58 祭りの夜の警告
次の目的地であるザンバー星系に繋がる《ゲート》を目前にした《ミーバ・ナゴス》の艦橋には、エルナの姿があった。タケルは、エルナの後方でガルタと共に護衛の任にあたっていた。安全が確保されている艦橋で護衛は必要ないのだが、この後に予定されている行事のために儀式的に立っているのだ。
「次元位相転移エンジン始動」
「転移準備よし!」
「エルナ様、指示を」
転移の指示は艦長の仕事だ。しかし、《ミーバ・ナゴス》はエルナの専用艦だ。エルナが艦橋にいれば、艦長は転移指示をエルナに下してもらうことにしている。
「判りました。ザンバー星系に向けて、転移開始してください」
「転移開始!」
エルナの指示で、広報誌が次元位相転移エンジンを臨界まで持っていく。《ミーバ・ナゴス》が次元の位相を飛び越えると、《ゲート》に吸い込まれる。もし、その様子を《ミーバ・ナゴス》から離れた場所で観察している者がいれば、艦の輪郭がぼやけたように見えた次の瞬間、巨大な船体がかき消えるところを目撃しただろう。
そして、艦はザンバー星系に現れる。
艦橋では、スタッフが跳躍後の操作に取りかかっている。以前は、跳躍後に軽い酩酊感を感じていたタケルだったが、すでに慣れたことで酩酊感はまったく感じなくなっていた。
「通信あり、送信元はザンバー星系駐留軍です。プロジェクションによる通信を求めています」
通信士がエルナにそう伝えると、エルナは大きく頷いた。
「許可します」
相手先にプロジェクション通信を許可すると、艦橋の真ん中、エルナの目の前に二人の男が突然現れた。非常にリアルだが、実体ではない。
「エルナ皇女殿下におかれましては、ごきげんうるわしゅう」
男たちは、床に片膝をついて臣下の礼をとった。
「お出迎え、ごくろうです。どうぞ、楽にしてください」
エルナの言葉に、男たちが顔を上げる。二人のうち、明らかに年齢が上の男はがっしりとした体型で、いかにも軍人という雰囲気を醸し出している。その顔には過酷な経験を思わせる皺が深く刻まれており、短髪に切り揃えた紙もほぼ白い。一方、若い方の男は、対照的に苦労を知らないようなさわやかな印象を受ける。どちらの男も似た顔つきをしていた。
『年上の方が、アーロニー
15年ほど前、トワ帝国が支配するシミオドリア星系に、隣接するジャスター共和体が突如侵攻してきた。運悪く、駐留軍の大半が別の星系で起きた災害への対応で出払っていたため、ジャスター側の一方的な蹂躙で集結するかに見えた。後に“シミオドリア戦役”として知られるその戦争において、ターニングポイントとなったのは、シミオドリア星系第二惑星の地上軍による抵抗が、ジャスター共和体の予想よりも大きかったことだ。当時、
『
「ん?それって……」
『後ろに控えている息子を姫様の婿に、ということだ』
トワ帝国の次期皇帝は、皇族の中から決められる。それが人の手ではなく、“始祖”の遺産によるものということが、タケルにはどうしても納得できないのだが、それはそれとして、現在の四皇女それぞれが、次期皇帝の可能性を持っている以上、他家に嫁ぐことはできない。従って、皇族と婚姻関係を望むなら婿に入るしかないのだ。しかも、ミルヴァール第一皇女はすでに結婚しており、エイダ第二皇女にも婚約者がいる。第四皇女のエクルスはまだ幼い、となれば、第三皇女であるエルナがターゲットになるのも必然だ。
『アーロニー
タケルはドナリエルの言葉に、「ふーん」としか返せなかった。ドナリエルが何を言いたいのかよく判らない。ただなんとなく、ムカムカする。気に入らない。やはり、きちんとしなければいけないな、とタケルは思う。タケルとエルナ、二人の気持ちは同じだし、皇帝にも認められているはず。正式に二人が婚約したことを内外に示せば、こんな煩わしい思いをしなくてもいいはずだ。
「そういえば、おばぁちゃんにはちゃんと言ってなかった……」
祖母にも報告しなければ。それに妹にも。大丈夫だとは思うけれど……。
タケルが物思いに耽っている間に、アーロニー父子の挨拶は終わったようだ。彼らの艦が第四惑星ザンバー4まで先導してくれるらしい。
「偉大なる主星系におられるような気分で、ゆっくりとおくつろぎください」
そう言い残して、二人のプロジェクションは消えた。
「ふぅっ……」
エルナが小さくため息を漏らす。彼女にとって、こうしたやりとりは苦手とするところだ。外交は第一皇女が得意とするところなのだが、エルナの父、バンダーン皇帝はエルナにも外交術を学ばせたいらしい。
ともあれ、とりあえず彼女の仕事は一段落ついた。ザンバー4に着くまではゆっくりとできる。エルナは後ろを振り返って、タケルに微笑みかけた。
◇
