22 一緒に歩いてくれる人


 二人とも言葉を掛ける前に駆けだして、ゼタさんはリィルに抱きつくと同じくらい大きな声を上げて泣き出し、アミッジさんも涙を一杯に溜めながら髪をぐしゃぐしゃにするのも厭わずにリィルの頭を撫で回した。


 三人の間に会話らしい会話はなくて、それでも確かに互いの思いを感じながら繋がっている。言葉ばかりが人を繋ぐんじゃないっていうのが見ているだけで思い知らされた。


 三人のことを少し離れた所で見つめながら、後ろ手に小さな拳を握りしめて心の中でゆっくりと息を吐きだした。


(……いぃやぁってやったぜぇえ!!!)


 あまりの達成感に声とか色々と漏れ出しそうになったが、そこはグッと我慢して抑え込んだ。それでも満足感だけはどうしようもなく、全身から溢れだすのが止めようもなかった。

 身体を薄い膜で覆われているような充足感についつい頬が緩みそうになる。


 ワタシ史上最大のシリアスを乗り越えた。これはもうワタシ記念日に認定されるね、間違いない。


 今ならベーリング海の蟹漁船に乗っても生きて帰ってこられる気がする。


 ――長く辛い旅だった、困難な道だった。


 シリアスにシリアスを纏ったようなシリアスは、暴力的なまでのシリアスを吹き荒らしながら巨大なバケモノの咢のようなシリアスを剥き出しにして、ワタシをシリアスしようと襲い掛かってきた。


 ――それでもワタシは挫けなかった。


 時に一歩下がったところから様子を窺い、時に肩が触れ合う距離で寄り添って、ワタシは一時も離れることなくシリアスと共にあった。

 怒りに染まったシリアスも、涙に濡れたシリアスも、全部を余すことなく見つめ続けた。


 ――いつか、心から安らいで眠りにつく。そんなシリアスと出会えるのを信じて。


 そして遂にワタシは辿り着いた!


 目の前の感動的な光景が、それが間違いないことを教えてくれる。薄暗い地下から抜け出して太陽の恵みが降り注ぐ外へ、歩き続けた先でワタシはシリアスと正真正銘、誠の友になることが出来たんだ。


 すっごく偉いぞワタシ、良ぉく頑張ったぞワタシ。


(だから、少し。ほんの少しだけ……、肩の力を抜いても良いよね?)


 だってワタシ、観光に来たんですもん。


 自分でも忘れそうになるけどワタシの目的はあくまで観光なんだ。お悩み相談でもなければ修羅場で踊らされる為でも断じてない。


 そりゃあ、あっちを含めて数少ないどころか探しても見つかりそうにないような友人がこっちで出来たことは素直に嬉しいが、そういうことじゃない。

 悩んで悔やんで、苦しんでいた人を助けることの手伝いが少しでも出来たことはただただ喜ばしいが、そういうことでもない。


 ワタシは休日の腕の中で心安らかに豊かな一日を過ごす為に異世界くんだりまで出張ってきているのだ。

 それが月曜日に並みに容赦のない怒涛の攻めに晒されて、小さくなった胃がさらに縮み上がるようなストレスにワタシの精神と内臓は休まるどころかボロボロだ。


 これは最早、ある種の攻撃だろう。攻撃の対象にならないとかダメージを受けないと豪語されていた筈の能力も、この手のことには効果がないようだ。


(能力が欠陥だらけなんですが、そこら辺どうなんですかね?)


 心の中でこっちの世界に来てから何度目になるか分からない神様への呼びかけを行ってみるが、当然のように返事がある筈もない。


 あの神様は絶対に縁日で捕まえてきた金魚に餌をやらないどころか、酸素も入れずに弱っていくのを観察しているタイプだ。間違いない。


 こっちに観光に来てまだ二日目だというのになんたる仕打ちか、これはワタシが満たされる何かでこの後が満載になっているフラグに違いないな。


 ――……いや、うん。なんか別のフラグになってそうだけど、きっと大丈夫。 ないないない。なってないったらなってない! ……なってないよね?


(………………チラッ)


 あの自称神様がどこにいるのか分からないのでとりえず空の方へちょっと視線を向けておいたが、天井が見える他は何もない。


 そもそも見ているかどうかさえ定かじゃない。


 いや、あの神様のことだ。絶対に覗いている。そしてワタシのことを見てニヤニヤしたり、腹を抱えて笑ったりしているんだ。


 しかし。しかし、だ。


 人がそう簡単に思い通りになりそうだから、あの神様は性質が悪いことこの上ないけれど、例えそうだとしてもワタシは平穏無事な観光の為に最後まで足掻く、足掻いてやるぞ。


 そうとも!


 ――面白いことになんて早々なってやったりするものか!


