A tale of a "Princess"
「俺のね、お母さん」
誰にも言えないと思っていたことを分かち合える、大切な友人。
その友人が自らの質問の答えとして、私の耳元で囁いた言葉。
「だってね、ひどかったんだよ? お母さん、『自分が子どもの頃は、我慢しなければならないことばかりだった。やりたいことなんてひとつもできなかったし、今もそうだ。だからお前だけ楽しむなんて不公平だ。我慢しろ』って、楽しいことを何もさせてくれなかった。笑うだけでもダメだったんだよ。『お母さんは真面目に頑張ってるのにお前はヘラヘラしやがって』ってさ。
あれ、今考えると嫉妬だよね。自由に生きてきた人達に対しての。それを我が子にぶつけてたんだろうね」
――「女王様」は、妬ましくなり、「お姫様」をひどくいじめるようになりました――
「小さい頃は他の家庭なんて知らないから、それが当たり前だと思ってたんだよ。校庭で遊んでる同級生も、TVやゲームの話してる同級生も、いや、笑ってるだけの同級生もみんな我慢のできない悪い子なんだと思ってた。同級生だけじゃなく、大人も。他の奴らが当たり前にできていることを、俺は禁止されていてできない。でも、俺の方が正しいんだって、本気で思ってた。
けど、中学生、高校生って成長していくと、周りの家と比べて流石に理解し始めるんだよね。おかしいのはうちの方だって。寄り道して、部活動に取り組んで、くだらない話で大笑いして…… そっちの方が『当たり前』なんだって気付いた。
同時に、これまでやりたいことを我慢させられ続けてきたんだってようやく自覚した。十数年前に生まれた時から、我慢しないで自分らしく生きる権利が、俺にもあったのに。
お母さんはいつも、自分が正しいんだからお前は黙ってしたがってればいいんだみたいなことを言ってた。でもその教育の正体は、理不尽な妨害だった。俺は長年、当たり前の権利さえ行使できていなかった。そう思ったら、どうしようもなく怒りが湧いた。
生まれて初めてお母さんに逆らってみたよ。でも怒り狂うばかりで、全然言葉が通じないの。声を荒げちゃって、向こうの言ってることもほとんどただの悲鳴でしかなかったし。まるで違う生物と話してるみたいだった。でもその中で一つだけまともに聞き取れた言葉があった。
『私だって、こう育てられてきたのに』って。
自分の子育てを、それもよりによって当の我が子に否定されるのは、自分の人生丸ごと否定されるのと同義だとでも思ったんだろうね。育て方なんて、自分がされてきた方法しか知らないからどうにもできない。それに、自分の今までの我慢が全て無駄になってしまう…… そう、思ったんだろうね。
その翌日だったよ。
その日は異様に早く目が覚めた。それで、何故か顔も洗わず、パジャマのまままっすぐキッチンに向かったんだ。虫の知らせってやつなんだろうね。
キッチンでは、お母さんがりんごを持ってた。俺が食べさせてもらえる唯一の甘いもの。丸齧りすれば歯にいいからって。でもその日は、お母さんは皮に何かを塗ってたんだ。刷毛で、それはそれは丁寧に、何重にも。傍には、2つの空き瓶が転がってた。○○っていう風邪薬と、△△っていうお酒の。
……知ってる? その2つって、同時に摂取すると猛毒になるんだよね。人を殺せるくらいの」
――「女王様」は、毒の上に毒を塗った一つのりんごをこさえました――
「あの人は正当防衛のつもりだったのかもしれないよね。これまで自分の言いなりだった我が子に全てを突き放されて、我慢を強いられる環境で育てられた自分は今まで不幸だったって自覚させられて、死んだような心地になったんだろうね。
でもさ、それが俺を殺していい理由にはならないよね? むしろ人の人生を奪い続けてきたくせに、根本的な命まで奪うつもりなのかって思った。
途端に、頭の中が真っ赤になった。突然何かが弾け飛ぶみたいに、溶岩みたいな赤いものが急に、バッて。
で、気付いたら……
強火にしたコンロの火に、お母さんの顔を力の限り押さえつけてたんだよね……
暴れて、騒いで、大変だった。けど、体感にしてみたらほんの一瞬だったよ。
『なんだ、人間って意外と簡単に死ぬんだ』と思った。
やっと自由になって、月日が経って大人になったある日、知ったんだ。
俺のお母さんみたいな家族は他の家庭にもいるんだって。
暴力、暴言、ネグレクトはもちろんだけど、たとえ他人から見たら大したことがないようなことでも、本人が『家族のせいで生き辛い』と感じているなら、それは俺のお母さんと同じように、『毒』にしかならない家族――『
『毒』なんだから、誰かを傷つける存在なんだから、生きてちゃいけない。そうだろう?
