113 ワタシ、ガバガバでした……


 見つめ合うワタシたちの間を爽やかな風が吹き抜けていった。


「……はは。いやいや、そんなまさか。一切身に覚えがないのですが……えっ? マジですか?」


「うむ、マジである。此方こなた其方そなたの中に入ってようやく感づいたが、其方は此方の他にもう一つ、契約を結んでおる。

 どうやら此方のような幻獣ではないようだが。まあ、此方と同格となると、谷底の寝坊助か流れ島の玉君たまのきみ、迷いの国のこもり主、他に二、三いるぐらいのものだからの。そうそう結べるものでもない」


 結構いるなって思ったのは秘密にしておこう。


 ワタシの上で自慢げに胸を張るレオゥルムさんに対して「実は大したことないんですかぁ?」とか訊いたら煽り以外の何ものでもないもんね。


 おそらくだけど、レオゥルムさんとはこれから長い付き合いになる予感がある。仲良くしておくに越したことはないだろう。


 ふふ、初めての同棲みたいにドキドキしちゃいますね。


「って、違う! 初めてじゃいないってさ! 一体どういうことなんですかねぇ!?」


 こんな、自分が知らぬ間に初めてを失っていたなんて……まるで心だけレ○プされたみたいじゃあないですかぁ!


 誰だか知らないけど、こんなの人のやることじゃない……この人でなしぃ!


「ふむ。この格で、アーセムを根城にしているとなると蜜壺の女王蜘蛛といったところかの」


(本当に人じゃなかったんですね、失礼しました!)


 だからって勝手に契約結んだことは許されねぇけどな。


 違法占拠どこか家宅侵入までやらかしてくれるとか……どうなってんだよワタシのセキュリティはよぉ。ガバガバじゃねぇか!


「で、でも! ワタシ、一向に思い当たる節がないんですよ本当に!」


「ふむ……当人に隠したまま契約を結ぶとなると、中々に高度な技術が求められるのぉ。しかし、今代の女王蜘蛛は子らに慕われ、統率こそ歴代の中でも目を見張るものこそあれ、魔法に関してはそこまではなかったはずだが……。

 其方、もしや交尾をいたしたか?」


「ゴリゴリの生娘ですがッ!?」


 仲良くやっていこうとしていた矢先にこれだよ。セクハラまでかましてくるとか、これ以上罪を重ねてどうするつもりなんですかね、この幻獣様は。


 震える我が身と尻尾を抱きしめながらブンブンと首を勢いよく横に振ったワタシを見つめながら、レオゥルムさんもその可能性はないだろうと考えていたのか、冷静に頷いただけで追及するようなことはしなかった。


「であろうな、其方からそういった匂いはせんし。しかし、そういった接触がないとすると其方に自覚なく契約がなされるのは少々不可解ではある。どれ、少し調べてみよう」


 頭の上のミニルムさんが目を閉じて、自分の周りに先程とは違う模様の魔法陣を展開する。


 おお、まさしくファンタジー!


 喜んでる場合じゃないんだけど。こういういかにも異世界っていう現象を目の当たりにすると、どうしたって気分が上がってしまうのはどうしようもない。


 内心ワクワクが止まらないワタシの周りを、ミニルムさんの魔法陣が白色に点滅しながら旋回を始める。……なんかファンジーっていうより、SFっぽいな。魔法陣はファ○ネルだった?


「ううむ。なるほどな」


 ワタシが頭の中でファンタジーとSFの融合をしている内に何やら終わったらしく、ミニルムさんの納得したのかしてないのかよく分からない、中途半端な唸りが聞こえてきた。


「どうでしたか?」


「ふむ。結論から言えば……やはり其方、いたしておるな?」


「いたしてませんってばぁ!」


「むぅ。だが、確かに其方の中で肉体を媒介にした契約が結ばれておる。なんぞ、肉体を重ねるや体液の交換などをした覚えはないかの?」


「ですからぁ! ない、と……?」


 ――体液の交換? 蜜壺蜘蛛と?


 頭の隅でパチッと弾けるみたいに、オールグに初めて訪れた日の光景が浮かんできた。


 この世界に来てから始めて口にした甘味。あまりに衝撃的美味しさに千切れる勢いで旋回する尻尾。夢中になって舐め回した糸玉。違和感を引っ張りだして目と目が合った瞬間、好、じゃなくて全身の毛が逆立った。


 まさしく、運命的な出会い。


 そこまでが走馬灯みたいに脳裏を駆け抜けていったのと同時に、雷に打たれたみたいな衝撃が走って声を上げていた。


「ああ゛っ!」


「ふむ。どうやら心当たりを思い出したようだの」


「あっ、えっと、その……た、たとえばですよ。たとえばの話なんですが……小さな蜜壺蜘蛛を誤って食べるというか、口の中に入れてしまったとして、そのはずみで契約が結ばれてしまうようなこととかって……あるんですかね?」


