drunk doctor

 高らかに響き渡る妙な声で、目が覚めた。

「みゃはははははははは! にゃはっ、にゃはははははははは!」


 枕元の目覚まし時計に目をやる。時刻は3:14。AMの。

(何を笑ってるんでしょう? こんな時刻に?)

 目を擦りつつ、目井めいさんはベッドから身を起こした。




「あらあら……」

 哄笑の主はすぐに見つかった。どうやって侵入したのか、病院の屋上に杓子しゃくしが転がっていた。

「どうされたんですか杓子先生?」


「みゃはははははははは!」

 仰向けで両手を打ち鳴らしながら返答する杓子。真っ赤な顔は満面の笑みを湛えており、金色の双眸はトロンとしている。


「さては酔っ払ってらっしゃいますね?」


「にゃはははははははは!」


「なんで頭にネクタイ巻いてらっしゃるんですか、あなた普段ネクタイしないでしょう……」


「みゃはははははははは!」


「お洋服のボタン、見事に一つずつずれてますよ…… とりあえず、中で涼んでください」


「にゃはははははははは!」




「熱中症予防には水分補給が重要なわけですが、お酒は良くないんですよね。利尿作用があって、摂取した以上の水分がすぐに体外に排出されてしまうので。とりあえずお水を飲んでいただきましょう」

 病院内のウォーターサーバーからマグカップいっぱいに水を汲み、待合室のソファに寝かせた杓子のもとへと戻ってきた目井さん。しかし。


「だいぶ伸びちゃったでありゅな」

 ガリガリガリガリガリガリ

 

「あああああ、何を熱心に壁で爪研いでらっしゃるんですか! ここら一帯がジャキジャキに!」


「あ? ダメだったでありゅか? じゃあ」

 ビリビリビリビリビリビリ


「いたたたた、私で爪研げってことじゃないです! あああああ、私のゆめかわいいパジャマが!」


 ひとしきり目井さんの胴体とパジャマをジャキジャキにした杓子は不意に振り向き、何かを発見して目を輝かせた。四つん這いになって飛び上がり、玄関前に配置された水槽に飛びつく。その視線は、泳ぐサンマに釘付けだ。


「美味そうでありゅ!」

 ばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃばしゃ


「あああああ、手をつっこまないでください!サンマさん逃げて! 全力で逃げて!」


「こんがり焼けちゃってえ、食われる気満々で素晴らしい心構えでありゅ。このっ、このっ」


「お止めください! うちの大事な看板魚かんばんぎょさんなんです!」

 

「さかな、さかな、さかなあああああ! みゃーははははははは!」


 杓子を背後から羽交い締めにしながら、どうしよう、このままじゃサンマさんが食べられてしまう、猫が虎になるとは正にこのことだと焦る目井さん。


(あれ、でもどっちみちネコ科ですよね? なら、別に慌てる必要はありませんでした)

 唐突に冷静な思考を取り戻した目井さんは、パジャマの胸ポケットから何かボールペンに形の似た、細長いものを取り出した。

「杓子先生、これ何だと思います?」

 細長い物体から放たれる、縦横無尽に動き回る丸く小さな赤い光。

「えっ、何でありゅか?」

 水槽の表面を走り回るそれを両手で押さえつけようとしたが、それは瞬間移動したかのごとき速さで手の上に移動した。

「はっ!? 捕まらない! 待て待て待て!」

 いつの間にかサンマのことはすっかり忘却し、待合室中を飛び回る光を四足走行で追いかけ回る杓子であった。




 小一時間後、待合室には静かな寝息が響き渡っていた。

「ふう、『レーザーポインターを追いかけて疲れてもらい、寝てもらう作戦』は無事に成功しましたね。さて、じゃあ車でお宅までお送りしますか……」

 自身も走り回って疲れていたが、もうひと踏ん張りだと大きく伸びをする目井さんだった。




 翌朝、というか、6時間ほど後。

 杓子が気まずそうな顔で、何やら桐の箱を抱えて目井クリニックへとやって来た。


「目井氏よ…… 記憶が曖昧なところもあるんであるが、先程こちらでとんだカオスを引き起こした気がするんであるが、間違いないであるか?」


「……あーはい、まあそうですね。サンマさんは無事でしたが」


「サンマさん『は』ということは、目井氏とパジャマと壁は犠牲に?」


「犠牲ってほど酷い被害ではありませんでしたが」


「誠に申し訳ないである…… 吾輩、飲まなきゃやってられないもので……」


「大変なお仕事ですものね」


「治療や修復に金がかかるのであれば払うであるし、この箱も詫びと家まで送ってくれた礼である。受け取ってほしいである」


「いえいえ、そんな」


「高級なそうめんのセットである」


「ありがとうございますいただきます一人流しそうめん大会を開催したいと思います」

 中身を知った途端速攻で受け取る目井さん。


「しかし、一口飲んだだけで気持ち悪くなってしまう下戸の私とは違って、杓子先生は相当な酒豪だと聞いていましたが、そういえば酔っ払った姿って見たことありませんでしたね。珍しいこともあるものです」


「……それなんであるがね」


「はい」


「先程のあれね、酔っ払ってたんじゃないんである」


「……はい?」


「あれね、素面しらふだったんである」


「はい?」


「吾輩ね、何故か元から血中アルコール濃度がすこぶる高いんである。それで、アルコールを摂取すると何故かそのアルコールと体内のアルコールとが相殺される体質なのである」


「はいい?」


「要は素面が泥酔してるみたいで、泥酔してる時が素面みたいなんである。酔わなきゃ仕事できないんである」


「……と、いうことは、今酔っ払ってらっしゃるんですか?」


「うん」

 頷いた杓子は、鞄から「マタタビ酒」とラベルの貼られたボトルを取り出し、一気に飲み干した。

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