ところが、世間はどうだ。
『家族なんだから分かり合える』『家族を敬いなさい』『家族に感謝しなさい』『家族がいれば幸せ』『家族を嫌いな人なんているわけない』『家族の絆』『ご飯が食べられるのは家族のおかげ』『家族がいなくてどうするの』『家族なんだよ?』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』『家族』
ああ、反吐が出る。
家族なら何でも分かり合えると、幸せになれると、思い込んでる奴らばかり。
よほど幸せな家庭で育ったか、よほど頭が悪いか。そんな奴らばかり。
毒家族の存在を信じちゃくれない。『家族』という枠の中に押し込め、『家族なんだから自分達でなんとかしてください』と放り出す。
『家族』が何だよ。他人なら嫌い合っても許されるはずなのに、『家族』っていうグループの中にいる相手を嫌うことは許されない。どう考えてもおかしいのは毒家族の方なのに。
『家族』であっても、俺達は一人ひとり違う人間なんだ。他人なんだ。誰にも支配されるべきではないし、支配するべきでもない。こちらを愛してくれない『家族』を、愛してやる義務なんて誰にもない。
どうしてこんな簡単なことが分からないんだ。
一体どれだけの人達が、あの頃の俺のように苦しみ、怒り、恨んでいると思っているんだ。一体どれだけの人達が、『家族』という呪縛のせいでそれを自覚すらできずにいると思っているんだ。
事実なのに、どうして口に出してはいけない雰囲気があるんだ。
だから、決めた。
毒家族は、全部俺が殺すって。そうすれば、もう誰も苦しまなくて良くなるからって」
――「お姫様」は、自分自身が「毒りんご」になり、「赤い雪」を降らせると決めました――
「お母さんの遺体を処理しながら、すごく後悔したことがあるんだ。生きてきて初めて、後悔した。未だに心から後悔してるよ。
『もっと苦しめてから殺せば良かった』って。だから、俺はもっと毒家族にふさわしい殺し方を考えたんだよ――」
――無理やり「女王様」に、そのまっ赤に焼けた靴を履かせて、倒れて死ぬまで踊らせました――
ああ、今更思い返しても詮無きことだ。
夕暮れ時、自宅であるマンションの一室。椅子に腰掛け、俯いてデスクの表面を見つめる。
白く、滑らかに見えるけれど、注視してみれば細かい傷でいっぱい。小さなシミも点在している。それらを覆うかのように、被さる私の影。
あいつは、私と同じだった。毒家族に踏みにじられた経験から、この世の全ての毒家族を殺すと決意したことも。既に自身の毒家族を手にかけてしまっている自分なら罪を重ねても平気だから、毒家族の被害者達に代わって手を汚すのだという考え方も。毒家族が消えることそのものが報酬なのだから、無報酬で殺しを引き受けるというスタンスも。
同じだった。他人だけれど同じ人間に、出会えた。
だが、あいつは死んだ。私が殺した。
あいつの配偶者に、そうするよう頼まれたから。「『毒家族』を殺してください。このままでは死にそうです」と。
信じられなかったが、依頼だからあいつの自宅に偵察に向かった。そして、さらに信じられない光景を目の当たりにした。
あいつは、配偶者を言葉で縛っていた。
「俺は我慢してきた。お前だけ楽しむのはずるい。お前も我慢しろ」
自分が母親に言われて苦しめられてきたはずの言葉を、配偶者に使っていた。
もちろん、毒家族持ちが毒家族になるとは限らない。奴らのようにはなるまいと、良い家族になれる人達もたくさんいる。
けれどあいつは、そうはできなかった。毒家族を憎悪しながらも、自分はそうはならないと決意していながらも、そうはできなかった。
あんなことになる前に、あいつが子どもの頃に、誰かがあいつを助けてくれていたら良かったのに。
いや違う。もっと昔、あいつの母親を誰かが助けてくれれば良かったんだ。そうすれば、誰も殺されなくて済んだのに。
――「お姫様」には、「狩人」も「七人の小人」も「王子様」もいませんでした。
そして、それは「女王様」も同じでした――
目を軽く閉じ、かぶりを振る。
……だから、思い返したって、もうどうにもならないんだよ……
夕食の支度しなきゃ。
目を開けた。
目の前の空間には、私のそれと同じ大きさと形の頭があった。
時が停止したかのような、音という音が死滅したかのような空間の中。その闇の色をたたえた「頭」はみるみる膨張を始めた。
やがてデスクからは、「頭」だけでなく肩が生え、腕が伸び、胴体が生じ、脚が現れ…… 一人の人間を形作った。私の形に良く似た、けれど縦も横も私の私の6倍はありそうな、両手の爪が踵に達するほど長い、真っ暗な…… 影。
あの日の夕刻、公園で目撃した光景が蘇り、息を呑んだと同時に、右肩から左下腹部にかけて鋭い風が吹いた。
脳がそれを把握するより先に、風に触れた箇所が溶岩に似た液体を噴いた。瞬時に全面の色を変えるデスク。
部屋全体が暗闇だ。影に覆いつくされたんだ。
逃げなきゃ!
