95 地球でも人より先に宇宙に行ったのは犬だったんだぜ……
(そんな……。こんな、こんなことが許されていいっていうのかよぉ!?
ひでぇよ、あんまりだよ。腹を撫でてるうちに勝手に身柄を移送するだなんて……、アンタ人間じゃあねぇよ!)
――
(人のこと、なんだと思ってんだよぉ!?)
――犬なのは間違いない!
オッケー、答えは得た。いつだって真実はこの胸の中に……、絶対に気持ちよくなんてならないんだからぁ!
「よ~しよしよし。イディちゃんはいい子だね~」
「あぁんんふっはぁー!」
舌を出しながら変なあえぎ声を出したとしても、これはワタシが気持ちよくなっているんじゃなくて、ワタシの身体が気持ちよくなってるだけなんだから、勘違いしないでよねッ!
ワタシたち、所詮は身体だけの関係なのよ……。
「出発するところまで安心できるように送ってくぐらいしかできなけど……、でも大丈夫。きちんと送るよ。約束したもんね、笑って送るって。
だから、イディちゃんに勇気が足りないなら、その分は私が補うよ」
ああ、止めて、そんな穏やかな表情で染み入るような言葉をかけないで。そんなことされたら……心まで気持ちよさに浸ってしまうじゃないですかぁ!
駄目、止めて、
ワタシ、ビクンッビクンッしちゃう。
「イディちゃんはね、喉元よりもお腹と耳裏を撫でたり、こしょこしょされるのがお気に入りなんだ。触られた瞬間からすぐに力が抜けて、尻尾を振りながらトロトロになっちゃうんだから!
そもそも無理に引っ張って行こうってするのがナンセンスだよ、あやして甘やかして、何も考えられなくさせなくっちゃ。
でも獣人の人たちの喉とか頭は、親しい人たちにしか触らせない部分でもあるから、勝手に触るのはマナー違反だよ」
「なるほど、覚えとくわ」
(覚えんでええわ! というか、そのマナーをちゃんとワタシにも適用してくださいよ!)
ワタシになら何やってもいいみたいな空気を出されるのは、まったくもって心外です。しかも、なんかワタシが撫でられれば誰にでもすぐに腹を開く、頭も股も緩い犬みたいな言い方は止めてもらおうか。
ワタシはそんな、誰彼構わず尻尾を振るような犬じゃない!
ただ、ちょっと気持ちよくなりやすいだけで、腹は開いたって心は開かないし、緩いのは膀胱だけなんだからッ!
「ハッハッハッ」
しかし、ナデナデの心地良さによって、いぬのきもちに支配された今のワタシには自由なんて存在しないんだ。どれだけ喚こうとしても、口から出るのは熱い吐息ばかり……。
(こんなにワタシの身体を火照らせて、何をしようって言うんです?)
「じゃ、こっちだから。そのままついて来て」
「りょうか~い」
そりゃあ打ち上げるんですよね! さっきから言ってますもんね!
でもでも……ああ、やっぱり待って! そりゃあね、行くのは行くよ? 最終的には。だって、さっき行くって決意したもの。
でもほら、確かに打ち上げられれば、肝も冷えて身体が火照る暇なんてなくなって、気温的にも冷え切るかもしれませんけど、物事には限度ってものがあるんですよ。
それに、もしかしたら打ち上げ時の空気摩擦で冷えるどころか燃え上がっちゃうなんてことも考えられちゃうんじゃないですかぁ?
そうなったら、ワタシの身体の前にワタシたちの関係が冷え切っちゃいますよ? いいんですかぁ!? そんな寂しい夜を一人で過ごさなきゃならないみたいな事態になっても!
こういう些細なすれ違いが、ほんのちょっとの、髪の毛一本にもみたない心の隙を作って、そのわずかな隙間からステータスが明らかに勇者より強い暗殺者も震え上がるような手際で、冷え切った空っ風が吹き切り込まれてくることになるんですよ?
