第146話 速人・珍品を買う
カブのエンジンを2機組んで自信を付けた速人。オークションで痛い目に会ったにも拘らず、また部品を買った。バイト代を全部使っているのではなかろうか。少々心配だ。
「お届け物で~す」
「ん?また速人が変なものを買ったんかな?」
受領印を押して荷物を受け取った。何やら強烈な油の匂いがする。母親が受け取ったら小言を言われること間違い無しだ。
「ブローバイ混じりのオイルの匂い。またエンジン関係やな」
C50クランクケースと記入されている箱を棚へ片付けた。
◆ ◆ ◆
「ふ~ん。それで速人は安曇河まで電車で来る訳だ」
「そう。最近、凍結防止剤が蒔かれてるから。モンキーが錆びちゃう」
「ああ、今の時期は酷いよな。雪かと思うくらい白いもんな」
「自転車も錆びちゃうもんね」
珍しく速人・理恵・亮二・綾の仲良し4人組が揃って安曇河駅で降りた。寒い事もあって高嶋高校生は電車通学が多い。
「モンキーのケースで運ぶのも面倒だからね」
「おっちゃんが『また変なもん買うて~』って言うんちゃう?」
「でも、家に来たらオバちゃんに叱られるかもね」
「まぁ、あのオッサンなら気にせんだろうし」
途中で茶菓子を買って大島サイクルへ向かう。もはや大島サイクルは4人にとっては喫茶店や駄菓子屋の感覚である。
「こんにちは……今日は寒いですね」
「おっちゃん?ヒーター入れてないの?」
4人が店を訪れると店内は冷え切っていた。しかもコーヒーの匂いではなく灯油の臭いがする。大島が何やら洗い油で洗っているのだ。
「すまん。これが臭くて臭くて堪らんかってな」
1月は大島の店では閑散期。バイクを登録すれば税金が1年分かかる。しかも雪で乗れない日が多く、乗れば融雪剤で錆びる冬季は修理も販売も少ない。それで、いつもはコーヒーを飲みながら中古車を商品化するのだが今日は別の作業をしている。
大島は届いた部品を洗浄していたのだ。
「オイルと腐ったガソリンが混じった匂いのする部品が届いてな」
洗い油に浸かっている部品はクランクケース。
「あ、もしかして?」
「また変なもんを買うて~お前は~」
◆ ◆
「コーヒーは私が淹れるから、ココアとお茶菓子は理恵が用意してね」
「うん。速人はおっちゃんの手伝いね。亮二はお菓子を出して」
「おう。それにしてもすごい量やな」
「さて、燃えるもんは片付けたからっと。速人、ヒーター点けてくれるか」
「はい。これですね」
大島が手を洗っている間、ヒーターが店内を温め始めた。
「速人の部品やけど、臭かったから洗わせてもらった」
新品とは言えないが、洗浄されてそれなりになったクランクケースが4人の前に置かれた。何の変哲もないカブの部品に見える。
「モンキーのミッションが使えるカブのクランクケースって出てたから買ったんです」
「珍しい部品なの?違いが解んない」
「私と亮二は違うバイクだから」
「興味が無い者からすると同じ物としか見えねぇ」
理恵には違いが解らず、綾ちゃんと佐藤君は興味が無い。解るのは速人だけ。
「ところがな、裏返すと違うのよ。ほれ」
カブのクランクケースではボールベアリングが入っている所にニードルローラーベアリングが入っている。
「ここのベアリングがカブとモンキーで違うからミッションの流用が出来ん訳や」
「これを狙って落札したんです。6V車らしいですけど、何とかなります?」
エンジン番号はC50で始まっているからカブに間違いは無いと思う。でも、ジェネレーターベースは最近の物が無加工で取り付けできそうだ。ニュートラルスイッチはカブ90やモンキーと同じ。
「不思議なクランクケースやな。12Vのモンキー用と違いが解らん」
「オッサンでもそんな事が有るんか?」
佐藤君が疑問に思うのは仕方が無い。町内一のカブを扱う店と自負しているけれど、残念ながら俺だって辞書じゃない。スーパーカブ60年の歴史の中には知らないことが山ほどある。
「う~ん、これは初めてやなぁ」
「おっちゃんでも在るんや。意外やね~」
店を構えていても知らない事は多い。調べても調べても疑問が尽きない。
(ホンダ横型エンジンとはここまで奥深い物か……)
「おっちゃんかて生まれて40年少々や。カブの方が年上や」
「スーパーカブが60周年だっけ?60年前のバイクが今も走ってるから凄いよね」
俺が先代からカブの事を教えてもらったのが92年頃。それからでも25年。
「カブ60年の歴史の前では25年なんてガキ同前かもしれんな」
「どうしておじさんはバイクを触り始めたんですか?」
「失業してる所を先代が拾ってくれたからやな」
「でも、25年前やったらおっちゃんは高校生の頃やん?」
先代が何故高校生だった俺に仕事を教えたのか解らない。
「おっさんがパンク修理に来たら先代が急に教えるって言いだしてな。もしかすると先代はこうなるのが解ってたんかもしれんな」
「その割には変わって無い気が…」
「ん?」
「なんでもない」
「で、どうする?これを取りにわざわざ電車で来たんやろ?」
「家へ持って帰ると母さんが煩いかもしれないんで」
速人のクランクケースはウチで預かることになった。部品を集めて組むらしい。親がうるさいのは昔も今も一緒と言ったところか。
「で、速人はこのケースをどうするのよ?」
「ケースだけじゃ走れないじゃない?中身は」
「そのうち言うよ。今言ったらつまらないもんね」
速人は何かを考えているらしい。
◆ ◆ ◆
御台所から中さんの鼻歌が聞こえる。
「♪~♪~♪~」
鼻歌が出るなんてご機嫌みたい。良い事が有ったのかな?
「今日は楽しそうね。何か良いことあったの?」
「うん。面白い部品を本田君が持って来てな。新発見やな」
今日の晩御飯はかやくご飯とお吸い物、出し巻き、焼き魚と和風だ。
「モンキーやカブの部品で新発見なんて珍しいわね」
「そうやな。新しい事が見つかると楽しいで」
新しい事も良いけれど定番も捨てがたい。出汁巻き卵には熱燗だ。
「カブのエンジン番号でモンキーのミッションが使える?珍しいの?」
「珍しい。社外品のミッションがより取り見取りやで」
中さんが興奮するのは珍しい。
「で、中身はどうするの?モンキーの部品って高いんでしょ?」
「そうやな。この前、オークションを見たらミッションが1万円を超えてた」
「ふ~ん何時もあると思ってたら生産終了でお宝になった訳ね」
「そうやな。昔みたいに気軽に触れん様になってしもた」
紅ショウガを載せた出汁巻きで熱燗を呑む。紅ショウガが在るだけでパンチが出て熱燗が更に進む。牛丼屋で紅生姜を山ほど食べる人が居るけど、解る気がする。
「磯部さんはカブのギヤ比ってどう思う?」
「ローが伸びないかな?発進が忙しいな」
中さんは言葉使いが元に戻ってから『リツコ』って呼んでくれない。
「そうなんや、1速がなぁ。そして4速が少しかったるいのを何とか……」
この人の頭の中はバイクの事ばかりだ。
また『リツコ』って呼んでくれないかなぁ。
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