10 帰ってきたシリアス


 続けざまに鈍く甲高い音が響いた。


 いつの間に構え直したのか、ゼタさんは二本のピッケルのようなものを振り抜いた姿勢で固まっていた。おそらく反射的に動いた結果なのだろう、彼女自身も今し方起こったことへの驚愕がありありと浮かんでいた。


「リィルさん……。今、針を。武器を、私に向かって。

 人に向かって、投げましたね?」


 息苦しく喘ぐように、途切れ途切れの言葉がゼタさんの口から零れる。


 間違いであってほしい、何か事情があるじゃないか、言葉にはしていなくとも細いものに縋るような瞳に、こちらまで切なくなるような哀情が浮かんでいた。


「私、言ったよ。もうイディちゃんさえ居れば、それで良いって。

 それを邪魔するって言うなら、例えゼタでも……容赦しない」


 興奮に昂った声でも、悲歎に沈んだ声でもなかった。


 ゆっくりと持ち上がった彼女の顔は、表情そのものが抜け落ちたように何の感情も乗せておらず、神秘的な光を湛えていた筈の瞳も、今は光を一筋も通さない海底のように不気味な暗闇が満ちるばかりだった。


 音が出そうな程きつく歯を噛みしめたゼタさんは、今にも零れ落ちそうになる涙を堪えるように、目尻を吊り上げ険しい表情でリィルさんを睨みつけた。


「そうですか……、分かりました。ならば空帝騎士団の末席として、市内での危険行為、及び障害未遂で、貴女を拘束させていただきます」


 ゼタさんが頽れそうになる身体を支えるようにザリッと音を立てて蹄を地面に噛ませる、その後ろで事態について行けないまま、ワタシは焦りと後悔とで頭の中をごちゃごちゃにしながら尻尾と耳を項垂らせてオロオロしていた。


 ――もしかしなくても、ワタシのせいですよね? これ。


 どう考えてもリィルさんが正気でなくなったのはワタシに合ってからで、もっと言えば確実に神様から貰った能力に当てられたせいだ。


 どのくらいかは分からないが、昔から付き合いがあるのだろうリィルさんとゼタさんの仲がワタシのせいで致命的に悪化している。


 それの原因が自分にあるというのが分かり切っていて、胃を抓られるようなキリキリとした痛みが秒増しで強くなっている。


 とは言っても、ワタシだってこの能力を正直持て余しているし、ましてや使いこなすなんてできている筈もなく。


 どうすれば能力をオフになるのかも分かっていない。


 何とかしなくてはと考えれば考える程、無駄な思考ばかりが積み上がっていき、そんなことをしている内にも二人の間で今まで紡がれてきた関係と言う名の糸が、ワタシの無意識の暴力によって引き千切れらようとしているのに気が気ではなかった。


「……全部で十ある空師の階級の中で、必須の能力が求められるのは三級から」


 リィルさんが徐に口を開いた。


「三級空師に必要なのは、どんな状況に陥ったとしても必ず生きて帰ってくる『生還力』。

 二級空師に必要なのは、登れば登るほど苛烈に、劇的に変化する環境に瞬時に対応する『適応力』。

 そして第一級空師に必要なのは、常人では立ち入ることすらできない自然の猛威とそこに生息する生物、ほとんどの場合が前人未到の難所で、どんなものであろうと打破する『戦闘力』」


 朗々と、教師が教え子を諭すように語るその姿は、どこか哀愁と共にもの懐かしさが滲むようで、リィルさんの無表情がどこか仮面じみた、無理をして作っているような、そんな気がしてならなくなった。


 ――良かった、まだ間に合う。


 リィルさんとゼタさんを繋ぐ糸はまだ切れていない。


 半ば確信したように心の中で安堵の息を吐いたが、ただそれだけのことで、なにか打開案が浮かんだわけではなかった。


 先程の安堵がまるっと焦燥に変わったようにじりじりと胸の奥を炙ってくるのに、自分に何ができるのかも分からなくて、ただヘタレて何もできずにいる自分への呆れと憤りばかりが大きくなっていった。


「私は一級になる前に引退したけど、一級(それ)に見合うだけの実力があったから準一級の階位を持ってる。その私に準二級の貴女が挑む。

 ……それがどういうことか、分かってる?」


 リィルさんが両手に構えた大きな針を、狙いを定めるようにその針先をゆっくりとゼタさんに向けた。


 ゼタさんの瞳に先程まとは比べ物にならない緊張が走る。


 下を向いて垂れていた耳も上向きにピンと張りつめ、両手に持った武器がぶるりと震えた身体に合わせてキチキチと擦れる音を鳴らした。


「……分かっています。こと糸と針の扱いにおいて並ぶ者なし。

 その腕は蜘蛛人族(アラクネ)ですら凌駕する。

 『切れぬ糸』、『繋ぎ結ぶマグリィル』と称された元準一級空師」


 ――なんか二つ名でてきちゃった!?


 いや冗談言ってる場合じゃないのは分かってるけど、リアルに二つ名って。不謹慎ながら驚愕と同時にちょっと興奮してしまった。


 向こうの世界でそんなものを名乗ればただの痛い人だ。しかしこちらでは、きちんとそれがある種の称号として機能している、軽く感動ものだ。


 男の子は皆、中二病の欠片を胸にしまって生きているものなのです……今は女の子ですけども、ワタシ。


 いやいや、そんなことを考えている場合じゃない。


 頭を振り乱して阿呆な考えを追い払い、二人との距離を保ったまま全体を見渡すように注視する。


 逃げることもできず、かと言って自分になにかできるとも思えない。


 ワタシはただ、ことの行く末を見守るしかないのだ。


「しかし、必ずしも階級が対人戦における絶対的な目安にはならない。

 そう教えてくれたのも、貴女です」


 ゼタさんが自分を奮い立たせるように挑戦的な笑みを浮かべ、両手の武器を握りなおした。


 その様子を変わらず無表情で見つめていたリィルさんは、両手に一本づつ針を握り半身になって迎え撃つような構えをとる。


「そう……、なら改めて教えてあげる。一級とそれ以下の間にそびえる壁の高さを」


 半身になっている以外は極々自然体で、優雅に立っているだけのように見えるリィルさんと、足を大きく開いて腰を深く落とし、飛びかかる寸前の獣のような姿勢のゼタさんが対峙する。


 素人目に見てもリィルさんが静、ゼタさんが動といった雰囲気で、対極にあるような二人の気迫に空気まで震えているように感じた……、が実際に震えているのはワタシだった。


 いや未だに逃げていない自分を褒めてあげたい。


 それぐらい二人が発している威圧感は凄まじいもので、常人がこの場にいるストレスといったら漏らしていないのが不思議なくらいだ。


 ……いや嘘を吐いた。さっきゼタさんが針を弾いた時の音にビックリしてちょっと漏れてた。


「それと、一つ訂正させていただきます」


「なにかな?」


 もはや二人に視界どころか、思考の中からもワタシという存在は消えてしまっているのではかろうか。


 だったらもうワタシはこの場にいなくても良いのではとも思うが、足が竦んでしまって動くに動けないので、涙に濡れて色々と漏らしてしまう覚悟を決めるしかなかった。


 ワタシがそんな悲愴な決意を固めているのなど、露とも知らないであろうゼタさんは山羊なのに肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべ、ぐぐぐっ、と力を溜めるようにさらに深く身体を沈めていき……、



「今の私は……二級だぁッ!」



 裂ぱくの気合いと共に、弾けるように跳びかかった。

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