これより訓練を始める! 手始めに人間性を捨てよ①


 まぁ、結果なんて見るまでもなく分かってたよ。


「つっかまえったぁ~!」


「をはぁ!?」


 戦うとは言っても、戦いになるとは言ってないんだよなぁ……。


 後ろからリィルに抱きかかえられながら切れ切れになった息を吐きだした。


 何度やってもリィルから逃げきることができない。まだゼタさんが参戦すらしていないっていうのに、追い駆けっこにすらなってない状況だった。


 というか、自分が想定している全力とは違う、体が求めてる全力を出すのってゾーンとかそういう領域の話になってきません?


 もしそうだったら一般人のワタシには一朝一夕でできるものじゃない。


 それに、頭の片隅で一瞬でも人間の体が出していい速度じゃないなんて考えてしまえば、途端に体が力をセーブしようとする始末。それを意識的に抑えて体を動かし続ける難しさよ。


 しかも体感したことない速度で体が動いてるから、少しでも気を抜くとつまずいたり壁にぶつかったり、もうやりたい放題になっちゃう。


 もうね、息を整えることすらまともにできない。全力で衝突してアスレチックを壊さないように周りを見るのだけで手一杯ですよ。


「ちょ、ちょっと、休憩……!」


「んふふ。は~い、じゃあ五分休憩ね。水分補給も忘れないようにね。はい、イディちゃん」


「んくっ、んくっ、んくっ。っぷはぁ~!」


 果実水が美味い!


 喉を通って胃袋から全身に染み渡る清涼感に大きく息を吐く。


 ああもう一歩も動きたくない、自分への不甲斐なさにイライラが募って仕方ない。リィルのおっぱいに頭を預けながら目を閉じて、唸るように声を上げた。


「あ゛あ~、全然上手くいかないッ!」


「んふ~、そうだねぇ。どうしても体を動かすことに意識がいちゃって、全力を出すことに集中できていないって感じだね。んん~、これは思った以上に大変だ」


「やっぱり、そう思います?」


 リィルに言われるまでもなく、自分でもなんか噛み合ってないような違和感がずっとある。


 自分ではちゃんと動いているはずなのに、それを体が拒絶しているような……まるで駄々をこねる子供の面倒を根気強く見なきゃいけないようなもどかしさがある。


「そうだね~……たとえばさ、イディちゃん。走るってなったときに、腕を振って体を捻って、脚を持ち上げて地面を蹴って、体をどう動かすか考えながら走ったらどうなると思う?」


「頭がこんがらがって、走るどころじゃないですね。そもそも走ってるときにそんなこと考える人なんているんですか?」


「いるんだな~。それも私の腕の中に」


「……ワタシ? えっ、そんなに走るの下手でした!?」


「ん~ん。走るのが下手っていうか、訓練前にゼタが言ってたことがまんま当てはまるんだけど……イディちゃんは自分のこと人だと思ってない?」


「そこから!? 人間性の否定から入るんですかッ!?」


 ――ハートマン軍曹!?


 まさか、ここはアメリカ海兵隊の新兵訓練基地だった?


 嘘だろ、おい。ワタシが犬じゃなくて、本当はウジ虫だったなんて……。でも、『タマ』はすでに落した後だから大声で返答する必要ないはずだ。


 ところで7・62ミリフルメタルジャケット弾はどこにあります?


 あっ、ない? ですよねぇ、知ってた。でも『タマ』も『実弾たま』もないんじゃ、戦いようがないですよぉ! 震えが止まらねぇや。


「違う違う! そうじゃなくて、イディちゃんは自分のことを徒人族ヒュームだって思い込んでない? だって、イディちゃん。ずっと二足で走ってるよね?」


「すみません今すぐ這い蹲ります」


 オマエは這いずり回ってるのがお似合いだぜってことですよね。実はワタシもそう思ってたんですよ。やっぱり土下座で慣れてる分だけ熟練度が違いますからねッ!


