19 そんなシリアスで大丈夫か?
「私はっ! ……私は、全然大丈夫じゃない」
ワタシとしてもこの状態は色々と大丈夫じゃないのは確かです。潤んだ瞳の美人さんに押し倒されるとか、『俺』の時に受けたかった所業ですわ。
二重の意味でドキドキが止まらなくて場違いに赤くなりそうな頬を気合で押し止めながら、リィルさんを真っ直ぐ見返した。
「……私ね」
血の気の失せた唇が小さく震え、か細い声が押し出されてくる。
「本当の家族に捨てられたの」
――ああ、やっぱり……。
予想はできていたとはいえ、それを本人の口から聞くと言葉に込められた重さが本当に質量を共なっているようだった。
鼓膜を揺さぶった言葉がねっとりと粘度を持ったように張り付いて、耳だけじゃなくて全身に纏わりつかれているみたいに苦しかった。
リィルさんの言葉がワタシを押し潰そうとしているみたいに重くて全部放り出したくなるけど、ここで逃げてしまったらワタシは一生後悔するだろう。
――だから、来いよシリアス。全部受け止めてから考えさせてもらいますんで。
「私の、元々の族名は『アーセリア』。
アーセリアはこの街、オールグを作った人たちの中の一人の、森人族(エルフ)が名乗った族名で。私はその一族の末裔なの」
まるで他人事のように平坦な声音だった。
でもリィルさんが何も感じていない筈がないのは確かで、そう聞こえるのは努めて自分の心が動かないように、感情も表情も凍らせているから。
無表情でいることが、なによりもリィルさんの精一杯なんだろう。
「前にも話したよね。私は、森人族(エルフ)と徒人族(ヒューム)の合いの子だって。お母さんが徒人族でお父さんが森人族。
森人族っていう種族は大きくて尖った耳が特徴で、でもそれは見てくればかりの話じゃないんだ。森人族は自然の声、特に樹々の声を聞くことが出来る種族なの。
だから代々アーセリアの一族はアーセムの声を聞いて皆に伝える、巫(かんなぎ)の役割を担ってきた」
ああ、これがアミッジさんの言っていた家と身体の事情というやつなんだ。
リィルさんの表情はまるで説明書に書かれている内容を読み上げているだけのように事務的で、きっと折り合いがついていないのは、一族のことについてじゃない。
それも一因ではあるのだろうけど、もっと別の痛ましい何かがある、そんな気がした。
「だから当然、その子孫もアーセムの声を聞くことが必須になる。それはこの街にとっても必要なことだし、アーセリアの一族にとってはなによりも重要な素養。
他の何ができなくてもいい。樹々の声を、アーセムの声を聞くことさえできれば、他の全てができなくてもいいの。
だからアーセリアは、お父さんとお母さんの結婚を猛反対したんだ」
自分の語っている言葉を一つ一つ確かめるように、リィルさんは長く、だけどゆっくりと話を続けていく。だからワタシも発せられる一つ一つを慎重に受け止めて、欠片も取りこぼさないように耳を傾けた。
「そりゃあそうだよね。血が混ざれば互いの血を薄めることになる。
これが他の森人族の話なら声が聞こえなくても大したことはないけど、アーセリアはこの街を支える重大な任を負ってる。
声が聞こえないっていうのは一族にとってだけじゃない、この街にとって、深刻な悪影響を及ぼしかねない」
街の事情も、一族の置かれている立場も、リィルさんは全部理解していた。
きっと、それを飲み込むまでに沢山の痛みを伴ったに違いない。それでも一つ一つ噛み砕いて、自分を納得させていったんだろう。
「もし、声が聞こえない子供が生まれたら。それが元でアーセリアへの信頼が損なわれたら。一族が滅ぶだけならまだいい、アーセムに登る人々に危険が及ぶ、ひいてはオールグの街そのものが崩れる原因になってしまうかも知れない。
それは一族にとって当然の懸念だった。しかも血が混ざるだけでも大変なのに、一族にとっての気掛かりはそれだけじゃなかったんだ。
……お母さんはね、元々身体が弱かったの」
お母さんのことを口にした時、本当に小さくだけど、リィルさんの頬が緩んだ気がした。
