第141話 気の毒なお客さん

 大島や磯部は仕事を始めているが、学生はまだ冬休み。免許を取った学生や帰省中の学生が訪れたりする。他に来るのはご近所の奥様方や婆ちゃんくらい。


 そんな大島サイクルに珍しく若い女性が訪れた。


「すいません、ここで買ったバイクじゃないですけど診てもらえますか?」

「いいですけど、どこで買ったバイクですか?」


 もしもTataniの客ならお断りさせてもらう。別の店で買ってウチへ来たなら理由次第で引き受ける。


「オークションで買ったんです」

「なるほど、カブやな」


 オークションで買うのは悪くは無いが素人にはお勧めできない。現物確認して買ううのが基本。見る・聞く・匂うの3つをせずにバイクを買うのは怖い。


「見てみましょう。見るだけやったらお金は要りませんよ」

「はい。お願いします」


 依頼者が嘘偽りなくバイクの出所を話すなら余程でなければ引き受ける。その代わり、騙して来るような輩には容赦ないのがうちのスタイル。


「何が起こったのか教えてくれるかな?」

「オークションで買ったのを動かそうと思ったんですけど…」


『難あり』『エンジン始動確認無し』『放置するまでは実動』だが、格安だったので購入したスーパーカブだが、キーを回しても電気周りは反応が無く、キックも降りないので電話帳を見たり、ご近所に聞いたりして来てくれたそうだ。


「出品者が近くで、送料が要らないから安上がりだと思ったんです」

「なるほどな。放置するまで実動ってのが怪しいな」


 放置するまでは実動。逆に言えば動かなくなったから放置したとも取れる。


「エンジンをチェックしようとしたらボルトを舐めてしまって」

「どうにもならずウチへ来たと」


 オイルを抜こうとしたのだろう。ドレンボルトが舐めていた。


「そうなんです。ごめんなさい」

「謝る事なんか無いで。これは前の持ち主が悪い」


 ドレンボルトのアルミパッキンが潰れ切っている。


(オイル漏れが怖くて思いっきり締めたか)


 素直なお客さんだ。恥を忍んで頼って来てくれた訳だ。助けない訳にはいかない。


「よし、やってみよう。エンジンを見てどうするか考えましょう」

「お願いします」


「少し時間が掛かるけど、一旦帰りますか?」

「時間は大丈夫ですから、見せてください」


 コーヒーを飲みながら待ってもらう事にする。


「ところで、近くの出品者って何処の人ですか?ちょっと酷いですね」

蒼柳あおやぎの人です」


「私も実家は蒼柳あおやぎですよ、そんな悪い事する人居たかな?」

「蒼柳って広いんですね。結構な距離を歩きました」


「お嬢さんは何処の人かな?見た事の無い顔やけど」

「私は越してきたんです。蒼柳小学校裏の団地に来ました」


 蒼柳小学校裏から結構な距離を歩く蒼柳区と言えば……


(レイクサイドタウンなら有り得る)


 レイクサイドタウンと言えば、あまり良い評判の聞かない新興住宅地。哀しいかな我が安曇河にも評判の悪い輩が居る。全部が全部とは言わないが、よそから越してきた人の中には街に馴染まず我を通す者も稀に居る。一部のならず者おかげで移住者が白い目で見られるのは気の毒だが、その一部はそんな事も気にしない面の皮の厚い連中だ。


 就職か結婚で越してきたのだろう。歳は20代後半といったところだろう。公共交通機関の不便な高嶋市に来て足代わりに買ったと言ったところか。なんとなくこのカブに見覚えがある。カブなんてどこでも走ってる等と言うなかれ。道具は使う者の個性が出る。同じカブでも1台1台が違う。