ザンバー星系は、トワ帝国における重要な軍事拠点の一つで、さまざまな軍事施設を持つと同時に、星系内の各所には資源採掘の施設が点在している。たとえ外敵が攻めてきたとしても、何年も籠城戦を戦えるほど物資も充実している。そのため、軍関係者だけでなく、それをサポートする人々や商人たちも集まっている。
《ミーバ・ナゴス》は、この星系で乗員の3分の1が交代する。これまでの行程の中でも少しずつ人員の交代が行われてきたが、ザンバー星系での交代は最大規模だ。人員だけでなく、船体の保守や整備も行われるため、2週間滞在することになる。その間、交代する人員を含めて、乗員全員が休暇を取る。ザンバー4への上陸許可も出ている。
「だからね、宇宙艦乗りでもさ、こうして地面に足を付けて騒ぎたい時もあるのよ!わかるか?オイ」
「飲み過ぎですよ、
タケルは、《ミーバ・ナゴス》の乗員、ダーレッド
今回の交代で、二人ともトワ星系に戻ることになっているので、タケルは送別会の意味も込めて付き合っている。ちなみに、エルナは公務でザンバーの帝国軍部を訪問しているため、祭りに参加することはできなかった。
昼から男三人でカーニバルのようなパレードや催し物を見て、夕方からはこの店で地元の食べ物を堪能していた。タケル以外の二人は、食べ物だけでなく地酒も堪能している。少々飲み過ぎのようだが。
「地面に張り付いたままの
「しーっ!
ダーレッド
トワ帝国には、大きく分けて二つの軍がある。一つは、惑星の大気圏内における軍事を担う
「ダーレッドは、少し酔いを覚ました方がいいよ」
タケルの言葉を聞いたダーレッドは、タケルに絡み出す。
「あぁっ?タケルよぅ、お前もいつかは軍にはいるんだろぅ?なぁなぁ、もちろん
この旅が終われば、タケルは軍に入隊し訓練を受けることになる。皇帝や騎士団長らとも約束していることを、破るという考えをタケルは持っていない。しかし、地球では軍の訓練を受けたこともないし、帝国の軍事訓練がどのようなものなのかも知らない。ドナリエルに聞くことは簡単だが、聞きたくないし聞いても答えをはぐらかされそうだ。そう考えたタケルは、少しずつ情報を集めているところなのだ。
「まだ、決めていないよ」
「航宙艦乗りになれば、いろいろな星系に行けて、いろんな経験ができるぞぉ。俺はサンジャに行ったこともあるんだぞぉ。良いところだ、あそこは」
サンジャは別名“悦楽星系”などと呼ばれる星系で、男女中性の性別や種族、年齢、趣味趣向問わず、あらゆる者へある種のサービスが提供されるという。“堕落の沼”と呼んで蔑む者も少なくない。
トワ帝国の領域からは、
「確かにあそこは愉しいですよ、金さえあれば」と言うルフレイフ
「そんなこともあったなぁ~今では良い思い出だぁ」
「記憶を改竄しないでください。後始末が大変だったじゃないですか」
サンジャ星系でのトラブルがなければ、ダーレッドはもっと出世していたはずだとルフレイフ。その巻き添えで、自分も出世できないのだと愚痴を言う。
「まぁ、タケルの場合は
「そうですね、あまり興味ありませんし」
「あ、
「あぁんっ?!そんなもん、あるわけねぇだろぉ」
ルフレイフの言葉に、ダーレッドが噛みつく。
「ふふ。女性との出会いが多いことですよ」
反論しかけたダーレッドが、その口を閉じた。
「そっちも、ボクにはあまり関係ありませんね」
タケルの言葉に、ケッ!と小さく呟いたダーレッドは、自分の《識章》を叩いて「酒だ!おかわり持ってこい!」と注文した。店内に入った時から《識章》は、店のシステムに接続している。サンジャ星系の失敗以降、ダーレッドの《識章》には限度を超えた支払を阻止する機能が加えられたらしい。ついでに飲み過ぎを警告する設定にしておけばいいのに、とタケルが言うと、「上司に具申しておきましょう」とルフレイフは答えた。
それから一時間、彼らは大いに食べ、大いに飲んだ。タケルは非アルコール飲料だったが。すでにダーレッド
「ちょっと失礼しますよっと……」
「ごゆっくり~」
トイレに立ったルフレイフ
そんな物思いに耽っていたタケルの前に、人の気配があった。最初は、
「……席をお間違えですよ」
さっきまで
「あなたに会いに来たのですよ。タケル殿」
タケルはとっさに右手の《識章》と叩いた。緊急事態を知らせる信号が、《ミーバ・ナゴス》と最寄りの警備に伝えられる……はずだった。
『信号が妨害されているぞ!』
久しぶりに、ドナリエルの声が頭の中で響いた。タケルは、頭の中で一から五までゆっくり数え、手、腕、肩と力を抜きながら、深呼吸をした。祖父直伝、平常心を取り戻す方法だ。
「これまでにお会いしたことはないと思うのですが、どちら様ですか?」
