第140話 営業始め

正月3が日が終わって日常が戻った。


「学校の先生って生徒と同じ休みと思ってた」

「新学期の準備があるから普通に仕事よ」


なるほど。それもそうか。


いつものルーティーンを終えて変身した磯部さんにお弁当を渡す。


「あれ?お化粧変えた?」

「ちょっとだけ薄目にしてみた。似合う?」


口紅は淡い色。髪型は変わらないけど眼元のメイクもナチュラルな感じだ。

暖かそうなニットに長いスカートでお嬢さんっぽい格好だ。


「可愛いですよ。はい、お弁当」

「……行ってきます」


「行ってらっしゃい」

磯部さんを送り出した後は開店の準備。コンプレッサーに電源を入れて

シャッターを開ける。朝の冷えた空気が作業場へ流れ込む。


お泊りしている葛城さんはまだ寝ている。年末年始の特別警戒で疲れたのだろう。

今日は休みらしいから寝させておこう。


「おはようさん。正月も終わったなぁ」

「おはようさん。今年もよろしくお願いします」


御近所の婆さま方と新年のあいさつをする。


「昨日は大騒ぎやったな。娘さんを困らせたらアカンわ」

「上で大声を出されて手元が狂ったんや」


昨日のゴキブリ騒動の事を注意されてしまった。


「上…積極的な娘さんやな」


普通だと思う。積極的にゴキブリ退治をする女の子なんて少数だ。


「そうか。上に乗って外に出せとは難しい事を言う娘やな」

「ホンマやで。(背中の)上に乗られて(ゴキブリを)外に(追い)出すなんて無理や」


話が嚙み合っていない気がするが、年寄りなんてこんなもんだろう。


今年は新しいアプローチでの修理・カスタムに挑戦しようと思う。


まずは50㏄シリンダーをボーリングして1㎜オーバーサイズピストンを使って

腰下手付かずで出来る費用節減タイプの2種登録用エンジンの製作。


もう一つは純正部品の組み合せで作るイージードライブと楽しさを追い求めたエンジン。

遠心クラッチとモンキー用腰下を組み合わせた遠心4速クロスミッション。


(52㏄にするシリンダーはまとめてボーリングに出して、ピストンは到着待ち)


倉庫でモンキーの腰下を探す。残念ながら無い様だ。


(モンキーの物は危機の時に売り飛ばしたからな。仕方ないな)