「もしかすると学校の先生から買いませんでしたか?」

「そうです!知ってるんですか?」


 以前、飛び込み修理でタダでで直せとか言って来たクソガキのカブだ。教師とか何とか言ってたけど、悪い事するなぁ。大方勉強ばかりして人を蹴落として生きて来たのだろう。


「少し前にウチへ来た人です。これは開けるまでも無いですね」

「ボアアップ済みが安くで買えたと思ったのに」


 何だか気の毒に思えてきた。『安価につきノークレームで』とかやろうな。


「いくらで買ったんですか?」

「4万円です。安いから飛びついてしまったんです」


「4万円のカブやと危ない価格帯やな」


 最近、キャブ時代のカブまで値上がりし始めた。新しいカブが出て古い車体が淘汰されると思ったが違うらしい。旧車として人気が出て来た。とは言えスーパーカブに10万円も出す人は少ない。4万円なら難が有っても気になる値段だ。難ありで不動でも『カブなら何とかなる』と買ってしまう価格帯だ。


「じゃあ、予算通りのカブを買ったと思って整備しますか?」

「あと4万円で直せるんですか?」


「何を求めるか聞かんと解らんけど……条件を聞こうか」

「時間は掛かっても良いので出来るだけ安くボアアップで2種にしてください」


「OK、やってみよう。一応、免許は確認させてな」

「はい」


 免許は普通自動二輪があるからボアアップしても大丈夫。宮崎から来た人か。


「とりあえず代車を出しますんで、2週間ほど待ってもらえますか」

「はい。代車さえあれば時間はかかっても大丈夫です」


 念の為、免許をコピーさせてもらった。


椛島かばしまさんですね。店主の大島です。よろしく」

「はい。よろしくお願いします」


 先に手付金を渡すと言われたので2万円預かった。工賃込みで4万円の仕事だ。

 念の為に他の悪そうな所も見ておくことになった。


 椛島さんを見送ってから持ち込まれたカブをチェックする。


(下手に弄ってないのが幸いしたな。エンジンだけで何とかなりそうや)


 幸いエンジン以外は触った形跡が無い。このエンジンは部品取りにする。


「程度の良かったカブを買って下手な弄り方で壊したんやな」


 ベアリングを交換してあるケースへ降ろしたエンジンから使える部品を移植。使えない部品は交換。念の為、クランクは中古良品を組む。パッキン・ガスケットは新品にしてエンジン腰下は完成させておいてボーリングしたシリンダーとオーバーサイズのピストンの到着を待つ。


「さて、ド素人が弄り壊したエンジンはどないかな?」


 部品取りのエンジンを観察する。やはり素人整備は怖い。組まれていたシリンダーキットは75㏄。物自体は悪くない。だが、組み付け方が最悪だ。


(ピストンリングの合口が揃ってる。120°ずらさんとアカンのに)


 ピストンヘッドには思い切り打痕がある。ヘッドに干渉したのだろう。


(6V用のボアアップキットを組んだのかな)


 ピストンを動かすシリンダーから飛び出た。部品間違い確定だ。


 この手の弄り壊されたエンジンを見ると悲しくなる。


「作業するのにメモも取らず、マニュアルも読まん人やったんかな」


 細かなゴムパッキンが入っていない所もある。締まっていなかったボルトもある。

 当然オイルポンプも50用のままだった。


 エンジンが掛からなくて良かったと思う。これは危ない。

 

   ◆     ◆     ◆


「そんなに危ないエンジンだった訳?」

「うん。見てるだけで悲しくなるエンジンやったな」


 今日の晩御飯はトマト鍋。初めて出て来るメニューだ。


「イタリアンって感じの鍋になったな。海鮮物と相性が良い」

「お餅とも合うのね。魚の御出汁が効いて美味しいね」


 中さんの元気が無い。こんな日は聞き役に徹した方が良いのかな。


「締めはリゾットにしようか。チーズを出さんとな」

「うん」


 鍋にご飯が入れられて上からチーズがまぶされる。


「速人じゃないけど、オークションは怖いで」

「安曇河にもそんな人がいるのねぇ、学校の先生だっけ?」


「らしいな」

「私のネットワークで誰か調べようか?」


「クズ野郎や……調べる価値なんか無い」

「そう」


「なんて言うかな、安曇河にもいろんな奴が居ると思ってたけどな。」

「うん」


「人を騙して金儲けする奴が居るとは思ってなかった」

「……」


 今日の晩御飯は美味しかった。でも何だか味気なかった。

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