「出産に耐えるだけの体力がない、ってお医者様にはっきり言われてたんだって。
それはお母さんも分かってたみたい。うんうん、そもそも自分の寿命が長くないっていうのも、薄々感づいていた。
だからこそお父さんに、自分とは比べ物にならないくらい長い時間を過ごす愛しい人に、自分にできる最大限を残したかった……。
本当に、勝手な人だよね。いい迷惑だよ」
――きっとお母さんは、リィルさんにそっくりだったと思います。
勝手な想像だけど、お母さんもこれと決めたら一直線だったんだろうし、周りのことが見えなくなることも多かったんだろう。
でもそれは誰かを愛するが故で、きっと周りからも呆れられたり頭を抱えられたりしながら、やっぱり愛されていたんだと思います。
だからアーセリアの人たちも結婚に反対しながら、二人を無理やり引き離すことはしなかったんだろう。
二人が本当に愛し合っているのが、見ているだけで分かったから。
でも、それを口にする前にリィルさんの顔が苦しそうに歪んだ。
「そして一族の懸念は見事に的中した」
リィルさんが自分を嘲笑うように、短く息を吐きだす。
「お母さんは死んじゃって。私はやっぱり『耳無し』だった」
その言葉は、あまりにも侮蔑的な響きを孕んでいた。
「私には聞こえなかった。早い子なら生まれた時から、どんなに遅くても五つになる頃には聞こえてくる筈の樹々の声が、私には聞こえなかったんだ。
どんなに努力しても、思いつく限りのことをやりきっても、一言も……。
だから一族は私を捨てた。うんうん、捨てたって言う程、酷い扱いを受けた訳じゃなかった。でも、幼かった私にとっては捨てられたのと同じだった。
どんなに優しい義父母のところに送られても、不自由なく裕福な生活ができても。一族もお父さんも、私を捨てたとしか思えなかった」
アミッジさんが初めて出会った時、リィルさんは樹の声を聞こうと必死に耳を澄ませていたんだ。
多分それはリィルさんが預けられる前から行っていたことで、家を出てからも諦めずに独り樹に寄り添っては聞こえてこない声を汲み取ろうとしていた。
いつか一族に迎え入れられ、家へ、お父さんの元へ帰る日を夢見て。
「どれだけ努力しても『耳無し』に声は聞こえない。
そのことを嫌っていう程、突き付けられた。だから、私は空師になるしかないって思った。うんうん、自分でそう思い込もうとしてた。
何時までたっても樹の声が聞こえない私でも、空師になって活躍して階級を上りつめれば。アーセムを誰よりも登って、一級、その上の特級になれれば、アーセリアを名乗ることができるんじゃないか。
そんなことしても無意味なのに、そういうことじゃないのにね」
きっとアーセリアというのはただの族名ではなくて、アーセムの声を聞く者というのが本当のとこなのだろう。
どんなにアーセムを登るのが上手くても、どれだけ空師として街に貢献しても、声が聞こえない者にアーセリアは名乗れない。
そうと分かっていても、幼かったリィルさんにとってアーセリアという族名は何にも代え難いものだったんだ。
でも、きっとリィルさんが本当に望んでいたものは、それではなくて……。
「あの頃の私はアーセリアと空師のことしか頭になくって、それ以外はどうでもいいって思い込んでた。
だから気が付かなかった……。私が本当に欲しかったのは、アーセリアの族名でも、樹々の声が聞こえる耳でもない。
私が望んでいたのは、ずっと傍にずっと一緒にいてくれる、家族だった。
アミッジ君が私から離れて行っちゃった後で、ようやくそのことに気付けたんだ。……でも、それすら私には叶わなかった」
もう、どうにも耐えられなかったのだろう。
どれだけ自分に蓋をしても、どれだけ自分を偽っても、悲鳴を上げる心が静まることなんてなくて。込み上げてくる感情にリィルさんの顔は、クシャクシャに崩れていた。
「私ね……」
溢れでた冷たい雫が一つ、ワタシの頬を濡らした。
「初潮がこないんだ」
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