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(……お金は、あんまり使いたくないんだけどな)
僕は大学の学費と生活費を親に出してもらっている。そのことに、僕は罪悪感を感じている。両親のことは嫌いなわけではない。両親も僕のことを嫌いではないと思う。けれど、溝がある。どうしても越えることのできない溝が。
僕がいつまで経っても女の子らしい恰好をせず、男か女かわからない恰好をし続けることを、父はどう思っただろうか。僕がいつまで経っても自分のことを私ではなく僕と言いつづけることを、母はどう思っただろうか。
これらのことについて、両親から表立って非難されたことはない。しかし、踏み込んで聞いてくれたこともない。きっと両親は怖かったのだろうと思う。これらのことについて僕に聞いてしまえば、僕が自分達では理解できない何かであると確定してしまうかもしれないから。だから、はっきりさせることなく、ただそのままにした。僕は僕で両親との関係が破綻してしまうのは嫌だったから、自分のことを詳しく両親に話すことはなかった。
(――それでも、踏み出すべきなんだろうか)
両親が僕に何かしてくれる度、申し訳なさが募る。その根幹にあるのは、きっと両親の望む子供の形ではないであろう自分への嫌悪だ。だから、僕はバイトを始めた。自分で稼いだお金で生活費を工面すれば、その分だけ罪が軽くなるような気がしたからだ。バイト代とはそのためのお金だ。そのお金を、まさかぬいぐるみに使ってしまうなんて。
(一体、何がどうなってるんだろう)
おそらく原因は先週の一件。僕を見守り続けた喪服の女が消え去ったあの時から、何かがおかしくなった――
「……様、お客様、大丈夫ですか?」
店の女性の声で、僕は我に返った。どうやら店のレジの前でずっと思考に耽っていたらしい。目の前には丁寧にラッピングされた梟のぬいぐるみが置いてある。
「す、すいません。その、疲れてて」
「それはよくありませんね。ご自宅に戻られましたら、どうかよくお休みになってください。それと是非この子も一緒に連れていってはいただけませんか?」
店の女性はそう言うと、ラッピングされた梟のぬいぐるみよりも二回りほど小さい包みをレジに置いた。
「……あの、これはどういうことでしょうか?」
僕がそう尋ねると、店の女性は諭すように僕に言った。
「そのままの意味です。この子も一緒にお客様のご自宅へ連れて帰ってはいただけないかと」
「……えっと、その包みの中身はぬいぐるみですよね。僕には二個もいっぺんに買うような余裕はなくて」
店の女性はクスリ、と笑って言った。
「代金はいただきませんよ。ただ連れて帰っていただければそれでいいのです」
言っている意味がわからなかった。商品の代金はいらない? それではただ店が損するだけじゃないか。
「……そんなことをして、何か得があるんでしょうか」
僕の質問に、店の女性はラッピングした梟のぬいぐるみに置いた右手をなでるように動かしてから、答えた。
「お客様。人間が一人でいると孤独を感じるように、ぬいぐるみもまた一人でいると孤独を感じるものなのです。これはぬいぐるみにも魂が宿るとかそういった類の話ではありません。ぬいぐるみを孤独にさせるのは、ぬいぐるみを購入されたお客様の心なのです。小さなお子様ならともかく、普通お客様がぬいぐるみと常に一緒にいることは困難です。するとお客様の心にぬいぐるみをずっと一人にしてしまった、という自責の念が生まれます。その自責の念を抱いたままぬいぐるみと接すると、ぬいぐるみの目に輝きが感じられなかったり、毛並みが悪く見えたり、抱いた時にゴワゴワしているように思えたりと、ぬいぐるみに悪い印象ばかり抱いてしまいます。その悪い印象が積み重なることでお客様とぬいぐるみとの触れ合いが減っていき、とうとうお客様はぬいぐるみを手放してしまう――ぬいぐるみが孤独を感じるとは、そういうことなのです。ですがそこにもう一人のぬいぐるみがいればどうでしょう? お客様が側にいない時でもぬいぐるみ同士で仲良く過ごすことができると思えば、自責の念は生じません。当然ぬいぐるみに悪い印象も抱きません。そうすればお客様とぬいぐるみは長い時間を共に過ごすことができます。だからこそ、ぬいぐるみには絶対にパートナーとなるぬいぐるみが必要なのです。販売する商品になんの誇りも持っていない店であれば、商品を正しく使うために必要なものにも値段を設定するでしょうが、当店はそうではありません。ぬいぐるみを購入していただいた以上はぬいぐるみと可能な限り長く一緒にいていただけるためのサービスを無料で提供する――その程度のサービスもできないのであればぬいぐるみの専門店を名乗るべきではありませんし、その点当店は紛れもなくぬいぐるみの専門店です。ご納得いただけましたか?」
店の女性は噛むことも息を乱すこともなく説明を終えた。改めて、すごい店員さんのいる店に入ってしまったのだな、という思いが湧き上がってきた。
「……はぁ、その、そこまで言われてしまっては、納得するしかありません。なんというかもう、ありがとうございます、としか」
「お客様。そう仰っていただけるのは大変ありがたいのですが、どうかこれからはその感謝の言葉をぬいぐるみに向けてあげてください。そうすることでぬいぐるみの魅力は限りなく高まっていきます。流石に説明は省かせていただきますが、どうしてぬいぐるみの魅力が高まるのかはもうおわかりですね?」
「……はい」
店の女性は生まれたばかりの赤ちゃんを扱うような慎重さで、僕に二つのぬいぐるみの入った袋を手渡してくれた。
「……あの、すみません、僕は笹岩といいますが、あなたの名前を教えてはもらえませんか?」
僕の言葉に、店の女性は驚いたようだった。仏像のように細められていた目が、今は大きく見開かれている。
「変だということは自分でもわかっています。でも、あなたが話してくれたことに、僕は感動したんです。もし僕がまたこのお店に来たら、是非あなたに接客してもらいたい。だから、名前を教えてもらいたいなと思って」
店の女性の表情が元に戻るのには数秒の時間を要した。そして、僕の求めていたものが彼女の口から告げられる。
「――カドルキューピッド西沢見野店店長、羽井董子です。どうか末永いおつきあいをよろしくお願いいたします」
深々と女性の頭が下げられる。僕はそれに対し、
「――笹岩楓です。いつになるかはわからないけど、また来ます」
そう言って、二つの梟のぬいぐるみと共に店を後にした。
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