24 新たな刺客 その①


 びゃーびゃーと子供のような泣き声を上げているゼタさんとオロオロと慌てふためきながら優しい声でそれを宥めているリィルを背に、ワタシは犬人族(クーンシー)のウェイターに一秒間に二回の黄金率で三十秒間、頭を下げ続けた。


 計六十回だ。


 しかし社会に出てからの六年間で鍛え上げたワタシの平身低頭筋、通称・謝筋(しゃっきん)がこの程度でへこたれることはないのだ。


 ――オカシイなぁ。そんな疲れた訳でもないのに目から汗が止まらねぇや……。


 心の中が大洪水になっているのをひた隠しながら謝り続けるワタシを前に、大きな垂れ耳をした柔和そうな彼は終始ニコニコと営業スマイルを崩すことはなかったが、ワタシには彼の額にお怒りの御印が浮かんでいるのがはっきりと見て取れた。


 「楽しんでいただいて大変喜ばしいですが他のお客様もおります」、「皆様に快適な時間を過ごしていただけるよう当店は心掛けております」等など、それはもうご尤もなご意見を頂戴して、注文した商品を置いて彼が去るまでの間にワタシの謝筋はまた鍛えられてしまうのだった。


 ――ふふっ、弛まぬ鍛錬こそ高み(底辺)へ至る道なのだ。……泣いてなんかいないんだから。


 しかし背はワタシよりほんの少し高い程度でそこまで差はなかったが、容姿に関してはビックリするくらい違っていた。


 ワタシの場合、見た目は完全な人の幼女で大きな耳と尻尾を隠してしまえばこっちで言う徒人族(ヒューム)と見分けはつかない。まぁ、隠せないぐらい耳と尻尾が大きいのだが。


 それに反して彼は、犬が二足歩行していると表現するしかないぐらいに犬だった。


 まあ身体の作りは犬と大分違っていたが、おそらく元の世界で言うところのダックスフント系の犬人に違いない。

 毛並はショートで色は艶やかな黒と口の周りや眉毛、手の先なんかは明るい茶色。特にくりくりとした丸くて太めの眉毛がラブリーで、愛嬌増し増しだった。


 こっちでは看板娘のみならず看板息子も存在することに衝撃を受けつつ、ちょっとお腹をわしゃわしゃさせてくれないかなぁ、なんて思ったが邪まな気配を感じ取ったのか彼の目が鋭く光った気がして慌てて頭を下げ直した。


 頭を下げた状態でも視界の端に見えている身体の前で行儀よく揃えられた手の形は若干人っぽかったが、掌には肉球が存在していてついムニムニしたくなったが怒られている最中にそんなことが出来る筈もなく、泣く泣く諦めるしかなかった。


 ――そうとも、ワタシが心の汗を流している原因はこれなのだ。勘違いしてはいけない。


 種が近しい獣人族でも容姿は様々なんだと、また素晴らしい異世界知識が増えたことを喜びながら彼の背を見送って、相変らず一級品の現実逃避にリアルに涙が出てきそうだった。


 しかしそんなワタシの後ろでは未だに収束する気配のない騒ぎが続いており、落ち着く暇もなく早々にワタシもゼタさんをあやすのに参加しなければならなかった。


 ――流石のワタシもインターバルなしで謝筋を酷使するのは勘弁願いたいのだ。


「……落ち着いた? ゼタ」


「うぅ、ご迷惑をお掛けしました」


 ようやく平静を取り戻して椅子の上で縮こまっているゼタさんを前に、ワタシたちは苦笑しながら小さく息をつく。その仕草にゼタさんは申し訳なさそうにますます小さくなってしまった。

 それでもやはり気掛かりで仕方ないのかチラチラとリィルに視線をやりながら、おずおずと口を開いた。


「それで、その……」


「ああ、さっきの話? ……そうだね。ゼタには話しておかないといけないよね」


 リィルはちょっと憂いた表情で目を瞑ってから、静かな声で話し始めた。


 家のこと、家族のこと、初潮が来ていないこと。


 これまでのこと、そして、これからのこと。――自分の望みを。


 ワタシに話してくれたことを余すことなく、飾ることなく、自分でも確認するみたいにゆっくりと言葉にしていった。


 ゼタさんも初めの内は神妙な面持ちで一言も聞き逃すまいと前のめりになって聞いていたが、初潮が来ていないことに話が入っていくと悲痛な表情で口を真一文字に引き絞り、また涙を一杯に溜めていた。


