large hole

小学生 「目井めいさーん大至急! アサガオの観察日記の宿題が出てるんだけど、先延ばし先延ばしにしてまだ種すら植えてないのにいつの間にか夏休みド終盤になってたの! どうしよう!」


目井さん 「ご安心ください! この私特製の肥料を使えば、すぐに成長しますよ!」


小学生 「本当!? ありがとう、使ってみる!」




「という会話をした10分後くらいにお宅に伺ってみたらびっくりしましたよ。アサガオさんの蔓が想像を絶するほど伸びまくって、お家の中を占領してたんですから。

 いや占領とかいうレベルじゃありませんでしたね。2階建ての家中の床から壁から天井まで、空間という空間に1mmの隙もなくミッチミチに詰まってましたよ蔓が。ご家族全員がんじがらめにされて意識を失ってましたよ。うまいことアサガオさんを傷付けることなく全員救出しましたが。

 流石にそこまで強力にしたつもりはなかったんですが申し訳なかったです。どんな生物でも予想外のサイズに成長することってありますからね、うん」


 そんな独り言を言っていたら、診察室のドアが開いた。

「目井さーんっ! ちょっ、ちょっと、どうしようっ!?」


「おや、何がビッグサイズに成長したんですか油瀬ゆぜさん?」


「はっ? ビッグサイっ…… 何の話ですかっ! とにかく早く来てくださいっ!」

 暑さのせいなのかなんなのか、顔を真っ赤にした油瀬加奈可ゆぜかなかは、目井さんの腕を引っ張った。




 シャアシャアシャアシャア


「え、ここって、まさか……」


「そう、我が家です。厳密には、我が家です」


 疲弊に満ちた油瀬の声を耳にしながら、目井さんは目の前の光景を呆然と眺めた。

 住宅街から離れた山の麓に一軒だけ佇む、築年数の古い小さな平屋。それが油瀬の自宅だった。


 だが今目の前にあるのは、かろうじて地面に建つ一枚の壁。それと、地面に穿たれた巨大な穴。その底に折り重なる、崩落し瓦礫と化した、元は壁を、床を、天井を、屋根を構成していたパーツと、破壊された家具の山だった。


「こりゃ酷いですね……」


「一月ほど旅行に行ってて、帰ってきてみたらこのザマで……」


「ああ、それでスーツケース持ってらしゃるんですね…… お怪我がなかったのは幸いですが……」


 近寄って凝視してみた。いくら頑強とは言い難い状態ではあったとはいえ、人家一つを破壊し、ここまで大きな穴を開けるほどの何かが落下してきたとでも言うのだろうか。


 シャアシャアシャアシャア


「びっくりして住宅街の人達に何か知らないか訊きに行ってみたら、『そういえば1ヶ月くらい前の早朝にあなたの家の方から爆音がしたけど、気にせずに寝ちゃった』って証言を多数いただきまして…… 気にしてほしかった……」


