!」


 リツコさんが出してきたのは藤樹商店街唯一のケーキ屋のホールケーキだった。


「ケーキや…」

「嫌なんて言わないよね?私も奮発したんだぞっと」


「ありがとう。嬉しい…」


 誕生日を祝われるなんて20年近く無かった。嬉しい。


「ジャンジャン食べてバリバリ呑もう!今日は誕生日や」

「お~!」


 オッサンの誕生日だからめでたい事も無いのだが、何かと理由を付けて美味い飯を誰かと食べるのは楽しい。願わくばリツコさんも良い人を見つけて楽しく暮らせますように。


 ケーキを食べてからは平常に戻った。楽しいひと時は終わり。少しお酒を飲み過ぎてしまった。お風呂掃除と洗濯は明日する事にしよう。


「さてと、寝るか…戸締りよし、ガスの元栓よし」


 自室に向かうと薄明かりがついている。


「スタンドを消し忘れたかなぁ…あれ?」


 布団がこんもりと盛り上がっている。まぁ誰が入っているかと言えば一人しかいないが。まったく、困ったお嬢ちゃんやなぁ。


「リツコさん?何で俺の布団に居るの?」

「……プレゼント」


「ケーキの他に何か有るの?なんで布団に入ってプレゼント?」


 掛け布団をめくるとリツコさんが出て来るわけだが、問題はその姿。


「……!」

「はい…プレゼント」


 布団から出て来たのは勝負下着と思われる黒の下着に身を包んだ…ほとんど包まれていないリツコさんだった。下着なのに全く隠せていない。大事な所が丸見えだ。下着の役目を果たしていない。


「……電気を消して…明るいと恥ずかしい…」

「ほとんど裸やん、何ちゅう格好してるんや。パジャマを着て」


 リツコさんの裸は何回か見ているのだが、下着姿と言うのは別物やな…卑猥だ。


「……プレゼント…要らないの?」


 要る要らんの問題じゃない。嫁入り前の娘さんがそんな格好で男の寝床に入ってどうする?只でさえ妙な噂が流れて誤解されてるのに!


「どうぞ…いらっしゃい…」

「…………」


 いらっしゃいって何やねん。処女おぼこが何言うてるねん。

 経験も無い女の子がそんな事言うても白けるのが分からんのか?


「……受け取ってくれないの?」


 もっと自分を大事にしてほしいなぁ。でも、断ったら傷付くかなぁ…


「『気持ちがこもっていたら何でもいい』って嘘だったの?」


 それでこの前念を押してたんか…


「酷い…嘘つき…」


 ヤバい、このままやとリツコさんが泣いてしまう。気まずい時間が流れる。


「嘘じゃないけどな、急ぎ過ぎやなぁ」

「急ぎ過ぎ?どこが?どうして?」


 どうしても何も心の準備ってものが在る。まぁ心以外にも必要な物は有るのだが。


「では、ありがたくプレゼントは頂戴します」

「…はい…」


「どんな事されても良いんやな?」

「……痛くしないでね……初めてなの…優しくしてね…」


     ☆     ☆     ☆     ☆


 この夜、私は『娘』から『女』になった。




 ……と。ところが中さんあの野郎ときたら…


「…はい、今日はここまで」

「え…?」


 何もしなかった。


「急がんでもええんと違う?じっくり行こう…」

「えっと…どう言う事?」


「何をしても良いんやろ?つまり何もしないのも有り。だから今日はここまで」

「ここまでって何?私はどうするの?ねぇ、中さん?中さん!」


 頑張って『殿方が欲情する方法』を実践したのに!お祖母ちゃんの嘘つき!お母さんがお父さんにした作戦は中さんに通じなかったよ!


「何もしないなんて酷い!乙女心が傷付いた!」

「何もしてない事は無い『先送り』した」


 何処かの御役所じゃあるまいし、『先送り』なんて何それ?


「ガッデム!」

「プロレスラーみたいに叫ばない。遅いんやからリツコさんも寝る。おやすみ」


 中さんは布団をグリグリと巻きつけてミノムシ状態。春巻き状態だ。一緒に寝る事も出来ない。完璧な防御態勢だ。守備力がガメゴンロード並みだ。アストロンだ。


「ちょっと!せめて一緒に寝るくらいはしなさいよ!」

「やかましい!両乳首をつねられながら叱られとう無かったら自分の布団で寝る!伸びるほど抓るでっ!抓ってからひねるで」


 叱られた。しかも乳首を抓るなんてどんな叱り方なの?

