72 間違いない、奴は弱いッ!


 なぜか、やり切りましたよ私とでもいうように満足げなアーセリアさんを中心に、波紋が広がるみたいに沈黙が辺りに染み渡っていった。


 アーセリアさんの背後では、護衛の森人エルフさん方が額に手を当てて、天井を仰いだり足元に視線を落としたりしながら、力なくかぶりを降っていた。


「へっ、あれ?」


 ようやく周りの様子がおかしいことに気づいたのか、視線を左右に振り回しながら慌てだしたアーセリアさんの後ろで、エルフさんたちの手が額から目を覆うようにズレた。


(強く生きろよな……)


 きっと、今二人の眼もとからは気疲れとか哀愁が滴となって溢れてきているんだろう。小さく震えているように見えるのは気のせいじゃない。


「あの、だって、その……違うのです! 違くて、えっと」


 胸の前で力を入れて握られていた両手が、ゆるゆると解かれて膝の上に落ちた。きっと、学校で先生をお母さんと呼んじゃったみたいな、そんな感じだ。


 場違いで、身のやりどころがない居た堪れなさに、さっきまでとは違う理由でアーセリアさんの耳が赤く染まっていた。


「お待ちください!!!」


 しかし、そんなアーセリアさんを救うべく、護衛の森人エルフさんたちがソファーの前に進みでて、ダムを爆破したいみたいに怒涛の落涙と弁明を始めた。


「……ア、アーセリア様は。くぅッ! あ、頭が、お弱いのです!」


「……な、なぁっ!? 何を見当違いなことを言って」


「ですがッ! それも致し方ないのです!」


 アーセリアさんの言葉をさえぎって、護衛さん方の魂の訴えは続く。


「その類稀な『耳』の力から、わずか五〇のよわい徒人ヒュームなどからすれば十程の成人前という幼さで、アーセリアの名をお継ぎになった。以来、休むことなくアーセムとそこに住まう者たちの意思を下知し続けているのです」


「故に、最低限の教養を除き、アーセリアのお役目以外の勉学を収める時間などある筈もなく。

 一般的な社会性すら怪しいというのに、コミュニケーション能力など……、

 望むべくもない!」


「私、長ですよ! 貴方たちの代表なんですよ! 一番偉いんですよ!?」


 彼らの涙ながらの訴えは、先程までの沈黙を打ち払い、アーセリアさんの涙ながらの叫びを打ち消し、この場にいるすべての人の胸を打つ。


 力強い言葉とは裏腹に、まるで自分の力不足を嘆いているような響きには、ワタシまで涙がこみ上げてきそうだった。


「今日、この場でのやり取りも、入念なリハーサルと指導をお受けになって立っているのです。幾筋ものシチュエーションを想定し、台本を用意しての打ち合わせを行い、努力を重ね、ようやくこの場に立っているのです」


「ですがッ! マレビト様への御拝謁ごはいえつは、想定外。

 ……あまりに想定外ッ!」


「にもかかわらず、見事に最敬礼の指示をなさった。それどころか、今の今まで滞りなく場をお収めになった。

 これは、――奇跡です」


「うぅあうあうあうぅ」


 幾筋もの涙の軌跡が護衛さんたちの頬を濡らす、アーセリアさんの頬も涙が濡らす。涙の意味は違っても、そこに優劣なんてありはしないんだ。


「ですので。どうか、どうか! 話の筋道が通っていないなどの無礼、無作法には、お目を瞑っていただきたく。何卒なにとぞ!」


「何卒ッ!」


 バッ、と勢いよく下げられた頭に面食らう。この街を代表する人物、その御つきの人。頭を下げ慣れているなんてことはある筈がない。むしろ軽々しく下げてはいけない立場を持っているのだろう。


 見るからに不慣れなその姿勢に、思わず若き日の『俺』の姿を重ねてしまった。


(フッ、まるでなっちゃいない。背筋を伸ばしたまま腰を九十度に曲げられていないし、上半身の状態を保て切れずに震えてやがる。謝筋しゃっきんを積み上げてこなかったのが丸分かりだ。

 だが、それ以上に、経験が足りていない。さすがに謝罪童貞ごめんねチェリーではないようだが、圧倒的に足りない。

 そんな坊やの謝罪が通る程、世の中甘くないんだぜ? 

