S & N

「ごめんなさいね、せっかく誘ってくれたのに今日は無理そうです。




 私が以前悪事を働いてたって話はしたとは思いますが、具体的に何したかはお話してませんでしたよね?

 本当にクズでしかないんですが、ストーカーだったんですよ私。


 当時すごく好きな人がいましてね。その人に付きまとってたんです。

 仕事から帰宅するのを少し離れたところから跡を付けたり、家のポストに気持ち悪い手紙入れたり。郵便物開封して変な内容じゃないかどうか確認したりなんてこともしたんですよ。愚かにもあの人を守ってるような気分に浸ってました。一番ヤバいのは自分なのにね。


 そんなことをしているうちに当然ストーカー禁止命令を出されまして。好きな人を想っていただけなのに何が悪いんだって頭の悪い抵抗してたら、ある人から『本当に相手のことが好きなら怖がらせるような真似はしないはずだ。お前が好きなのは自分自身だけだ』という内容のお説教をされて、やっと目が覚めたような気分になって…… それで弁護士さん等に入ってもらって被害者の方にご希望どおりの額の慰謝料を払い、謝罪しました。


 もう二度とあの人に怖い思いをさせてはならない。あの人がこの先安心して暮らせるようにしなければならない。だから遠く離れたこの地域に引っ越そうと決めました。

 けれど、それだけでは足りない気がしたんです。もっと確実に、絶対に被害者の方に危害を加えない、加えることはできないという明らかな証明が必要だ。今後二度と私に怯えることなく、幸せに生きられるという強力な証明が。そうしなければならない責任があると思いました。それほどまでに私はあの人を深く傷付けてしまったのですから。


 なので、当時住んでいた町の目井めいさんというお医者さんに相談して、手術してもらいました。被害者の方も同意してくれて、同じ手術を受けました。もちろん別々にでしたが……


 どういう手術かというと、お互いを近づけないようにするというものでした。常に強制的に半径100km以上離れていなければならない状態にしてもらったんです。

 仮に片方がもう一方に近付こうと、一歩踏み出したとします。すると、もう一方の身体からだは強制的に、その場から一歩後ろに下げられるんです。そうやって、あの人と私の間に、恒常的に半径100kmの距離を保証してもらったんです。

 磁石のS極とN極をイメージしていただけると分かりやすいですかね? S極同士、N極同士って近づけると反発して離れていきますでしょ? あんな感じです。

 これでもうあの人は私に傷付けられませんし、私もあの人を傷付けられないんです。これであの人は、この先幸せに過ごせるんですよ。……私なんかがあの人の幸せを願うのは傲慢ですがね。




 というわけで、今私が直立不動のまま目にも留まらぬ勢いで後ろに引きずられてるのは、恐らくあの人が何かしらの乗り物でこっち方面に向かってきちゃってるからだと思うんです。本当、この辺はあの町から100kmどころじゃなく離れてるので大丈夫かと思ってたんですが、旅行か何かに来たんでしょうか……


 今日お食事に誘ってくれたのに、この調子じゃ今日は無理そうなので、もしも良ければ、また別の機会があればということでお願いします。申し訳ありませんね。頑張ってものすごい速さで並走してくれてることについても申し訳ありません」


「は、はあ…… はあはあはあ…… そうでしたか…… 分かりました……」

 

 僕は息を切らし、必死で走りながら答えた。




「わあ……」

 国内一の高さを誇る電波塔。その展望台からの眺めに、あたしの口から思わず感嘆の声が漏れた。


 以前ストーカーに付きまとわれていた頃は全てが不安だった。犯人に禁止命令が出されても、本人から多額の慰謝料をもらっても、謝罪されても。まだ狙われるのではないかと。

 けれど目井さんに手術してもらい、カウンセリングをしてもらい、周りの人達にも支えてもらい、そして流れる時間にも癒やしてもらい。決して完全に元通りにとは言えないけれど、不安は薄らぎ、こうして友人達と一緒に遠くまで旅行できるようになった。


 友人達のはしゃぎ声を背に、柵に手をかけ、もう一方の手に持ったスマホで写真を撮りまくる。遥か高くから見る街は不思議な感じがする。ミニチュアのおもちゃのようだけれど、豆粒のように小さな人や車は確かに動いている。周辺は高層ビルだらけだけれど、少し顔を上げれば深緑色の山々が見えて、まるで手が届きそうな……


 ぐにっ


 そんな音が聞こえた気がして、山々が一歩目の前に接近した。


 え?

 眼下。あたしの掴んでいる柵が、ぐにゃりと「Ω」のような形に曲がっていた。

 そのさらに眼下。自分が空中に立っているのに気付いた。




 ああ、そうか。きっとどこか、ここの半径100km以内にいたあいつが、一歩踏み出したんだ。だからあたしが、一歩押し出されたんだ。

 

 地面がぐんぐん迫ってくる。

 友人達の絶叫が、遥か頭上から聞こえてきた。

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