noisy noisier noisiest

「じゃあマジなんだな? コイツの言ってること? ならテメェはどうしなきゃいけねえンだ?

 ……違ェだろ、俺様じゃなくてコイツに謝れコイツに!」

 その日は朝っぱらから、刑務所中に受刑者が刑務官を怒鳴りつける大声が響いていた。


「どうしたの? あれ」


「あの刑務官さんがお財布を無くしたらしいんだよネ。で、あの受刑者のこと『窃盗犯だから』ってだけの理由で盗んだって決めつけていっぱい怒ったらしいネ。でもそのうち、刑務官さんのポケットから普通にお財布が見つかって…… なのに刑務官さん、あの受刑者に謝りもしないでその場を去って行っちゃったらしいネ。で、そのことを桃田ももたさんがあの受刑者から聞いて腹立てて、この状況ってことネ」

 津々羅つづらとパイパー(Piper)は、騒動を前にこそこそとそんな会話をしていた。


 桃田ももた団子だんこは、かつて釘を大量に打ち込んだ金属バット(本人曰く「釘金属バット」)片手に、とある市の市長宅に乗り込み、市長をボコボコにして多額の金を強奪。その罪で刑務所にやって来た人物だ。

 縦も横も、小柄な津々羅の倍はある超巨体で筋肉もムキムキ。津々羅とは逆の意味で丁度いいサイズの受刑者服がなく、常に半袖と短パン状態。もはや力持ちとかいう次元の話ではなく、入所したての頃壁に寄りかかったら、力加減を間違えて建物を半壊させてしまったという伝説を持つ。本人も今年の夏、それを盾に取って「いい加減クーラーを設置しろ。じゃねェと今度はここを全壊させンぞ」と刑務官達を脅し、本当にクーラーを付けさせていた。

 そもそも子どもの頃から、桃田は他の子ども達や教師を殴ってしまったり何だりというトラブルをしばしば起こしていた。


 そんな桃田だが、被害者が市長を務めていた市の人々は、多くが桃田に感謝に近い感情を抱いていた。

 というのもこの市長、市民から税金を取るだけ取っておいて全く市民のために使わず、自分のためにばかり使用していたのである。しかも立候補した際に掲げた公約は全く守らない、問題発言をしておいていけしゃあしゃあとしているなど、大多数の市民達は怒りを抑えきれないところまで来ていた。

 それを知った桃田が行動を起こし、市長から盗んだ金を市民達に返して回ったのだった。裁判で桃田が市長に向かって怒鳴った「人の金盗んだ鬼はテメェじゃねェか!」は今でも市民達の間で語りぐさになっている。

 子どもの頃から喧嘩っ早く、いじめっ子や生徒に暴言を吐く教師など、自身が「悪」と判断した存在に思わず手を出してしまう悪癖があったが、その分弱い立場にいる者に対しては親切な性格だった。だからこそ上にいる者には煙たがられがちで、それ以外の者には慕われていた。

 暑さに苦しむ他の受刑者達の体調を気遣ったり、受刑者に理不尽な扱いをする刑務官に怒りを顕にしたりと、いい悪いは別にして、その性根は今でも変わっていないのである。


 一方で、そんな騒動から少し離れたところでは、君頭きみずキミキがニヤニヤしながら成り行きを見守っていた。


  


 君頭は、生まれつき重度の難聴だった。どのくらい重度だったかというと、「頭上を通過するジェット機の音も聞こえない」とされるほどだった。


 とはいえ、周囲の人達にも恵まれ、特に自分を不幸だと思うこともなく生きてきたつもりだった。

 が、自覚はなかったが、君頭は他の子ども達に比べて圧倒的に打たれ強かったらしい。

 大量の難しい宿題を課されようが、遠足で山道を歩き続けることになろうが、決して辛いと思うことはなかった。

 何よりも、どうやら小学生や中学生の時にいじめられたことがあったらしい。けれど持ち物を壊されようが、石を投げつけられようが、悪口を書いた紙を渡されようが、全く意に介さずニコニコしている君頭を目の当たりにして最終的にメンタルをやられて不登校にまで追い込まれたのは、いじめっ子達の方であった。