 ――だが、今日のとこは受け取ってやるよ。お前らのごめんなさい《ハート》。

 なに、昔を思い出しちまった、それだけのことさ……)


 何事も初めては、大変なもんだからな。


「――わ」


「分かった。その謝罪を受け入れ゛ぇ!?」


「ものすごく恥ずかしいうえに、話が進まないので、黙ってください」


 二度目の拳は一度目より鈍い音がした。バルッグさんとやり合ったダメージが抜けきっていなかったのか、リィルは殴られた勢いのままソファーに顔を埋めて沈黙した。


「さっ、イディちゃん」


「アッ、ハイ。……ええっと、まぁ、謝罪とかは特に必要ありません。へりくだっていただく必要もありません。お互いに固くならず、自然体でお話しできればと思います。ワタシはことの顛末が知りたいだけなので。……いいですかね?」


 なんだかんだ言ってきたけど、肝心なのはなんでシュシュルカさんが錯乱して悲鳴を上げたのか、その理由だしね。それさえ聞けてしまえば、ワタシの能力的に考えても後はどうにかなるだろう。


 まあ、そんな考えはおくびにも出さないんだけどね、でも勝手降り乱れてくれる尻尾の方に出過ぎるくらい出ているから、とりあえず笑ってごまかしておこう。


「なんと寛大なお心遣い、感服いたします。お許しいただけるのであれば」


「有難きお言葉。さっ、アーセリア様も御礼を」


「え? あ、ありがとうございます?」


 どうやら笑みと尻尾が乱れている理由については、あちらでいいように解釈していただいたみたいで、部屋の中に穏やかな空気が戻ってきた。


 護衛の人達に促されて、何がなんだか分からないままでいるのだろうアーセリアさんも、頭の上にクエスチョンマークを乱舞させているような表情のまま、ちょこんと頭を下げてきた。


「いえいえ、どういたしまして」


 何がどう、どういたしましてなのかはワタシも分からないので、そこんとこは聞かないでいただけると有難いです。世の中は筋道だったことばかりじゃないからさ。


「えっと、では、アーセリアさん。幻獣様が何をしているのかってことと、世話役っていうのがなんなのか。そこから教えていただいていいですか?」


「はっ、はい! お任せください!」


 未開の地で一週間ぶりに言葉の通じる存在と出くわした探検家一行の通訳担当みたいに、ようやく自分の役割を全うできると、陽を受けた花が咲くみたいにアーセリアさんの顔に自信と笑顔が戻ってきた。


「えっと、あっ、おほん! それでは改めて、幻獣様のお役目から説明させていただきます」


「宜しくお願いします」


 何か自分を戒めたみたいな咳払いで空気を変えようとしてますけど、今日初めて授業で習ったことを親に話すお子さんみたいな得意げなご尊顔が変わっていないので、どうあっても貴女の威厳が戻ってくることはないと思うんですよ。


 ――惜しい人を失くしたよ……。


「まず、幻獣様がおられる場所ですが。アーセムの頂上、樹冠の上だと言い伝えられています」


「……へ? 言われてるって……。実際には分かっていないってことですか?」


「はい」


 いや、そんな神妙な顔で頷かれても、なんか急に怪しげな新興宗教の勧誘現場に放り込まれたみたいで、ワタシの耳も尻尾も力なく垂れ下がって仕方ないんですが、どうするかなこれ。


「未だかつて、幻獣様の御姿を確認した者はおりません。なにぶん、アーセムの頂上ですから、通常の人の身ではとても耐えられる環境ではないのです」


 なんか話の流れも場の空気も、予想していなかった方向に突き進んでいるような気がしてならないですが、このまま逝ったら戻ってこられないってワタシのビビりが叫んでいますよ。


「しかし、確かに存在しておられます、間違いなく。

 というのも、我らアーセリア一族のお役目の一つに幻獣様のお声を聴き届ける、というものがあるのです。我々は長年そのお声に耳を傾けてきました。

 そして何よりも『世話役』を献上した際に賜る特殊な力を秘めた宝物こそ、その確固たる証拠なのです」


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