「警戒させてしまいましたな、申し訳ない。私は、始祖教の司教を勤めております、マルコラスと申します」
「始祖教?」
確か、始祖の教えを広めるための宗教、だったはず。始祖の遺産によって支えられているトワ帝国にあって、手厚く保護されている宗教とタケルは聞いている。
「我々のことをどのように聞いていらっしゃるかは判りませんが、貴殿に危害を加えるつもりはありません。……既にお気づきかとは思いますが、信号の妨害は単なる安全処置ですよ」
椅子に座り直すタケル。椅子は少し下げておいて、いつでも立ち上がれるように身構える。いざとなれば、左腕の緑光丸を使って攻撃はできるだろう。しかし、老人の隣には、ダーレッド
「不意打ちを仕掛けてくるような人を信じろとおっしゃる?危害を加えないなら、連絡を妨害するようなことをしなくても良いのではないですか?」
言外に、信用できないから立ち去れと言うタケルだったが、マルコラスと名乗った老人は泰然自若とした姿勢を崩さなかった。
「少しだけ、お話を……いや、警告を差し上げるために参ったのです」
マルコラスの話が見えない。警告?何のことだろう?タケルが無言でいると、老人は一人で話し出した。
「時間もないので、手短にお伝えしましょう。貴殿は貴殿が考えておられる以上に、様々な組織に注目されているのですよ。それは、始祖教の内部でも同じ。いや、他の組織よりも注意深く監視していると言ってよいでしょう」
「“銀河の侍”?」
皇帝の差し金で作り出されたプロパガンダ小説の名を挙げるタケルに、老人がニヤリと笑いを返す。
「あれはあれで興味深いものですが、過度に誇張されて実体とかけ離れていますな」
「……ボクなんかに注目する理由が分からないんですけど?」
マルコラスは微笑んだまま、しかし、その目は鋭く光っている。その瞳の奥では、様々な思惑が巡っているのだろう。
「それは、我らの秘中の秘たる内容に触れてしまいますので、お話はできません。ただ、現状そうなっていると、思っていただければ」
何とも不明瞭な言葉である。もちろんタケルが納得できるはずもなく。自分が知らないところで、知らない他人に行動が見られているのかと思うと、憤りを感じてしまう。
「……注目されているから、行動には気をつけろ、ということですか?」
「いえ……言いにくいのですが、我らの中にタケル殿を攻撃しようとしているものがいるのです」
「なぜそれを貴方が?」
「私や私の仲間は、貴殿と友好的な関係を築いていきたいと考えているのです。貴殿を攻撃しようとしている過激派の行動は、我々穏健派の成果を台無しにするものなのですよ」
「始祖教も一枚岩ではないと?」
「残念ながら」
マルコラス司教の言葉を聞いて、タケルは手にしたコップを煽る。
「その過激派は、どんな風にボクを攻撃しようとしているのですか?」
老人は、頭を左右に振りながら、残念そうに話す。
「そこまでは、なんとも。分かり次第ご連絡をさせていただきたいと思っております」
マルコラスを信じるか、信じないか。信じないとして、もし本当に攻撃があったらどうするか。信じて準備をしたが、攻撃がなかった場合とリスク評価してみれば、無駄になるとしても彼の言葉を信じて準備しておく方がいい。
「会ったばかりの貴方を全面的に信じることはできませんが、備えはしておきましょう」
マルコラス司教は、頭を下げる。
「ありがとうございます。今は、それだけで結構です。手遅れにならないよう、私も情報を掴んだらすぐにご連絡差し上げます」
そう言いながら、席を立つマルコラスだったが、数歩歩いたところで思い出したように振り返ってタケルに話しかけた。
「もう一人のお友達は、トイレで気を失っておいでです。では」
◇
マルコラス司教の言葉通り、ルフレイフ
タケルは、叩き起こしたダーレッドと二人でルフレイフを宿まで運んだ。
次の日の朝、宿から《ミーバ・ナゴス》が係留されているドッグまで戻る
「まぁ、怪我がなくてなによりだよ」
このままだとつかみ合いの喧嘩を始めそうな勢いだったので、タケルが話題を変えた。
「そうだな。酒のせいとは言いたくないが、少し酒は控えよう」
「
「えっ?俺も?!」
「隣に人が座っても気が付かないくらい熟睡してたでしょ、あなたは」
隣のシートで二人の漫才を聞きながら、タケルはこれからの事を考える。始祖教から接触があったことは、エルナにも伝えなければならないだろう。しかし、どのような攻撃がいつ来るのかまったく判らない状態では、警戒のしようがない。ドナリエルも昨日の晩から『少し考えさせろ』と黙ったままだ。
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