2話 テディちゃんの冒険

01.302号室にいる氷雨の妹

 アパートの一室――自宅で出掛ける準備をしていたミソギはふとその手を止めた。滅多に鳴らない、着信を報せるスマートフォンの電子音が響いたからだ。誰だろう。トキはたまに電話を掛けてくるが、その他の人物はメッセージアプリを介している場合が多い。

 相楽だったら急ぎの用事だろうな、と画面に視線を落とす。

 ――最近はその存在すら忘れていた三舟だった。


「はい、どうしましたか?」

『解析課での仕事は順調かね』

「……まあ、順調ですけど。どうせ三舟さんの事だから、私がどう過ごしているのか知ってるんでしょう? ご用件は何ですか」

『今月の事についての打ち合わせだ。見ての通り、私には関係の無い案件なのでね。何かあれば連絡してきて構わないが、解析課の仕事に、私は基本触らない方針で行くよ』

「了解です。何かって、何も無い方が良いんですけどね」


 ミソギのぼやきはしかし、三舟がさっさと連絡を終えてしまった事で虚しい独り言となってしまった。彼らしいと言えば彼らしいが、せめて話は最後まで聞けと声高にそう言いたい。

 スマホをポケットに仕舞い、買っておいた食べ物を持って外へ出る。

 今日は雨宮が本退院する日だ。幸い、仕事の連絡は来ていないし自分だけでも彼女を迎えに行かなければ。


 トキは丁度仕事が入っていて、十束はどうだっただろうか。何も無ければ彼はきっと来るだろうが。


 ***


 面倒だったのでタクシーを飛ばして15分。霊障センターへ入ったミソギは知っている人物を発見した。

 ただし、声を掛けるのには躊躇する、そんな人物である。


 彼の名前は確か、氷雨。季節外れの異動をして来た、組合の新しい仲間だ。名前だけは聞いている。勿論、便宜上、彼と自分は会っていない事になってはいるがそのぎ公園で顔も合わせた。

 声を掛けるべきか否か。

 一瞬だけ迷ったミソギはしかし、気付かないふりをする事にした。親しい間柄ではないし、馴れ馴れしく話し掛ける方がおかしい気がしたのだ。


 しかし、面倒事を回避するという目論見は物の見事に打ち砕かれた。


「あ……。お前は……」


 ――何でわざわざ話し掛けて来たんだッ!!

 相変わらず知らなければ聞き逃してしまう程の小さい声。体育会計とは程遠い声量だったが、思わずミソギは足を止めた。それは多少なりとも彼の存在を意識していたと自白しているのと同義だ。

 流石にこのまま何事も無かったかのように氷雨をスルーする事は出来ず、困って高い位置にある新しい同僚の顔を見上げた。


「ああ……。悪い、そういえば紹介がまだだったな。俺が、最近異動してきた氷雨だ……」

「ご、ご丁寧にどうも。ミソギです。えぇっと? 何故私の事を……?」

「相楽さんに説明されていた」


 成る程。どうやら彼、同業者である赤札の面々と面識を持っておくよう相楽さんに言われているのかもしれない。どう見たってコイツはほぼ他人の人間に気安く話し掛けられるようなタイプではないし。

 というか、何故彼はセンターにいるのだろうか。

 訝しげに思いながらもエレベーターのボタンを押す。一瞬、階段で行こうかとも思ったが、もう遅かった。これまた何故か氷雨がその隣に並ぶ。


「え、氷雨さんはどうしてここに居るんですか?」


 我ながら失礼な問いだと気付いたのは、氷雨の答えがなかなか返って来なかったからだ。これではまるで、ここに居るのが悪いかのように聞こえてしまったのかもしれない。

 慌てて言い訳しようと口を開きかけたが、時間差で降って来た問いの答えに閉口した。


「妹の見舞いだ」

「……そ、そうですか。私は雨宮を迎えに来たんです」


 ――思いっきり地雷だった!!

 何て不躾な事を聞いてしまったのだろうか、と罪悪感すら湧き上がる。しかも、会話は不自然にストップしたままだ。まずいぞまずい、何を話せば良いのだろうか。


 タイミング良くエレベーターが到着、一緒に中へ乗り込む。他に人の姿が無いので必然的に引き続き2人だけの空間になってしまった。沈黙が息苦しい。


「ひ、氷雨さんは何階まで行きますか?」

「3階だ」

「え、えーっと同じ階、ですね……はは……」

「病室は302号室だ」


 それを聞いてまず始めに思い浮かんだのは、先日の視線だ。何かに視られているような、鋭い視線。そして瞬く間に消えた人影。あの部屋、明らかに曰く付きのようだったけれど妹とやらは大丈夫なのか。

 当然、そんな不吉な事を言う訳にはいかないのでやはり不自然な沈黙が周囲を支配している。


 この後、3階に到着しそれぞれ目的の病室の前まで一緒だったがほとんど会話は無かった。どうして一緒に行動してきたのか、何故彼は腹から声を出さないのか。疑問は尽きないが、解明出来る日は来そうにない。


 それにしても、とミソギは氷雨が入って行った病室を胡乱げに見つめた。

 前の組合から異動して来たと聞いたが、302号室は前々からずっと人が入っていたと記憶している。3階にいる患者は『退院の見込みが無い者』が活用するフロアだ。

 何故、氷雨の妹は前組合の霊障センターではなく、この組合のセンターに入院しているのだろうか。


 ――非常に胡散臭い。彼も何か一枚噛んでいるのかもしれないし、警戒するに越した事は無いだろう。三舟と組んだタイミングで異動して来たのも、偶然の一言で片付けるには出来過ぎている気がする。

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