 しかし、これ以上なく洗練された所作ですぐにでも地面に手を着こうとしたら、リィルに抱き止められてしまった。


「だから違うってば! んも~、ネガティブになると歯止めが利かないのはイディちゃんの悪い癖だよ? 私が言いたいのは、イディちゃんは獣人のマレビトなんだから四足で走った方がいいんじゃないってこと!」


「四足、ですか?」


(もしかしてご存じないのかもしれませんけど……人間は二足歩行動物なんですよ?)


 首を傾げながら懐疑的な視線を送くるワタシにリィルさんは一つ頷くと、肉のつき方を確かめるみたいにワタシの手を取ってふにふに触りながら続けた。


「イディちゃんの体は作りだけ見たら徒人族ヒュームとほとんど変わりないから四足で走るのには違和感があるかもしれないし、この体じゃあそもそも四足の態勢で走る作りをしていないって思うかもしれない。

 でもね、イディちゃんは獣の因子を持ったマレビトの獣人なのは間違いないんだよ。だから霊的にも魔法的にも四足の方が標準のはずなんだ」


 なるほど……確かに、その可能性は考えてなかった。


 この世界では、体の作りが人間だからといって人間と同じように動くとは限らないんだ。


 考えてみれば当たり前で、これほど巨大なアーセムが問題なく成長できていたり、人が岩を素手で破壊できるんだから、常識の話に意味なんてないんだな。


「だから今のイディちゃんは、体が覚えてる四足とは違う、二足っていう別の方法で走らせようとしてるから、体を従わせるために腕振ってとか足を上げてとか無意識の内に一つひとつ考えちゃってる状況なんだと思うな。そりゃあ走れなくなっちゃうよ」


 なるほど、リィルの話の通りならワタシが上手く走れないことにも理由がつく。そういえばゼタさんも話してたな。歩くこともろくできていない幼児の状態が今のワタシなんだって。


 いや、幼児でもハイハイでスムーズに四足で移動できるからな。つまりそれすらできていないワタシは幼児以下ってことだな。……泣いていいですか?


 まぁ、泣こうにもそんな体力が残ってないんですけどね。


「それに、イディちゃん。下で私に追い駆けられてたときも、無意識のうちに四足で走ってたからね。無我夢中で、考える間もなく体が動いているときに四足だったなら、たぶんだけど体にとっては四足で走るのが最適なんだと思うよ?」


「それ、もっと早く言って欲しかったなぁ……」


 そうすると、意識改革から始めるしかないかなぁ。一度、ワタシの中で凝り固まってる常識の殻を完全に壊す必要があるような気がしてきた。


 ヨシ! 自己暗示しよう。


「ワタシは犬! ワタシは犬! ワタシは犬!」


「そのやり方は何もかも間違ってる気がする。とりあえず、四足縛りでもう一回やってみようよ。そうすれば、この考えが間違ってるかどうかも分かるだろうし」


「それもそっか。分かった、やってみる!」


 意気込んで頷くのと同時に勢いよく立ち上がった。


 考えすぎて動かなくなるのはワタシの悪い癖だしな。時には、ただ走りだしてみるのも大切だろう。それじゃあ早速四足で地面に接してみるか。


 リィルが立ち上がって、準備が整うのをお座りの状態で待った。


「じゃあ、初めは追い駆けっこなしで。走るのはもうちょっと慣れてからね。私はイディちゃんに合わせて後ろからついて行くようにするから、四足で歩いてみて」


「りょ、了解です」


 ――ゴクッ


 なんか……やっちゃいけないことをしてるみたいで妙に緊張するな。


 まぁ、普通の人ならこんな格好をしてるのはMを嗜んでる人だろうし、それはもう普通とは言い難いような気がする。


 とにかく、ワタシはこの一歩を常識の外へ踏みだすための一歩にするんだ。


 ――いざッ!


 ――歩く……。


 そろそろと右手を地面に差しだしてみた。


「歩いた!」


 後ろでリィルの歓声が上がるのを聞こえた。しかし、ワタシはそれどころじゃなかった。


 こ、これは……!? なじむ。実に! なじむぞぉ!!


 まるで一人暮らし初日におろしたての首輪をつけたみたいなフィット感だ。




 これなら……いけるッ!



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