contagious yawning

 時は何故か遡り、今年の4月。

 一連の騒動の後、目井めいさんがまだ堂喪どうも甲藻こうもの病院に入院していた頃のこと。




 入院している知人のお見舞いに来て、病室の扉を開けて真っ先に目に飛び込んできたのが床から肩より上の部分だけを出してニコニコしている知人だった場合、非口ひぐちとデンス(Dence)でなくても驚くだろう。


「やあ、こんにちは!」

 床から生えた知人、目井さんは元気よく挨拶した。両手を目にも留まらぬ速さで振りながら。


「こんにちはっていうか……」


「何、してるんです?」


「先生方に、そろそろ退院できるんだからそれに備えて少し運動しておいたほうがいいんじゃないかとアドバイスをいただきまして。コサックダンスをしようとしたんですが、足の力加減を間違えて床を踏み抜いて、こうして嵌ってしまいまして。自力じゃ抜けなくて困ってたんです」


 非口とデンスは数秒ほど顔を見合わせたかと思うと、両手を取り合ってその場でくるくると回りだした。


「目井さんだ! この人間違いなく目井さんだ!」

 

「本物の、目井さん! 」


「真下のお部屋の方、天井から突然人間の肩から下が現れて相当びっくりしてると思うので、早く抜け出さないといけないんです」


「帰ってきた! ちゃんと、帰ってきた!」


「私の腕を片方ずつ持って引っ張っていただけませんか? ある程度引き上げていただいたら自力で這い上がるので」


「無事で何よりだよ!」


「あのー、助けていただけないんですか?」


「今、やっと、実感、湧いた! うおおおおおおお!」


「あの?」




「そうですよね! 今月から高校生になられたんですよね、おめでとうございます!」

 床から救出してもらい、お見舞いの品だと言って渡された期間・数量・店舗限定のカップ焼きそばよもぎ餅味を食べながら、目井さんは新高校一年生の二人にお祝いの言葉を述べた。


「ありがとうございます!」


「おかげさまで。いろんなこと、あったり、なかったりしたので、実感、あまりない、ですが……」

 愉楽が少し落ち着き、冷静に答える二人。


「お二人とも、お噂はかねがねですよ」


「はい? 噂って、何の? ふあ~」


「高校の入学式しょっぱなから二人して大遅刻したという……」


「ちょ、なんで、隣町ここにまで、広まってる!? ふあ~」


「話題になってましたよ。もちきりでしたよ」


「話題に、すべきこと、もっと、あるでしょうに…… ふあ~」


食美はみちゃん、眠い?」

 非口を気遣わしげに見やるデンス。


「はっ! ごめん。うん、なんか、ちょっと…… ふあ~」


「春眠暁を覚えずかな。ふあ~」


「……あくび、うつってる。ふあ~」


「……あ、本当だ。ふあ~……」


 目井さんはそんな二人を微笑ましげに見てから、言った。

「あくびってね、親しい人ほどうつりやすいらしいですよ。共感や関心があるとね」


「えへ…… ふあ~」

 照れる二人から窓の外へと視線を移し、空になった焼きそばの容器を置くと、目井さんは立ち上がった。

「もう薄暗くなってきてますし、念のため駅まで送っていきますよ。ちょっと散歩もしたいですし」




「こころなしか、今日は皆さん眠たそうですね」

 道行く人々、のみならず散歩中の犬達までもがあくびをしているのを横目に呟く目井さん。

「そう、ですね。ふあ~」


「みんな暁を覚えずなんですかね。ふあ~」


「あ、そういえば。デンスさん、ちょっと、確認したいことが、ふあ~」


「わあーちょうちょ飛んでるー、ふあ~」


「この前、学校の、ふあ~」


「チョコとガム一緒に食べるとね、ガムが溶けちゃうんだって。ふあ~」


「デンスさん? ふあ~」


「朝起きた直後って、口の中が細菌でいっぱいなんだって。ふあ~」


「会話、噛み合ってな……」


「ふあ~」

 一際大きなあくびをしたかと思ったら、デンスはぐらりと前に倒れた。

「うわわっ!? ふあ~」

 慌てて抱きとめたら、耳元で聞こえたのは微かな寝息。

「……寝ちゃった。ふあ~」


「歩きながらとはまた高度な。では、デンスさんは私がご自宅までお連れしますよ」

 さっとデンスをおんぶする目井さん。

「おやおや、他の皆さんも寝ちゃってますね」


「え?」

 言われてみれば、先程まであくびをしまくっていた人々や犬達、さらには通りすがりらしき猫達や鳥達、虫達までもが次々とその場に横になり、目を閉じて眠り始めていく。

 寝息や寝言やいびき以外の物音が、続々と消えていく。深夜と勘違いしてしまいそうなほどの静寂が広がっていく。


「こんなに、色んな人達、同時に、寝ます? ふあ~」


「眠くなる陽気というのはあるものですが…… おや?」

 道端に植えられていた色とりどりの花達。それらがまるで何かの合図に従うかのように。次々と閉じていく。

 萎み、蕾のごとくなり、その美しさを内に秘めてしまう。

(……合図?)


「どうしました? ふあ~」

 あくびをしつつ花壇の横を歩く非口。その歩みに合わせ、閉じていく花達。


「分かりましたよ非道さん!」


「非口」


「みんなあなたのあくびがうつってるんです!」


「え? ふあ~」


「それですそれ! 皆さんあなたがあくびしているのを見て、うつってしまって眠くなっちゃったんですよ!」


「ええ!? 親しい、人達でも、ないよ!? それに、なんで、わんちゃん達まで!? ふあ~」


「親しくないなら全くうつらないとも限りませんし、違う生物同士でもあくびがうつることはあるんです。

 それにしたってお花にまで伝染してるのは意味が分かりませんが…… ひょっとしたら、あなたのあくびは他者の共感や関心をやたらと引き起こす何らかの成分を発しているのかもしれません。いやそのへんは分かりませんけど。

 あなたが色んな生き物にうつしまくり、うつされた方々も他の方々にうつし、そうしてネズミ算式にみんな眠くなっていき……」


「どんだけ、大事おおごと!? ど、どうしましょう!? ふあ~」


「そうですね、まずはリラックスして事に当たりましょう。うん、リラックス。リラーックス…… ふあ~」


「あああああ、頼みの綱に、うつったああああああ、ふあ~」


「あらあら、私も色んな現象の影響を受けにくいってだけで、全く受けないわけじゃないですからね。

 じゃっ、おやすみなさーい。ふあ〜」

 言うが早いが、デンスを背負ったまま地べたに腹ばいになり、同時にいびきをかき出す目井さん。


「目井さあああああん! どうしよう、どうしたら…… あ、無理。ふあ~」

 非口も、目井さんの隣に仰向けになった。


 そんなわけで、隣町のありとあらゆる機能は丸一日停止したままだったという。

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