 あの見た目から趣味の悪さが前面に押し出されているショタっ子の神様に、心の中で徹底抗戦することを固く誓っているワタシを余所に、事態は着々と進行していたようで三人を取り巻く空気が和やかなものに変わっていた。


 ようやく落ち着いたのか泣き止んだ二人は、寄り添って顔を突き合わせて、お互いに柔らかな笑みを浮かべていた。


 ぐすぐすと鼻を鳴らしながらゼタさんはリィルに抱きついたまま、呼吸と呼吸の間にどうにか言葉を割り込ませるように語り掛ける。


「これからは、もう勝手にいなくなったり、しませんから。ちゃんと、全部話しますから」


 懸命に言葉を紡ぎながら、もう絶対に離さないと、リィルの胸に顔を埋めるようにもう一度強く、ギュッと抱きしめる。


「もう一度、一緒に生きてよ。……お姉ちゃん」


 リィルも胸の奥から込み上げてくるものに涙まで押し出されそうになるのを堪えるようと、くしゃっと顔を歪めながら必死に答えようと口を戦慄かせた。


「わ、私。私もっ!」


 ――ぐぅ~~ぐぐぐ。


 場を沈黙が支配した。


 突如として言葉を遮って叫びを上げた腹の虫に、その飼い主であるリィルまでキョトンと目を丸くして固まってしまった。


 ――駄目だ笑うな、耐えるんだっ! 笑っちゃ駄目、笑っちゃ駄目、わらっ


「クッ……、ぷふっ」


 一度漏れ出してしまったらもう駄目だった。


 ワタシが笑い出してしまったのを皮切りに、ゼタさんもアミッジさんも次々に笑い出してしまって、もう誰も止めようがなかった。


 初めは手で抑えたりして口の中に笑いを押し込めようとしてみたけど、腹の底から次々と込み上げてくる笑動に為す術なく三人して声を上げて笑ってしまった。


 顔どころか耳まで真っ赤に染めて俯いて座り込んでしまったリィルを囲みながら一頻り笑い合って、なんとかリィルが拗ねてしまう前に笑いの虫をお腹の中から追い出せた頃には、なんだかんだ言って自分たちも腹の虫が鳴きだす寸前だったのに気が付いて、また小さく笑ってしまった。


「フフッ、もうお昼だからね。お姉ちゃん、ここのところ碌な物を食べてなかったし、気が緩んだらお腹が空いてたのに身体が気がついちゃったんだよ」


「だ、だからってみんなして、あんなに笑わなくたっていいじゃない! アミッジ君なんて涙流すまで笑い転げてくれちゃって!」


「悪い悪い。あんまりにも完璧なタイミングだったもんだから、ツボに入っちまった。

 まぁ、なんだ。ゼタが言う通りもう昼だし、三人でどっかの店にでも行って軽く飯を食ってきたらいいんじゃないか? 今から誰かしらが作るってのも手間が掛かるだろ」


「あれ? アミッジさんは?」


「俺は遠慮しとく。というか眠気が限界過ぎて、ヤバい」


 ワタシの問いにこれ見よがしに大きく欠伸をすると、アミッジさんは「女だけで楽しんで来いよ」と爽やかな笑みを浮かべながら背を向けてしまった。


 いやいやいや、お待ちになってよ。確かに外見(がわ)は幼女ですけど中身は君より年上のおっさん一歩手前ですよ?


 それをそんな、女子会だなんて。イジメが過ぎぞ!


(お願いだから一人にしないで置いてかないでッ!?)


 しかしここでぐだぐだ言ったらなんだか空気を悪くしそうで、口には出せずに心の中で念を送り続けていると、「ああ、でも」と小さく零したアミッジさんがちょっと真面目そうな顔で振り向いてくれた。


 振り返ってくれた瞬間はワタシの思いが通じたんだと歓喜したが、なんだかそういう雰囲気でもなくって、とりあえずワタシの願いは叶いそうにないのは分かった。


 うん、知ってたし。


「これだけ言っておかねーと。言いたいこと言わねーですれ違うのは、俺も懲り懲りだ」


 アミッジさんはなんだか覚悟を決めた兵士が戦場に赴くような顔つきで一歩前に踏み出すと、座り込んだままでいるリィルの目を真正面から見つめた。


「リィル」


 先程よりも幾ばくか硬い声音が響く。


「俺にはやらなくちゃならないことがある。……俺がおまえを幸せにすることだ」


 またも沈黙がワタシたちを包んだ。


「……今度のは冗談じゃないぞ?」


 黙りこくっているリィルさんを前に以前のことを思い出して急に気恥ずかしくなったのか、アミッジさんは赤くなった頬をカリカリと指でひっかきながら小さく苦笑を零した。


「俺は稼ぎが少ないし、腕っぷしも弱い、他人より抜きん出たとこなんて見つからない。必要な物も揃ってないし、貯金だって大した額はないけど。

 それでもおまえを幸せにするのを誰かに譲ってやるのは我慢ならない。

 おまえが幸せになるのをおまえだけに預けてやるのだって、もうしない」


 それでも頬を赤く染めたままアミッジさんはリィルを真摯に見つめ続けた。


「おまえが本当に望んでいることを俺はまだ知らないし、おまえが俺にそういうことを望んでくれているかも分からない。だけどな、」


 そこで一旦言葉を切り、アミッジさんは悪戯小僧のような少年っぽい笑みを満面に浮かべると、力強く言い放った。


「俺のしつこさは、おまえが一番良く知ってるだろ?」

 

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