Simulacra

「どうするかね、しいたん」

 非口食郎ひぐちじきろうは問いかけた。

「どうするかね、ジッキー」

 視野原椎しのはらしいは返答した。

 2人は顔を見合わせ、ため息を吐いた。


 夏休みの間だけバイトすることになった、個人経営の小さなカフェ。ピーク時を過ぎ、ほとんど客のいなくなった店内で、高校のクラスメートである2人は密かに嘆き合っていた。

 

「うちのキュートな出目金ちゃん達の観察日記は去年やっちゃったからなー。他に興味あることって言ったら、アイケア用品とかアイドルとか…… けど色々ありすぎてどれに絞ればいーか分かんない」


「こっちもなー、なんも思いつかなくて…… 家の向かいのファミレスのメニュー全部1日で食べるやつは去年やったし……」


「いっそ、るみちゃんとケンちゃんが1日に何回『キュート』って言ったか記録して、統計とってお茶を濁そうかと半ばマジで計画してる」


「そっかー…… 誰よ、るみちゃんとケンちゃんて」


「両親」


 カランカラン


 そんなやりとりをしていたら、入口のベルが鳴った。


「いらっしゃいませー。あっ、目井めいさーん!」


「おや、視野原さんに非倫理的さんじゃありませんか!」


「非口」




「ふむ、夏休みの自由研究ですか……」

 たらこパスタをくるくるとフォークで巻き取りながら、目井さんは反復した。

「そうなの。今からできそうで、面白そうなアイデアってなんかない?」


「序盤に宿題を終わらせて以降、毎日お出かけしたり部屋でイチャイチャしたりして過ごしてる食美はみたんとデンス(Dens)さんを横目に、心に澱を溜め込みながら生きるのはもう嫌なんです」


「そうですね…… たとえば、こんなのはどうですか?」

 巻き取ったパスタを口内に運び、手持ち無沙汰になったフォークが皿の端を指し示す。たらこが飛び散って、ちょうど小さな3つの円が逆三角型に配置されているように見えた。


「あはは、顔に見える! 上2つが目で、下の1つが口で!」


「『シミュラクラ現象』と言いましてね、人間はこんな風に3つの点が集まった図形を顔と認識してしまうんです」


「ああ、この現象名前あるんですね。なるほど、こういうことが起きる理由なんかを調べて適当にレポートにまとめたり、身近にある顔に見えるものとか汚れの写真でも適当に撮ればそれっぽい形にはなるかな……」


「でもあたし、点が2つ上下に並んでるだけでも顔に見える時あるよ? その辺の、人による違いなんかも適当にまとめたら面白そうじゃない?」


「よし、じゃあそうしよう! ありがとうございます目井さん!」


「いえいえ。では、パスタおかわりお願いします」


「え!? さっき一口目食べたばっかのはず!?」




 翌日、視野原と食郎は早速写真を撮り始めた。


「見てこれ! きゅうりの断面なんだけど、めっちゃ笑顔に見えてキュートじゃない? あとこっちは、信号の押しボタン! 眉毛太くてキュートだよ!」

 単眼を星が浮かばんばかりに輝かせる視野原。

「ね、探せば結構あるもんだね…… ん、この写真は?」


「ペットボトルの蓋。こうやって2つ並んでるだけで顔に見えるんだけど、みんな違うの?」


「んー、正直俺は見えないね。やっぱり君が単眼なのが関係してるのかもね……」

 そんな話をしながら、もう少しネタがないかと町中を物色する2人。


「椎たん、ちょっとここ入ってみない? 路地裏。狭いけど色んなものが放置されてるから、顔っぽいものも結構あるかも」


「いいね、じゃあ行ってみよう!

 ……あ! ねえジッキー、これなんか良くない? はっきり顔に見える!」


「うわ、すげえな! これとこれが目で、これが口だろ?」


「しかも結構デカいし! 映えるよー、これは!」


「点が3つあるとか、そんなレベルじゃなくリアルだもんな! 白目がめっちゃ充血してるし、歯もびっしり生えてるように見える! うわっ、今口動いた! 舌もペロペロしてるよ! やべー!」


「シミュラクラ現象って超すごいねー! もう完全に生きてる顔にしか見えないもん! あっ、今バッチリ目が合った! やーこの獲物を睨みつける捕食者みたいなギョロ目超キュートー! 連写連写ー!」

 雑多なものが散らばる薄暗い路地裏に満ちる、スマホのシャッターのカシャカシャ音。


「ふう、撮ったな」


「とりま、もっと奥行ってみよ? もっとキュートな『顔』あるかも!」


「だな」

 2人は歩を進めた。




 壁に自らの両目と口だけを浮き上がらせて通りかかる人間を驚愕させ、その隙に食おうと計画していたその「存在」は、初めてのパターンに大いに困惑し、しばらく口をはくはく開閉したり目をぎょろぎょろ動かして2人の去った方向を眺めたりしていたが、やがて諦めたのか、スーッと姿を消した。




 さらにその翌日だった。


「おー、いいじゃんいいじゃん、このノー天気そうな模様! とりまいっぱい撮っとこ!」カシャカシャカシャカシャ


「あれ? なんでだろ? 点2つなのにはっきり顔に見える! こういうことなんだね、やっと分かったよ椎たん! 写真撮るから後で見てね!」カシャカシャカシャカシャ


「えーっと…… どうされたんですか、このお2人?」


「それがその……」


「あーっ、こんなとこにも顔に見えるシミがある! 両目が笑ってるみたいで超キュート! 連写連写!」カシャカシャカシャカシャ


「おひょー、こりゃ目井さんにそっくりだー! 後で本人にも送ろ!」カシャカシャカシャカシャ


「……本当にどうされたんですか?」


「どうにもシミュラクラ現象っぽい写真を撮りまくり過ぎたせいで……」


「顔っぽいものと、顔の、区別、付かなくなった、ようで…… 何とかしてあげて、くれません?」


 おそろいの麦わら帽子を被った食美とデンスに連れられて目井クリニックにやって来た視野原と食郎が、困惑する目井さんの顔写真を連射しまくるシャッター音が診察室中にこだまし続けていた。

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