 というエピソードを、成人して越してきたばかりの頃に目井めいさんに話したら、ある提案をされた。

「人工内耳というものはご存知ですか?」


「聴覚を補助する器具ですよね。耳に電極、頭皮にコイルや磁石を埋め込んで、耳にかけるマイクから音を拾って電気信号に変換して、聴神経に届けるっていう。個人差はあるそうですが、補聴器の効果があまりない人も聞こえるようになるかもしれないらしいですね」

 目井さんの流暢な手話に返す君頭。


「そうです。先日ですね、それの機能を飛躍的に改善したものを開発してみたんです。ですが、自分で作っておいて『これ、聞こえすぎて人間の精神力じゃコントロール難しいですね。耐えられませんね。誰にもご紹介できない……』と悩んでいたんです。

 ですが、あなたならきっと大丈夫です! もしよろしければ試してみていただけませんか?」


 君頭は迷った。これまでずっと音のない世界で生きてきた。全く新しい世界に飛び込むことへの抵抗や不安は流石に感じた。

 数週間ほど考え込んで、それでもやはり手術を頼むことにした。音というのがどんなものなのか、知りたいと思った。




 手術が終わり、麻酔が切れて目が覚めて…… 真っ先に、戦慄した。


 痛かった。

 両耳や頭に、絶えず目に見えない細長い虫がぬらぬらと侵入し、我が物顔で暴れまわるような、それを、痛みと認識した。

「痛い! 痛いよ!」

 目井さんに必死に訴えたが、目井さんは穏やかな表情で伝えてきた。

「変な感覚ですよね。でもそれが『聞こえる』ってことなんですよ。少しずつ慣れていけば大丈夫です、お手伝いしますから」

 そう言われても、頭部が破壊されるようなこの激痛に耐えられる自信などどこにもなかったし、聞こえるというのがこんなことならば何も聞きたくない。その時はそう怯えた。


 けれど、目井さんの見込み通り、いや、見込みを遥かに超えていた。

 恐怖を感じたのはその瞬間だけだった。君頭は持ち前の鋼のようなメンタルを駆使して、目井さんも驚くほどの短期間で聞くことに慣れていった。


 自分が食べ物を咀嚼する音、箸を床に落とした音、カーテンを勢いよく開ける音、衣服の擦れる音。

 これまで人に教えてもらったり、本で読んだりして想像していただけだった音を実際に耳にすることができた。想像と似ていた音もあれば、全く違う音もあった。そもそも「聞こえる」という感覚がよく分かっていなかったので、「音」というものの存在そのものが想像を超えるものではあったけれど。


 友人達や家族の声も初めて聞いた。形がないのに、顔と同じように個性があるのが不思議だった。「声で誰だか分かる」という言葉の意味がやっと分かった。

 何よりも、自分の声を初めて聞いた。自分からこんな音が発されているのが面白くて、もっと聞きたくて、無意味に声を出してみたりした。周囲を真似て喋ってみようともした。最初は、複雑な発音が難しくてもどかしかったが、様々な人が話しているのをよく聞き、ひたすら練習を重ねてアナウンサーばりの明瞭な発音を習得していった。


 目井さんの開発した人工内耳は、使用者の意志に応じて音の聞こえ方を大きくしたり、小さくしたりと調整することが可能だった。初めのうちは小さめの音で慣れていって、徐々に大きな音に挑戦していく、ということができた。

 それだけでなく、音の聞こえる範囲も自分の意志で移動させることができた。自分はその場を動かなくとも、たとえばよく行く駅の改札口付近の音を聞いてみたいと念じれば、聴覚をそこに飛ばし、音を聞くことができた。やり方を習得してからは自分がいる場の周囲の音を聞きつつ、複数の場所、それも近所だけでなく行ったことのない外国にまで範囲を広げて、ありとあらゆる音を聞く楽しみを覚えた。


 やがては、1km先で落ちた針の音どころか地球の反対側で落ちた針の音を聞き取れる、十人どころか一万人が同時に話していても個々の話の内容を聞き分けられると豪語できるほどの自信を身に着けていった。

 「百聞は一見にしかず」とはいうが、聴覚情報が視覚情報に劣っているわけではない。君頭は今や、声を聞いただけでその人物の容姿を言い当てたり、物音を聞いただけでどんな材質の物がどう使われているのかを推察することができるようになっていた。


