80 止まれと言われて、止まる馬鹿がいるかよぉ!
(世界が平和にならない筈だよ……。彼らは、ただ笑っていただけなのに。ただ、いつもと同じように日常を穏やかに過ごしていただけなのに。
それが、ほんの一瞬。何が起こったのか、訳も分からないまま。彼らの陽だまりのような温かな
――でも大丈夫。もう吐き出すものは弱音以外残っていないから!
いや、違うんですよ。ワタシだってこんな、無差別絨毯爆撃なんてしたくなかったんだ。でも、仕方なかったんだよぉ!
腹の底からこみ上げてきたんだ。今まで感じことのないような、強烈な思いが。――『吐きたい』って。想定通りに想定以上の内容物と一緒に。ただ、それだけだったんだ……。
いや、せめて謝罪ぐらいはしながら通り過ぎるべきだったのは分かるけど、ワタシにはゲロと謝罪を一緒にぶちまけるという特殊技能はなかったから。顔射どころか、全身ところかまわずぶっかけるだけぶっかけて、颯爽と運ばれていくのが今のワタシにできる全てだったんだ。
そりゃあ、やられた方からすればたまったもんじゃないだろう。分かるよ、ワタシも溜まってたもんが出てこようとするのはたまったもんじゃなかった。
(だから、お互い様ってことで一つどうよ?)
そんなのことにはなりようがないのは分かっていても、そう願わずにはいられなかった。
――だってそうだろ?
どんな些細なことも、望まないことには始まりようがないからさ。
「お願いだから無事でいてよ!」
まぁ、現在最も望まれるのはオロアちゃんの安否なのは疑いようもないけど。
だっこ紐の要領で糸を使ってワタシを背中に括りつけ、螺旋階段のようだったり、ジグザグに板を重ね合わせたようだったりと、思いのほかバリエーションに富んだアーセムの幹に作られた足場の上を猛然と駆け上がっていくリィル。
背中越しにわずかに見える彼女の顔は焦りと汗に濡れていて、深く刻まれた眉間の皺が、今にも溢れてきそうになっている涙をせき止めているように見えた。
なんにしても、もうここまで来てはワタシの平穏なんて望みようもない。
地面から遠くなっていくのに合わせて、地上の人とか家々がどんどん小さくなっていくのと一緒に、ワタシの気も遠くなって、希望は際限なく小さくなっていく訳で。
なるべく下を見ないようにと思っても、なぜかこういう時の人間って奴は絶望を承知の上で確認せずにはいられなく作られているらしく、縮み上がりすぎたワタシの肝は消滅寸前だった。
――まぁ、
そうは言っても、怖いものは怖いんだからねッ!
そもそも、グロにならなければいいって話でもないし。たとえグロにならなくても、こんな高所から紐なしバンジーしたら精神的には死ぬことが分かり切っている。
――怖い怖いと言っても、オチが怖いなんて思ってないだからッ!
まぁ、オールグに向かって射出してしまった時みたいに、風の妖精が助けてくれる可能性をワタシとしては捨てたくはないんだけど、街の中に入ってからこの方、一度も姿を見せてくれていないことを考えると、その望みも薄いような気がする。
だんだんと空気も薄くなってきている気もするし、なんならワタシがここにいる必要性も限りなく薄い気がするし、毛ほどの価値もない気がする。
――また髪の話してる……。
(どっちかっていうとワタシは神の話がしたいので、そろそろ語りかけてきてくれてもいいんだよ? 遙か高みから見下ろしているだけじゃあ、つまらないだろ?)
いや、あの見た目ショタっ子が雲の上の存在だとしても、本当に空の上にいる訳でもないんだろうけど、まぁどっちにしてもワタシを見下しているのは確実だな。
(いつか、そんなアンタの目の前で高笑いを決めてやるのが、ワタシの夢なんだ……)
そんないつかの日のために、一歩ずつ自分の足で踏みしめて進みたいワタシは、年下の女性に背負われて運ばれてる最中なんだけどねッ!