「まあ、睡魔には勝てないこともありますから……」

 目井さんは慎重に穴へと足を踏み入れ、中の様子を確認しながら言った。


「でもっ、それだけじゃなくてですね」


「はい?」

 瓦礫片手に穴の中から油瀬を見上げる目井さん。


 シャアシャアシャアシャア


「どうにもそれ以来、この辺りから時々変な音が聞こえてくるようになったとかで」


「ほう…… どんな音なんですか?」


「それがですね……」

 油瀬が説明しようとしたその時だった。目井さんが「あっ」と声を上げた。


「どうしました?」


「この穴、多分地上から開けられたものじゃないです!」


「えっ?」


開けられた穴だってことです!」


「はっ? どういう……」


 シャアシャアシャアシャアシャアシャアシャアシャア


「ああ、そうそう、さっきの話に戻りますけど、住宅街の人達が聞いたっていう変な音も、ちょうどこんな感じだったそうで……」

 憎らしいほど晴れ渡った空が、俄に曇る。加速度的に濃さを増していく薄暗さ。

 雨でも降るのだろうか。頭上を見上げた油瀬は、一瞬で顔を引きつらせ……


「目井さん避けてっ!」


「はい!?」

 目井さんが穴から顔を出したのと、その面前に「何か」が地響きをさせながら墜落してきたのは同時だった。




「えっ…… 何、これ…… うっ……!?」

 もうもうと大量の土煙を立てる「何か」の正体を理解し、凍りつく油瀬。


「いたた、驚きました……」

 衝撃で穴の最奥まで転がり落ち、這々の体で這い出してきた目井さんは、けれど「何か」を目にし、医者の顔になった。


「大丈夫です! 今治療いたしますよ!」

 頼もしい台詞を吐き、地面に背中を付けて仰向けになるに駆け寄った。


 ジリジリと自身の身を焦がす太陽に、日光を反射する白っぽい腹を向け、6本の足をデタラメに蠢かせる、規格外のサイズの昆虫。

 油瀬も、こわごわ接近してみた。崩壊した自宅と同じくらいの巨体。その姿見のような、虚ろな片目に自分自身の全身が映し出されている。異質な存在であろうそれに、この世で最も見慣れたものが映っていることで、油瀬の中ではやおら不気味さが薄れてきた。


 そうか、こいつが出てきた穴だったのか。運悪くそこに家が建ってたからこんな事態になったんだな。蝉の寿命は1週間くらいって言われてたけど、最近の研究では実は1ヶ月くらい生きられるって結果が出たらしいから、一連の原因はこいつか……

 状況に不釣り合いなほど落ち着いて思考できた。そして、思い出したことがあった。




 今から5年ほど前のこと。その日外出しようとしていた油瀬は、ふと家の側に生える一本の木に目を止めた。

 自身が子どもの頃からそこにあった古木。その根本に、何か弱々しくもがくものがいた。

 屈み込んでみて分かった。小さな小さな飴色のクマゼミの幼虫だった。

 今はまだ春。蝉が出てくるには早すぎる。何より、こいつはあまりに小さすぎる。何かのきっかけで誤って地上に出てしまい、地中に戻ることもできなくなったのだろうか。

 もう、ダメかもしれない。そう思った。


 けれど、油瀬は木の根元に穴を掘った。そこに幼虫をそろり、と置き、小声で話しかけた。

「大丈夫だよっ。大きくなれよ」

 そして、上からそっと土を被せた。




「そっか、お前、あいつかあ。頑張ったなあ。こんな『大きく』なるまで」

 少し苦笑し、そっと眼前の蝉の顔に触れる。表情を読み取れないそこは、鎧のように硬かった。

 こいつにも、頭痛に耐えながら必死でこいつを救おうとしている目井さんにも申し訳ないが、地面にひっくり返っている蝉の寿命は、尽きる寸前なのだと聞いたことがあった。今度こそもう、ダメなのだろう。


 それでも。

「あの後、土の中は楽しかった? 空を飛ぶのも楽しかった?」

 土に埋め直したあの時と同様に、柔らかな声で問いかける。足を無様に動かすだけのクマゼミからの返答はなかったが、それでも続けた。

「良かったよっ、また会えて」

 蝉には、蝉の鳴き声などの決まった周波数の音しか聞こえないとされている。けれど、油瀬がその言葉を発した途端。

 まるで聞こえたかのように、ひときわ大きな声でクマゼミが鳴いた。


 シャアーーーーーーーー


 そうして、動きを止めた。




 超至近距離で爆音の鳴き声を聞いたことで、油瀬と目井さんは揃って鼓膜が破れるを通り越して耳から大量の血を流して失神し、数日間隣町の病院に入院する羽目になったのは言うまでもない。




「あー、やっと聞こえるようになりました……

 そして今更思い出したんですが私、先月くらいにやたらビッグサイズの蝉さんの抜け殻拾って、研究しようと思って診察室の奥に置いておいて忘れてましたね……」


「どうやったらそれを忘れることができるんですかっ」

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