37 異世界とオークイベントは切り離せない


 ゼタさんの言葉が頭の中でリフレインして、ごちゃごちゃと空回っていた思考が一緒くたに押し流されていく。

 真っ白に染まった意識と一緒にサーッと血の気が引いて、元々白かった肌がさらに青白くなっていく気がした。


 しかし、そんな明日にいそうな某ボクサー並みに白くなったワタシには気付かず、二人はどこかおめでたいことのような雰囲気まで醸し出していた。


「あー、そう言えばそうだったね。えっと、確か……ノノイちゃん、だっけ?」


「はい。岩人族ドワーフなのですが、少々問題を抱えていたようで、今回のことでお父上であるオオキ殿も複雑ながら肩の荷が下りたと仰っていたようです。

 我々騎士団もオオキ殿には大変お世話になっているので、大変喜ばしいと詰め所で団長が話していたのを思い出しました」


 大きな胸を無駄に強調するように腕を組んで大仰に頷いてみせるゼタさんに、パッと頬を赤らめたリィルが口元を押さえながら詰め寄り、どこか躊躇いながらも聞かずにはいられないというように声を潜めて囁いた。


「えーっ!? 大丈夫なの? だって、そ、その。緑人族オークの人の、アレってさ。……すっごくおっきいって言うじゃない?」


「…………なぁっ!?」


 リィルの言葉に数拍の間が空き、次の瞬間、小規模な爆発音でも聞こえてきそうな勢いで赤くなったゼタさんが、その勢いのまま辺りを二、三度見渡してから同じように口元を隠してから囁き声で怒鳴るという繊細かつアグレッシブな返しをみせた。


「し、知らないよっ! わ、私だって、その、他の……、お、男の人のアレなんて見たことないもん!」


「んん~、でもゼタは自分の大きいのがあるじゃない。どうなの? 岩人族ドワーフみたいな小柄な種族でも入りそう?」


「分かる訳ないでしょ! お姉ちゃんのエッチ! ハレンチ! えっと、あと、エッチ!」


 黒の体毛に覆われているのに耳まで真っ赤になっているのが分かるっていうのはどういう原理なのかさっぱり想像もつかないけど、ゼタさんが途方もなく器用なのは分かったし、その手の知識に関して底知れない語彙力のなさを披露したのは称賛する他なかった。


 しかし、ワタシとしてはそれどころではなくて、ようやく形を取り戻した意識と共に全身をワチャワチャさせながら声を上げた。


「いやいやいや、なんで猥談に勤しんじゃってんですかっ!? 

 オークなんですよね、嫁取りなんですよね? つまりナニがアレしてくっ殺からのインタセープトでハイライトがロストってバージニアな娘さんがフライアウェイな訳だから、お攫いですよね、襲撃なんですよね? オレサマオマエ苗床ニッ!?」


 ああ、なんてことだ。やはり異世界に来たからにはオークイベントは避けては通れないということなのか。

 こんな平和そうな街なのにそれは見せかけだけで、裏では既に彼らの手に堕ちていたということか。


 しかもそれをイベントで楽しんじゃおうなんて、実はオーグルの人々は闇の住人なんだろうか。

「踊って見せろ。悠久の微睡の中で慰め程度にはなれるやもしれんぞ?」みたいなこと言っちゃう系ってことで、それはもうシリアスじゃなくてデンジャラスですよ。


 ――人を呪わば穴二つ。


 このままではきっとリィルもゼタさんも「お゛ほぉ!」からの「イグゥ!」を決めてしまうのがワタシには分かりきっていて、それに巻き込まれないなんてことは許してもらえないのも知っているから、今にも溢れそうな涙の主成分は愛なので、この震えは特に身に危険を感じてとかそういうことではないんだから。


 小刻みに震える全身は生まれたての小鹿のようだけど、彼らは地面を踏みしめて現実に立ち向かうために震えて奮い立っている訳だから小鹿さんマジパネェっす。


 でもここで見て見ぬ振りをするというのは選択肢として最大級に楽なのは分かりきっているし、むしろワタシは既に手を伸ばしているので二人共さっさとそんなこと止めちまった方が身のためですよ。


 しかし、それを言葉にできる程、ワタシも野暮じゃない。


 ――でもワタシ、信じてる! 言葉にしなくても伝わるものがあるって!


(とどけ、この想い《ハート》!)