かじかむ手のひらで身体を擦ってみたところで、震えは止まらない。
本当に凍えてるのはさ、身体じゃない……
当たり前のことだけど、自分の一番近くにあるのは自分の手だっていうのにさ、……心から一番遠いんだ。
だから、自分で自分を慰めるみたいに抱きしめてみても、心の隙間は埋まらないのさ。
「はい、到着。じゃあ、ここの中に入れて」
「はいは~い」
――でも今擦ってるのは他人の手だから心のポカポカが止まらないのぉ!
ちくしょう、風が吹き込んでくる心の隙間を的確に埋めにきてやがる。
しかもワタシが抵抗できないのをいいことに、クイーンさんと仲良さげに話ながら発射装置に運び込んでしっかり外堀を埋めて、どう足掻いてもお断りできないようにしてくるなんて……まさに策士!
もう、心の隙間も外堀も綺麗に埋められちまったよ、へへ……。その上、舗装だけじゃなくて道までつくるだなんて、リィルってば匠でもあるだなんて欲張りですね!
でも、――なんということでしょう!
道は道でも、片道切符の線路しかねーじゃねぇか! 逃げ道はどうしたんだよ、オラァ!
(自分、途中下車いいっスか?)
「じゃあ、扉閉めるから離れて」
「……うん」
クイーンさんの声を受けてから少しの間を空けてリィルの手が離れていく。名残惜しそうに、手を離すのにやや時間がかかったのは、きっとワタシの毛並みが魅力的すぎるせいだろう。
――ふふ、罪なワタシ。
……でも、罪を犯したからって幽閉はやり過ぎだと思うんですけどぉ!?
自分が入れられたところを改めて確認してみれば、どんな種類かは全く分からないが、とにかく一切の色素を排除したとしか思えない、真っ白な木でつくられた鳥籠のような檻。
ワタシは犬だから、これは明らかな人選ミス。
だから、一旦お互いに落ち着こうぜ。焦ったっていいことなんてないと思うね。
ほら、そんな急いで駆け込み乗車みたいなことしたら、周りの人にも迷惑がかかるっていうか、走り出したら止まらねぇからこそ、いつだって余裕をもって生きたいよね、ワタシたち。
とりあえずさ……すみません! 降りまぁす!
リィルの手が離れていく余韻に浸ることもせず、今まさに閉まろうとする扉に向かって突進しようとして……、ペタリと座り込んだ。
座ったまま、ゆっくりと閉まっていく扉を呆然と見つめた。
(な、何が起こった? これはいったいどういうことだ……?)
ワタシの足は、いくら力を入れようとしてもピクリとも反応せず、まるで十二時間ぐらい惰眠をむさぼっていた時のような甘い痺れが、腰から足先にかけてじんわりと広がっていく。
動かそうとすればするほど、まるで自分の意志とは真反対に、足はその動きを止めた。
――その時、ヤギではなく、犬に電流走る。
(ハッ! ま、まさか……! さっきまでのリィルのナデナデによるナデリンの幸福作用が、まだお腹に残っていたというのかぁ!?
ば、馬鹿な……。ナデリンの作用は確かに強力、しかも依存性も強い。しかし残留性は極めて低いはず……その時間、およそ五秒!
しかし、すでに五秒経っている! だというのにこれは! わ、分からない! 分からないが、まずい! こ、このままではぁ!)
視界に映るすべてが、ゆっくりと流れていく。緩慢になった時間の中で、ワタシの思考だけが凄まじい速度で回り続ける。
大丈夫、ワタシはやればできる子。こんな絶望的な状況だって、このハイスペックワン子ボディにかけて脱してみせる。
さぁ、今こそ、すべてを逆転する一手を、起死回生の策をここに!
思考がまるで無限の広がりをみせ、あらゆる手を計算し尽くし、自分の存在が世界に溶けて同一していくような感覚の中で、一つの
(あっ、無理だこれ)
「じゃ、頼んだわよ」
「イディちゃん! 下で待ってるからね!」
二人の顔にはわずかな陰りもなく、最高の笑顔が輝いていた。
「まっ、あぁあぁあぁぁぁ……!!!」
最後まで言葉なることはなく。ドップラー効果だけがむなしく響いた。
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