03.IDの解析

『赤札:戻りました。今は茂みの中にいます。どの辺なのかは、ちょっと説明が出来ませんが』


 ルーム主らしき赤札が浮上した。好かさず相楽が文字を打ち込む。雨でスマホの操作もし辛いだろうに、それを感じさせない軽やかなタップだ。


『相楽:取り敢えず、そこから動くな。公園の端から端まで数十分掛かるが、移動する度に報告してくれ。風景の写メとか上げれねぇか?』

『赤札:写メは撮れません、止まる事も出来ません』

『相楽:追われてる?』

『赤札:まあ、ええ……。今は音声入力で――』


 不自然な所で文字が途切れた。どうやら逃げ回っているらしい。


「どうするのですか」


 苛立ったようにトキが訊ねる。ううん、と悩ましげに呻いた組合長が何事か対策を口にしようとした瞬間、今度はそのスマホに着信が来た。


「うわ、誰っすか?」

「アプリIDの解析をさせてた、支部の諜報」


 短く答えた相楽が通話ボタンを押し、すぐに二言三言、言葉を交わす。その間に、南雲はトキに話し掛けた。


「今、アプリの方はこんな感じっすけど、どう思います? まさかイタズラとかじゃないっすよね」

「分からん。悪戯などでは無いだろうが、ルーム主の意図が不明過ぎる。解析待ちだな」

「でもミコちゃんの予知が大当たりなら、結局イタズラだろうと何だろうと帰れないんすよね、俺等」


 などと会話をしているうちに、相楽が通話を終了した。何とは無しに報告を待つ。心なしかやや青い顔をしたその人は困惑の表情を露わにしている。


「何かよ、IDの文字化けが激しくて解析が難航してる、っつう連絡だった。赤札の特定まで時間が掛かるな。というか、もうルーム主本人に聞いた方が早い気がしてきた」

「落ちてますよ。返事ねぇもん」

「だよなあ。何で音声入力……雨の音とかで難しいだろうに。ん……そういや、奴の吹き出しには無駄な文字は挟まってなかったな」


 現在のそのぎ公園は人っ子一人いないが、それでも無音状態ではない。雨音、木々の擦れる音に、細く流れる小さな川の音。自然界の奏でる音に溢れている。

 それを音声入力が欠片も拾っていないのは確かに違和感に満ち満ちているような気もするが、考え過ぎではないだろうか。


「実際問題、アプリのIDを文字化けさせた状態でアプリにログインする事は可能なのですか?」

「トキ……お前、あまりアプリ使ないもんな。文字化けした状態でもログイン出来るっちゃ出来る。俺等の画面で文字化けしてるってだけで、恐らくログイン時にはちゃんと文字を打って入ってんだろうからな」

「ミソギを除く、赤札の所在は?」

「一応、全部把握してはいる。分からないのはミソギの行方だけだな。しかしまあ……アイツにIDを他人の画面で文字化けさせるようなテクニックがあるとは思えねぇし、何より誰にも直接連絡を取らないのが謎過ぎるからなあ」


 今回のお仕事が長引きそうな予感にか、トキが刺々しい舌打ちをした。そんな先輩の心を落ち着けようという後輩の気遣いで、南雲は再びミソギに連絡を取ろうと試みる。本日2度目くらいの電話だが、やはり何コールしても出ない。

 電波が云々という電子音声が聞こえたところで、通話を終了した。


「駄目っすね。ミソギ先輩には相変わらず連絡取れねぇっす」

「それも意味不明なんだよなあ。意図的に無視してんのか、スマホが手元に無いのか、そもそも圏外にいるのか――いや、おざなりになってたがマジでアイツはどこ行った? 心配になってきたぞ、おじさんは」

「変な事件に巻き込まれてたりは……」

「んー……何とも言えないな」


 やること、確認すべきことが見事に山積みだ。今まで目を逸らしていた数々の問題に向き合わざるを得なくなった相楽は頭を抱えている。


「ん……?」


 不意に先頭を歩いていたトキが足を止めた。警戒するように、持って居た模擬刀を握りしめて臨戦態勢に入る。

 釣られてそちらを見た南雲はギョッとして息を呑んだ。


「ヒィァッ!? い、いいい、いつの間にそこに!? どっから湧いて出たんだよぉ……」


 この雨が降りしきる中、重そうな着物を纏った髪の長い――恐らくは、女性。前髪だか後ろ髪だかで顔が全く見えないので断言はできないが、少なくとも着ている着物は女性物だ。

 見えている手などの露出した肌がとてつもなく青い。まるで生気を感じさせないそれに息を呑み、ジリジリと後退った。


 何故だろう、酷く息がし辛い。

 首までじっとりと重い、水に浸かっているかのような閉塞感が不安を煽る。ずるずると着物を引き摺りながら怪異が一歩近付いて来る毎に、空間そのものに圧迫されているかのようだ。

 ――恐い。

 それは単純に霊を見つけてしまって絶叫出来るような、生半可な感情ではない。対面しているこれに捕まってしまえば、命は無いような生物的恐怖心が芽生える。


「な、何だコイツ……!?」


 目を眇めた相楽もまた、目を白黒させその場に硬直していた。そんな中、やはりと言うか何と言うか、トキその人だけは平常心のようだ。

 相楽の別に答えを求めている訳では無いような呟きを拾い、事務的に解答を寄越す。


「あれが単体で強い、1体のみの怪異ですね」

「いや、見りゃ分かる。コイツ多分、人間が手を出しちゃいけないような代物だろ……。お前等、3年前によくコイツと戦ったわ、どっから出て来た!?」

「水場ならばどこからでも。あの水溜まりから湧いたのでは?」

「冷静か! 焦れよ、もっと!!」

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