 しかし必殺のねじ込み式上目遣いを前にしても二人の表情は怪訝なもので、特にゼタさんはどことなく怒っているというか悲しんでいるというか、そんな感じで眉間に皺を寄せていて、その表情かおをしたってワタシが泣きそうになるだけでオークイベントは中止になったりしないから、現実リアルさんの生真面目さには全ワタシが媚びる準備万全で構えていますよ。


「あっ、そっか。そうだよね」


 涙を目一杯湛えながら卑屈な笑みを浮かべているワタシを前に、リィルはふと手をパンッと打合わせると、得心がいったというように何度も頷いた。


「イディちゃん、記憶が混濁してるって言ってたもんね。じゃあ、そういう風な古い認識でもしょうがないか」


「えっ、どういうことですか?」


 リィルの言葉にゼタさんはワタシから視線を外し、丸くした目でそんなこと聞いてませんよと訴えるようにズイッと顔を寄せた。


「えっと、初めから説明するとね。……そう。あの日は視界に映る全てが煌めくような、とても陽射しが強い日だった」


「簡潔にしてください」


「え~」


 胡乱気な眼差しでもって話の腰を叩き斬られたリィルは、不満気にぶーぶー愚痴を零しながらも、簡単にワタシと出会ってからの経緯を話した。


 ワタシとしてはそんな設定もあったなって話で、リィルの話が進む度にゼタさんの眉間が緩んでいったのは本当に良いことなんだけど、変わりに広がっていった慈愛と同情の色には当惑以外の何ものもなくて、突如として膝をついたゼタさんにビクッと肩を跳ねさせてしまった。


 同じ高さに下げられた瞳はワタシと同じように涙を湛えているくせに、純粋であまりに清らかだったから、とても見ていられなくて目を逸らしてしまった。


「……イディちゃん」


「はいっ!」


 静かな声に、余計に恐怖、ではなくて緊張を感じてしまって耳も尻尾も真っ直ぐに上を向いてしまったのは仕方のないことだった。


 まぁ、そうは言ってもね。元の世界でも姿勢は良いねって褒められるぐらいだから、今のワタシには一言一句聞き漏らさない用意がありますよ。


 ただね、ワタシだってそんな好きこのんでこんな設定を生やしたわけではないですし、謀ろうとしたなんていう事実は無根で、ほら向こうでは過去に自分が獣幼女だったなんて記憶はないから、あながち嘘っていう訳でもないんじゃないかなって自分でも信じているので、怒るなら優しくお願いします。


(さぁ……、来ないでくれると嬉しいんだけど、来るがいい!)


「これからは、私たちのことをお姉ちゃんだと思ってくれていいからね」


「……へ?」


 腹を見せるタイミングはいつがベストか、今か今かと見計らいながら震えて待っていたワタシを、ゼタさんの腕と大きな胸が包み込んだ。


「まさか、イディちゃんにそんな辛い事情がったなんて考えもしなくて、睨むようなことをしてしまってごめんなさい。

 私も古い言伝えに振り回された身の上だから、イディちゃんがそういうふうな認識でいるのがなんだか……、ちょっと寂しいなって。そう思ってしまったから」


「え、いや、あの……。え?」


「でも大丈夫、これからは私たちがイディちゃんのお姉ちゃんとして、知らないことは全部教えてあげますから! 

 分からないことがあったらなんでも訊くんだよ?」


 ――まさか、あの穴だらけ設定を心底信じるとは……。


 自分で作っておいてなんですがゼタさんはもうちょっと疑うことを覚えた方がいいし、こんなお人好しをいいように使っていると思うと心がギシギシするし、もしかしなくても今のワタシは相当に屑なことをしている。


 キラキラと輝くような瞳にワタシの目も心も潰れる寸前なので、そんなに無垢な表情を向けないでください。


「さしあたって、緑人族オークさんの結婚式。通称『オークの嫁取り』について教えるね。とりあえず式場に向かいながらお話ししましょうか」


「あっ、ハイ。お願いします」


 ワタシは罪を犯しました。でも罰せられるのは怖いので、幼女犬妹としてやっていこうと思います。


 流されることにかけて達人級なのは誰が見ても明らかで、右手をリィルに、左手をゼタさんにそれぞれ握られながら歩き出したワタシは最早、元の世界から持って来ていたかも怪しい尊厳なんてものには唾を吐きかけて涙ながらにお別れするしかない訳で、ペットじゃないことを喜ぶべきだろう。


 ――でもバレた時のために腹を見せる練習だけはしておこう。


「えっと、そうだね。まず何から話すべきか……。

 やっぱり、オークがどういった種族か、からにしましょう。一番初めに知っておくべきことで、オークにはある特徴があるんだけど、それは」


 勿体ぶるようにタメを作ってから、ちょっと得意気になってゼタさんは続けた。



「男しか生まれない、ということです」


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