 しかし最後まで話を聞くと覚悟を決めていたのか、今度は騒ぐことなく、瞼の上で涙をふるふると震わせながら拳を膝の上できつく握り締め、泣くことだけはなんとか堪えているようだった。


「でも、諦めないことにしたんだ。

 本当に叶えたい大切な願いなら、誰かに寄り掛かることになっても捨てちゃ駄目だって、イディちゃんが教えてくれたから。

 ……ねえ、ゼタ。私、たくさん迷惑を掛けると思う。もしかしたら、あんまりにも辛くなって当たっちゃうこともあるかもしれない。

 それでも、助けてもらって、いいかな?」


 それでも、なんとか堪えていた涙も、その言葉を最後にボロボロと零れ落ちていた。


 大きな玉になって頬の上を転がっていく雫が黒毛を艶やかに濡らして、大きく開けた口を戦慄かせながら泣いているゼタさんにリィルはそれ以上なにを語り掛けることもなく、優しく抱きしめて彼女の言葉を待った。


「の、望むところ、です! だってそれは、私の願いでも、あるから。

 これまで、たくさん貰ってきた。それをまだ、何も返せてない。これからの全部を使っても返せるか、分からないのに。

 迷惑だなんて思わない! 遠慮なんかされたら、逆に困ります。

 勝手かも知れないけど、私は家族だと思ってる! お姉ちゃんのこと、本当のお姉ちゃんだって、家族だって! 私、もっともっとお姉ちゃんと助け合って生きたい。だって、それが家族でしょう? 

 だから、もっと頼ってよ。お姉ちゃん」


「――ありがとう。ゼタ」


 声を詰まらせ涙に濡れながらも精一杯の笑みを浮かべて見せたゼタさんに、リィルも涙を浮かべながら微笑んだ。


 それから二人は一層強く抱きしめ合って、お互いの温もりを確かめるみたいに少しの間そのままでいて、心地の良い時間がそのまま空気になったみたいに二人の周りを漂っていた。


 ――イイ話だナー。


 いや、本当に。棒ナシですよ。


 だから自分一人の部屋で漫画として見たら涙ちょちょ切れてる展開を前に、二人の邪魔をしないようになるだけ気配を消しながら背景に徹している自分を可哀想なんて思う必要はないんだよ、ワタシ。


「さぁ、湿っぽい話はお終い。せっかく美味しいって噂のお店に来たんだから、めいっぱい楽しまないと損だよ。ほら、ゼタ」


「は、はい。ごめんなさい、イディちゃん。放ったらかしにしてしまって」


「ハッ!? い、いえそんなことはないですよ。お二人がしっかり気持ちを確かめ合えたようで、そのことの方がよっぽど大事ですから」


「んふふっ。ありがとね、イディちゃん。さて、注文もイディちゃんにお任せしちゃったけど、何を頼んでくれたのかな?」


「え、えっと。ワタシもよく分からなかったから、お店の方にオススメをお願いしたんだけど……。これは、なんだろ?」


 目の前に置かれている皿はなにやら盛り合わせのようになっており、正直見ただけではどういったものなのか想像が難しい。


 とりあえず見てはとても綺麗でオシャレに盛りつけられているが、なんだか御高そうって感想しか出てこない。


「えっと。手前の筒状のは、なんだこれ? パイ、かな? 奥のがゼリーで、それから、えっと……」


「ご説明しましょう!」


「ほぅふっ!? ど、どちら様で!?」


 背後から突如として上がった声に尻尾と耳をビン立ちさせながら振り返った。


 スラリとした長身に顔の三分の一を占めるような大きな複眼、背には艶消ししたようなマッドな黒地に煌びやかな光沢を放つブルーのラインと斑が浮かんでいる大きな翅。

 四本ある手を器用に折りたたみ、完璧な礼をしている蝶人族(プシューケ)の男性がそこにいた。


「これは失礼いたしました。私(わたくし)、当店のオーナー兼、店主をしております。イスゥと申します。

 宜しければ商品のご説明をと思い、参上した次第でございます。

 因みに名前のイントネーション、アクセントは『ス』でございます。イ『ス』ゥなので、お間違えなきようお願い申し上げます」


 ――初っ端から自己主張の激しい奴だな、おい。


 彼は口元だけが切り取ったみたいに徒人(ヒューム)と同じような作りで、そこに完璧すぎる笑みを張り付けている。なんだか何もかもが堂に入っていて、逆に作り物めいているように感じてしまい、こっちが気後れしてしまう。