 それまでの人生もそれなりに楽しいものではあったが、さらにこんなにも楽しい世界があったとは知らなかった。自分のいる世界が、こんなにも無数の音で満ち溢れていたとは知らなかった。

 この世にいる限り、音と無縁な存在などない。

 動物は動き回ったり、声を上げたりする。物も使用される際に音を立てる。死体でさえ、腐って崩れる際に音を立てる。

 無音に思える空間であっても、よく耳を澄ませばそこにひしめき合う微生物達の立てる音が聞こえるのだ。

 音を立てることは存在すること。この世には、想像を絶するほどの存在がいる。

 聴覚は、君頭をそんな壮大な考えにまで至らせてくれた。


 幸せでたまらなかった。もっともっと、聞きたかった。世界中の音を聞きたかった。爆音を、轟音を聞きたかった。


 そしてある時、深夜まで大音量で音楽を流すなどの騒音で被害を出した罪と、他人の会話を盗聴して知った秘密を利用した恐喝を行った罪で捕まった。




 多数の人間に責められ、批判されながらも、君頭は終始恍惚としていた。

 「多数」の人々の、「大きな」罵り声を聞けて嬉しかった。どんなに口汚い言葉を浴びせられても、心は全く傷まなかった。

 いつの間にか、他者の少しでも大きな声を聞くためにと、少しでも相手を苛立たせる言動を取るようになっていた君頭の裁判は、それはそれは凄惨なほど喧しかったという。


 それは刑務所に来てからも変わらず、他の受刑者を煽って怒らせたり、自身の部屋で大音量で音楽を聞いたりTVを見たり掃除をし、再三注意されても改めないため、やむを得ず君頭の部屋は両隣を3つずつ空けなければならなくなったり、あまりの爆音に衝撃で窓が割れてしまったため、君頭の部屋だけ窓が強化ガラスになっていたりと、桃田以上の数の伝説を持ち、周囲からは桃田とは天と地ほどの差のある評価を受ける人物となった。本人はそれを意に介さないどころか、全く反省の色を見せることもなく騒いだり騒がせたりを心から楽しんでいた。

 今も、大声を出す桃田と、それにざわつく受刑者達や刑務官達をショーでも見るようにワクワク見物しているのだった。




 その日の午後、君頭は刑務所の外のありとあらゆる国や地域に聴覚を飛ばし、無数の種類の会話や音を楽しみつつも、刑務所内の面会室の会話も盗み聞きしていた。


 喋っているうちの一人は津々羅だ。あれだけの大罪を犯した人物なのだから、さぞ大騒ぎしてくれるだろうと期待していたのに、常にムスッとして一切喋らないものだから(何だ、つまんねえの)と落胆していた。

 まあ、先日脱獄したのを誤魔化してやった件については、後日律儀に礼を言ってきたので、必要とあらば話せる奴なのかもしれないが。


(もっとデケエ声で喋れや)

 津々羅に内心そんな悪態をついていたが、やがて。

(あ)

 津々羅ではない、もう一人…… 目井さんの話し声が聞こえてきた。声だけで、いつものあの笑顔であることがありありと分かる。

 頬が、自然に緩んでいく。




 数ヶ月前、刑務所にまで目井さんが行方不明だという情報が入ってきた。

 必死で聴覚をほうぼうに飛ばして目井さんを探し当て、様子を盗聴してみたら、全貌までは分からないながらも、とんでもない事態に見舞われているのを把握した。助けに行きたいとさえ思ったが、自分にはどうすることもできないことも理解していた。

 珍しく動揺する自分の様子を心配したパイパーに声をかけられ、自分が聞いた情報を伝えた。するとパイパーはそれを津々羅に伝え、津々羅が行動を起こすことになった。

 何もできない歯がゆさを覚えつつ、ハラハラしつつ、怯えつつ、脱獄した津々羅と、隣町で騒動の中心となってしまっている目井さんの様子を聞き続けて…… そして、どうにか無事にことが解決した途端、ほっと胸を撫で下ろした。




 自分にこの賑やかで喧しくてうるさい世界を教えてくれた恩人。

 この人の声は、大声じゃなくても構わない。ただ聞こえるだけで嬉しい。大好きな声。

 またこうして聞ける。本当に、良かった。


 君頭は、じっくりとその声に聞き入っていた。

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