店がピンチになった時にモンキーのお宝部品は売ってしまった。

今思うと先代は困った時の為に部品を貯め込んでいてくれたのかもしれない。


二兎追う物は一兎も得ずと言う。

「とりあえず、遠心純正クロスは後にするか」


家の方でゴソゴソと音がする。葛城さんが起きたらしい。

「おはようございます」

「おはようさん。ご飯にする?パンの方が良いかな?」


「パンが良いです。ジャムは在りますか?」


葛城さんはパンを選択した。

パンにジャム。それと牛乳の軽い朝食を終えて彼女は着替えた。

今日は何の予定も無いらしく、作業場の椅子に座ってボ~っとしている。


「女の子がボ~っとして、何か予定は無いんか?」

「無いんです。平日の不定期な休日だと友達と会わなくって」


トレーナーに洗いざらしのジーンズ。ライダーズジャケットを羽織った葛城さん。

ノーメイクだと全く女性に見えない。


「ねぇ、おじさん」

「ん?」


「リツコちゃんと過ごしてみてどうでしたか?」

「俺も男やからな。嫌じゃない」


「リツコちゃんを抱きたいとは思わないんですか?」

「寝惚けてるんやったらコーヒー飲むか?」


冗談にもほどが有る。俺みたいなおっさんが手を出したら向こうはどうなる。


「真剣に聞いてるんだから、ふざけないで」

「磯部さんは姪っ子みたいなもん。子供やがな」


「たぶん、リツコちゃんはおじさんの事が好きですよ」

「おっさんをからかってるだけやと思うで」


「そうかなぁ」

「仮にそうやったとしても無理な話やな」


「どうして?歳の差なんか好きになれば…」

「磯部さんの求める事を叶える事が出来ない。耳下腺炎って知ってる?」


店を継いでしばらく経った頃、耳下腺炎にかかった。俗に言うおたふく風邪だ。

成人男子が感染すると睾丸炎を併発して男性不妊症になる事が有る。


「治ってから検査したら駄目になってた」

「そんな事になるんだ…」


「何かな、『お前は一生1人で生きて行け』って言われた気がしたんや」

「…」


「30歳やったらまだ若い。結婚して家庭を築ける男と結ばれんとアカン」

「…そう」


葛城さんはぼんやりと外を見ている。

しばらくすると葛城さんを見つけたご近所の奥様方が集まり始めた。


ここからはおやつタイムがスタート。いろいろな差し入れが来る。

奥様方と葛城さんが交流している間、俺は作業を続ける。


ポロロロ…トントントントン…プス 誰かが来た。


「あら、今日は大賑わいやなぁ」

「お、婆ちゃん。珍しい。今日はどうしたんや?」


「自転車のカタログが見とうてな」

「自転車?ちょっと待ってや」


何となく婆ちゃんの様子がおかしい。少し元気が無い。


「どうしたんや。元気が無いがな」

「…もうバイクはお終い。自転車に乗る」


高齢者講習で次回の免許更新は止めた方が良いと言われたそうだ。


「事故を起こす前に免許を返そうかと思ってたしなぁ」


去年、婆ちゃんはクランクケースを岩にぶつけてエンジンを交換している。


「通れると思った所で擦ったり、気が付くと傷が増えててな」


加齢で感覚が鈍っていると教習所で指摘されて確信したらしい。


「スピードを出すのも怖いし、それやったら三輪の自転車にしようと思ってな」


誰が言い始めたのだろう。『バイク乗りはカブに始まりカブに終わる』

カブ系を得意とする大島サイクルの客は始まりと終わりの客が多い。


婆ちゃんはカタログを持って帰って行った。


「さてと、そろそろ帰ろっかな」

「ゆっくりして行ったら良いのに」


「そうもいかないんですよ。お掃除もしなきゃだし…」

仕事で忙しくて家事が溜まっていると葛城さんは帰った。


葛城さんが帰ると奥様達も帰ってしまう。店は急に静かになった。

中古のスクーターの商品化。足りない部品の注文、晩御飯の準備。

思いもよらない来客もある。


「おい、大島君」

「あ、社長。明けましておめでとうございます」


高村社長だ。


車輪の会ホイラーズクラブで新年会をするぞ。顔を出せよ」

「何日ですか?飯の支度があるんで」


「メシの支度?聞いてるぞ。そのも連れて来い」

「でも、向こうも都合が在りま…」


「問答無用。御意見無用。連れて来い。その為の新年会や」

「了解しました」


日付と時間の印刷された紙を俺に付きつけて高村社長は帰った。


     ◆     ◆     ◆


「ふ~ん。土曜日の19時スタートね。良いよ」

「あの、車関係の野郎ばかりやから荒気ない世界やで?」


「お酒は出るのかな?」

「新年会やしなぁ。出るやろうな」

酒が出るから余計に心配なのだ。どいつもこいつも蟒蛇うわばみだから。


「よ~し、本気で呑んじゃうぞっ!」

「頼むから止めてください」


「大丈夫よ。あの時は空きっ腹で呑んだから酔っただけ。

 牛乳を先に呑めば倍呑んでも平気だから安心してね」


(倍も呑むんか…)


大島は泥酔したリツコを思い出してゾッとした。


「土曜日に呑むなら、日・月も祝日だから今日も泊まるね」


どうやら今度の連休明けまで泊まる気らしい。


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