 ※説教の上を行く最上級の叱り方です


「自分の布団に戻らんのやったら力いっぱい抓るで」

「……中さんのバカ!中さんなんてもう知らない!」


 作戦は大失敗だ!セクシーな格好で迫って何やかんやでと思ったのに!

 この為に頑張って仕事を片付けておいたのに!いざとなったら明日は休むつもりでいたのに!


(中さんのバカ!〇〇〇!意気地なし!鈍感!×××!せめてチュー位しろっ!)


 結局私は自分の部屋に戻って寝た。下着?あんなスースーする下着なんて下着じゃない。お腹が冷える。おへそまであるパンツに履き替えて寝た。



     ☆     ☆     ☆


 夜が明けた。御台所から包丁の音が聞こえる。


「今朝は味噌汁…お出汁の効いた良い匂い…」


 今朝けさも中さんは普段と変わらない様子で朝ごはんを作っている。


「フンフンフ~ン♪」


 鼻歌もいつも通りだ。私もいつも通りに起きて彼の作る朝食を食べる。


「中さん、おはよう」

「はい、おはようさん。今日は起きれたなぁ」


 機嫌は悪くない…と思う。


「昨日はごめんね。驚いた?…何と言えば良いのかな?…嫌だった?」

「ん~?何の事や?」


 昨日の事など何も無かったかのようにいつもの朝が始まる。炊き立てご飯に御味噌汁。お弁当に詰め切れなかったウインナーや卵焼きの端っこ。ご近所から貰ったお漬物。これもいつも通り。


「リツコさんは『紅い弾丸娘』って知ってる?」

「ううん、知らない」


 いつもの様にいつもの会話。気を使ってくれてるのかな?触れないようにしてくれてるのかな?もう怒ってないのかな?私の事…嫌いになってないかな…。


「10年ちょっと前に高嶋高校に居た元気娘やってさ」

「ふ~ん、どんな大人になってるのかしらねぇ…」


 朝食を食べて朝の支度をする。お弁当を受け取って今日も仕事へ出かける。


「行ってきます」

「いってらっしゃい」


 それだけ?何だか腹が立って来た。ちょっとからかっちゃおうっと。


「行ってらっしゃいのチューは?」


 どうだ、参ったか。昨日の事を思い出して狼狽うろたえるが良い。


「ふむ…昨日のアレか…それじゃ…」


 顎をクイッとされて、私の唇と中さんの唇が重なった。舌が入ってくる…


「ん…ん…ん……あぁ…」


 まさかこんな所でファーストキスをするとは思わなかった。私の初めてのキスは味噌汁の味がした。鰹出汁の効いた和風テイストだ。なんでやねん。


「確かに受け取りました。行ってらっしゃい」


 ……駄目だ。この人にはかなわない。落とすどころか落とされた。


「……行ってきます」


 リトルカブは今日も絶好調。走り慣れた国道161号線を走って、今日も私の一日が始まる……


 ………ところで、『紅い弾丸娘』って誰の事だろう?聞いた事ないなぁ。




 ―――14年前の国道161号線―――


 ビィイィィィンビンビィィィィン…


 高嶋町から今都方面へ、女の子が乗った赤いスクーターが煙を吐いて走る。


 高嶋高校へ通っていたその女の子は『紅い弾丸』もしくは『紅い弾丸娘』と呼ばれていた。


「わあぁぁん!遅刻するぅぅぅ!」


『紅い弾丸』が乗っているスクーターは他より一回り小さな8インチタイヤ。エンジンは当時でも無くなり始めていた2ストロークエンジン。ヤマハのミントと言うおばちゃん向けの小さなスクーターだった。


「ミントちゃん、頑張れぇぇぇぇ!」


 2ストロークエンジンが吐き出す白煙と共に高校へ通う。その姿はまるで銃口から発射された弾丸だ。約2年半走り続けた女の子とヤマハミントは『紅い弾丸娘』と呼ばれて高嶋高校のちょっとした伝説となった。


 ――――そして月日は流れて現在――――


 その女子高生、大学へ進学した後に教師となっている。今は職員として高嶋高校へバイクで通勤中。乗っているバイクはミントではないのだが、元気な走りは健在だ。


「リトルちゃん、レッツGo!頑張れっ!」


 恋に通勤に弾丸の如く突っ走る…彼女の名は磯部リツコ。

 今日も元気に国道161号線を走る。


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