 尻尾にすがりながら、なんとか現実に向き合おうとレオゥルムさんに上目遣いで伺いを立てみたけど、身体は正直だから腰を引いて現実から逃げる準備をしていた。


「ふぅむ。可能か不可能で言えば、可能である。それなりの技量が必要とされることも確かであるが、互いの一部を内部に取り込み、その上で精神的、肉体的にも深い接触があったとなれば、そこまで難しいことでもないかもしれんのぉ」


 納得したように何度も頷くレオゥルムさんを前に、膝から崩れ落ちた。


 ――確定的だ、もう疑いようもない。


 いつの間にかワタシと契約していたのは、あの小さな蜜壺蜘蛛だ。


 糸玉を形成しているのは蜜壺蜘蛛の糸だ。それをワタシが食べることで身体の一部を取り込むっていう項目がクリアされ、口に入れて唾液に塗れることであっちもワタシの一部を摂取できる。相手の身体を丸ごと口の中に入れてるから、肉体的にもこれ以上なく深い接触があったのはもう想像するまでもない。


 不確かなのは精神的な深い接触だけど、おそらくワタシの能力が原因だろう。


 強制的にワタシに対して愛情めいたものを抱かせる。今までの経験からして、この能力は別に人族に限った話じゃない……と思う。これがあの小さな蜜壺蜘蛛にも適用されてるなら、精神的な深い接触もされていると考えるのが普通だろう。


 ああ、なんてこった。まるで急に催眠を解かれたみたいだ。


 自分でも気づかないうちに、よく知りもしない相手に身体を明け渡していたなんてッ!


「申し開きもありません……。ワタシは……あばずれですぅ!」


「いや、何故そうなる」


 ぐらっとレオゥルムさんの巨体が傾いだ。


 しかし、アーセムの頂上に御座します幻獣様であるレオゥルムさんに、そんなありきたりなリアクションをさせてしまうのさえ申し訳ない。


 いいんです、ワタシなんて庇っていただく必要なんてないんです。


 異世界に来てから、こんな日も浅いのに、誰にでもすぐ股を開いて腹を見せるような尻も尻尾も軽い幼女犬なんて気にかけていただく価値なんてゼロなんですよぉ!


「慰めは必要ありません。ワタシは誰にだって尻尾を振っちゃう、どうしようもない雌犬ビッチなんです。しかも自覚がないだなんて……天然ものってことじゃあないですかぁ!」


 ――本当は養殖なのに!


 しかもショタ神様が手塩にかけたボディなんですよ。それなのに天然だなんて……不敬にも程がありますよ。性格については話してませんので置いとけ。


「お、落ち着くがいい。何も其方がふしだらなどとは此方も思っておらんよ。

 契約に関しても其方は無自覚であったようだし、おそらくではあるが、その蜜壺蜘蛛の幼い個体が特殊であり、魔法に関して秀でていたために起こったことであろう。其方に非はない」


「……本当に、そう思いますか?」


「もちろんだとも」


「……ワタシ、汚れてませんか?」


「無論。むしろ誇ってよいことだろう。此方の半身たる分け身をその身体に受け入れながら、此方以外にも契約を結べるだけの容量を持っているなど。世界広しと言えども、其方ぐらいのものであろう。胸を張るがよい」


 ああ、優しさに満ちた言葉が胸に染みる。……なんか面倒くさいメンヘラみたいなことをしている気がする。いやいや、違うんだって。ワタシ、犬。仕方ない!


 犬は寂しいと構って欲しくて、いろいろ悪戯とかして気を引こうとするじゃん? それ!


 ……誰に対して言い訳してんだろうな、ワタシは。それもこれも犬だからしょうがないんだけどさ。ほら、たまに何も宙に向かって吠えてることとかあるから、犬って。


 それにしても、こんな無自覚キチガイ犬畜生ビッチにも救いの手を差し伸べてくれるなんて……。レオゥルムさん、マジ幻獣……幻獣が優しさのシンボルになり得るかは要相談ですが。


 なんにしてもワタシ、これからは心を入れ替えてレオゥルムさん一筋でいくことを、新しくなった心に誓います。


 まぁ、すでに結ばれてしまっている契約に関してはおいおい考えよう。


 うん、これは問題の先延ばしとかそういうことじゃなくて。その時その時の状況に応じて、臨機応変な対応が取れるように柔軟な発想を維持しておくってことだから。


 ふふふ。冴えてますね、ワタシ。


 ようやく人心地がついたワタシの様子に、レオゥルムさんとミニルムさんが満足げに頷いた。


「うむ、うむ。其方の問題も、これで無事に解決したと言えよう。これで心置きなく地上に向かえるというもの。タタタ、ここでのことが何か変わることはないが、万事滞りなく、ぬおっ!? なんだ、その色眼鏡はッ!?」


 ――今そこッ!?

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