飛び出した背中にはけれど、先程と同様に風が吹き付け、先程と同様にドパッと溶岩が噴き出した。
痛い。どうしよう、死ぬ、このままじゃ。
……ああ、何言ってるんだ。アレがあるじゃないか。
別の部屋へと駆け、クローゼットの扉を開け放った。
中には、
コーヒー色のフルフェイスのヘルメット。
チョコレート色の大きなマント。
そして……
自身の身長と同じくらいの巨大なハサミを抱え、振り返る。
すぐ傍まで、闇は迫っていた。
強制的に押さえ込む。こんなところで死ぬわけにはいかないから。
また明日も毒家族を殺せるように。
また明日もみんなの前で無理して笑って生きていけるように。
目と鼻の先にまでやって来た影に向け、ハサミを限界まで開き…… 2枚の刃を、収束させようとした。
2枚の薄い金属が1枚に重なり合う…… 寸前。
私の首を破った何かが、内側からいっぺんにこぼれ出した。爆発したかのように。
目の前が真っ黒になった。
目が覚めたらベッドに寝ていた。
1点のシミも、1つのシワもなく目が痛くなるほどに純白で清潔な寝具の中。
(あれ、どうしたんだろう…… 何だか、前にもこんなことがあったような気がするけど…… 今日は…… さっき、影を切りつけて……)
「お目覚めですか?」
全てを思い出して全身が凍りついたのと、声が聞こえたのは同時だった。
「影に襲われてしまったんですね。お腹と背中のお怪我はそれによるものでしょう。
ですがあなた、影に攻撃し返してしまったんですね。実体化した影は強い光を浴びせて元に戻すのが一番なんです。攻撃してしまうと、たしかに普通の影に戻りはしますが、影の持ち主の
その首の傷、あなたは影の首にあたる部分を切ってしまったんですね……」
言われて、震える手で首に触れてみる。柔らかな布の感触。
巻いてくれたであろう声の主の顔は、見られない。
「通りすがりの方が、上からいきなり血が降ってきたから何かと思ったら、マンションの2階の窓から全身血まみれのあなたが上半身をのけぞらせるようにしていたのを発見したそうで。連絡をしてくださいまして、急いで駆けつけましたよ。首は左右両側から刃で深々と切られてしまっていましたが、骨のところでギリギリつながっていました。運が良かったですねえ」
あいつと私は似ていて、けれど決定的に違う部分があった。
私はあいつのように、誰にも縛られることなく、何の罪悪感もなく、完全な正義感の下に毒家族を殺しまくりたかった。けれど、そうはできなかった。
大切な人との約束を破り続けている。
その意識が、常に私を責め立てていたから。
「で、その際に、大変失礼なんですが、あなたが首を切るのに使ったハサミですとか、クローゼットにあった衣装ですとか、目に入っちゃったんですよね」
嫌われる。
今度こそ、嫌われる。どんなに優しいこの人も、今度こそ許してくれない。
何度も何度も裏切られたことを、許してくれるはずがない。
「……あなただったんですね」
いつか、悪夢で見た映像が、脳内で再現される。
全てが終わる、あの悪夢。
嫌だ。嫌だ。嫌だよお。
子どものように心で泣き叫び、目をぎゅっと閉じる。自分を責める言葉が飛んでくる。備えるために耳を塞ぎたかったけど、震える手は言うことを聞かなかった。
嫌だ、嫌だ、嫌だ……
「申し訳ありませんでした」
……え?
恐る恐る瞼を開けた。
土下座していた。
私を責めるはずのあの人が、無様に床に這いつくばり、顔を伏せていた。
どうして? どうして謝るの? 謝らなきゃいけないのは……
「申し訳ありませんでした。
津々羅さん」
申し訳ありませんでした。
謝罪だった。
ただの、謝罪の言葉だった。
この時の自分の感情は、何度思い出そうとしても思い出せない。
それまでの人生で経験した、全ての感情が、まとまって、ごちゃごちゃになって、境界を失って、いっぺんに湧き出したようで、思い出せない。
ただ、毎日していたように、心の中でこう呟いたのは覚えている。
「
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