 しかし、どれだけ間が空いても彼はニコニコと笑みを崩さず、その場に直立した

ままで。


 ――これは説明するまで帰る気がない奴ですね、分かります。


「そ、それじゃあ、宜しくお願いします……」


「承りました! それでは手前の方から、こちらは『ロォロ』と申しまして」


 ワタシが恐る恐る首を縦に振るのと同時に、彼は待っていましたと言わんばかりに全身から気力を滾らせて背中の翅を見せつけるようにふわりと広げると、大仰に、しかし優雅な身振りで商品の説明を嬉々として始めた。


「筒型に成形したパイ生地の両端を固めのカスタードで蓋をし、中に樹液を煮詰めたシロップ、仄かに酸味のある小粒のアーセムの実を詰めたものになります。

 当店の看板商品になりまして、徒人(ヒューム)から森人(エルフ)、その他、幅広いお客様にご好評いただいております」


 「どうぞそのまま手で持ってご賞味ください」と頭を下げて動きを止めた彼を背後に、どうすればいいのか分からなくてワタシ達はお互いに目を見合わせてしばらく固まっていた。


 しかし、どうにも食べないことには先に進みそうもないので、手にしたロォロを見つめてごくりと唾を飲み込んでから思いきって齧り付いた。


「……うっまぁ」


 ――ここが異世界(エデン)か……。


 香ばしく焼き上げられたパイ生地はサクサクとした軽い歯ごたえで、一口齧ればふわりとバターの香りと共に森の中の空気のような芳醇な香りが鼻を抜けていく。


 その後を追うように濃厚なカスタードが口の中に溢れて、ワタシの表情筋は破壊しつくされて頬が落っこちる寸前だ。


「うっわ、ホント美味しい! オーグルでもここまで美味しいお菓子は中々ないよ」


「うむ。確かに、これは。ほう、うむうむ」


「特に樹液の中の果実が良いね。濃厚なカスタードの後に優しい甘さの樹液は負けちゃうんじゃないかって思ったけど、果実の酸味のおかげでしっかり味わえるし。

 何本食べても飽きなさそう」


(なんですと!?)


 リィルと自分の感想の違いに思わず彼女手元に目をやると、齧られたロォロの断面から濃い琥珀色の液体がトロリと零れ落ちてきていた。


 そして自分手元に視線を戻し、驚愕の真実に気が付いた。


 ――口も幼女サイズになってるぅ!?


 いや、当たり前ですがな。


 自分でも呆れることに今になってそのことに気が付いた。そりゃあ幼女体になっているんだから幼女口になっているのは当然だろう。


 間抜けにも程がある自分への叱責もそこそこに、改めてロォロに齧りつく。


 そして、徐に手に持ったロォロを皿に置いてから上を向き、両手で顔を覆った。


 ――これ、アカン奴や。


 鏡を見なくても分かる、今ワタシは絶対にメシの顔になってる。


 崩壊しないように抑えた手の下で、口から勝手に「ふへふへ」と変な笑い声が漏れて出てしまうくらい美味かった。


 サクッと齧ったパイ生地の下からカスタードよりもだいぶ緩めの樹液が溢れてきて、噛みしめる度に舌や歯茎にじゅわじゅわと染みこむように口の中が心地良い甘さで満たされる。

 そしてリィルが言ったように果実の酸味が実に良い、噛むたびにプチプチと弾けて果汁と樹液が混ざり合うとまた違った美味しさが口の中に広がっていくのだ。


 ――なによりも、


「すっごい香りぃ……」


「ありがとうございます。当店では香りをより高めるために、アーセムの樹皮を粉末にして振りかけております」


 そう、香りが素晴らしいのだ。


 メイプルシロップや蜂蜜、シナモンなどとも違う。まさに森や樹の香りとしか表現できないような複雑で芳醇な香り。

 それが樹液の香りと合わさって鼻から抜ける度に、深い森林の中にいるような心地良さをもたらしてくれる。


 全てが一体となって完璧なバランスを生み出している一品だった。

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