リィルの背中に張りついているだけだから体力的に消耗するってことはないけれど、ガタガタ揺れる視界に映るのは抜けるような青空といかにも堅牢そうな幹ばかりで、消耗しきったワタシの精神もガタガタだ。
――でも気分としてはドナドナって感じ……。
逃れられない宿命に向けて運ばれていく、ワタシという貨物という家畜 (犬)。
悲しいかな、ワタシにそこからも、ここ(リィルの背)からも逃れる術はないんだ。
首筋から香ってくるリィルの匂いの中に混ざる、ペスさんともう一つの、おそらくコレがオロアちゃんの匂いなんだろうけど、それがどんどんと濃くなっている。
それはまるで、確実に距離を詰めてくる運命のように存在感を増していて、今にもワタシの肩を掴みかからんばかりに迫っていた。
(追っているのはこっちだっていうのに、逆に追い詰められているなんてな……)
だって明らかにオロアちゃんを捕まえて、「ハイ終わり! フ~! ハッピーエンドォ~!」とはいかないってことは分かり切ってる。
そもそも、オロアちゃんを止められたとしても、根本的な問題は何も解決しないんだ。結局のところ、『上』に召し上げられる子供がいなくならなくちゃ、バッドエンドに向かって一直線な訳で。
だから、これはいわばラスボスに向かう道中な訳で、ワタシはスライムすら倒すことなく、強制的に魔王城に送り込まれる哀れな子羊(犬)って感じだ。
いや、檜の棒すら装備していないワタシには、スライムさえ倒せるか怪しいところではあるけど。そもそも、奴らは実際に存在していたら確実に強者だ。粘液状の生物なんて、巨大化した粘菌みたいなもんじゃないか、絶対喰われて終わるわ。
――……いや、違うぞワタシ!
敵意をもたれず、攻撃を受けつけないワタシの場合、そこに待ち受けているのは、ただただ粘液に塗れるっていう、元の世界の大きなお友達スタンディングオーベーションな展開のみ!
(画面の前のアメリカンな人々も総立ち指さし大歓喜!)
間違いなく、薄い本が熱くなる展開が男どもの妄想の中で広がりんぐってやつですよ。
(そうなったワタシはテンパりんぐって感じ!)
まぁ、そんな状況に陥らなくても、今ここに至っても逃れられないワタシは、首の周りを何重にも真綿がぐるんぐるん卷ついているんでポ○デリングって感じだけどな!
(ふふっ、くだらなさのあまり泣けてくるわ……)
泣いたってこの後の展開が変わることがないのは分かってるけど、それでもさ、こんな気持ちのいい青空なんだ……。黄昏れたくもなるんだよ、なんて青臭いこと言ったっていい気がするんですよね。
――これが
「見えたぁ!」
――エッジの効いたシャープな
歓声にも似たリィルの叫びに誘われて、肩口から首を伸ばして前を除くと、男な装いのオロアちゃんを乗せたペスさんのセクシーなお尻が見えた。
リィルもワタシという荷物を背負いながら、とても人間とは思えない速度を出しているが、ペスさんはオロアちゃんという人を乗せながら、まさしく人間とは次元の違う速さで駆け上がっていく。
(ここには人外しかいないのかな?)
オロアちゃんにしても、あの速度で坂道を駆け上がっていく、サスペンションが効いてるとは言い難いペスさんに跨っていられる時点で、やはり人間からは半歩くらい道を踏み外してしまっている。
まぁ、レースの時点で気づいていたよ、ワタシは。
なんにしても、このまま二人の後ろを追い駆けていくだけでは、いつ捕まえられるか分かったもんじゃない。どうにかして二人の進路をふさぐ方法を考えるべきだろう。
「飛ぶよ! イディちゃん!」
まぁ、そんなワタシ程度が考えつくようなことを、元空師のリィルが考えていない訳がない。
ちょうど板を斜めにして左右交互に重ね合わせたような足場の所に差しかかった瞬間、リィルは予告とどっちが早かったかどうか、というタイミングで宙に身を投げだしていた。
(……もう、何も言うこたぁねえよ)
一瞬の浮遊感の後、糸を使って上空に引っ張り上げられる凄まじいG(じー)を感じながら、リィルの背中でワタシはこれ以上なく安らかにいた。
「止まりなさい! このお馬鹿ぁ!」
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