photos of my memory

「……」


 千古ちふるは立ち尽くしていた。

 面前には巨大な冷蔵庫。

 縦は現代の中学生くらいの体型である千古の3倍、横は15倍はある。


 つなし目井めいさんに借りた本を返しに行きたいと言っていたので、居候させてもらっている身として手伝ってやろうと代わりに目井クリニックにやってきたら、診察室にいきなりこれがでんと控えていた。


 嫌な予感以外の何もしなかったが、こうして仰ぎ見ているだけでは話が展開しない。

 意を決して深緑色のドアに取り付けられた鈍い銀色の取っ手を引いた。


 開かれたドアの後ろからは、この季節の外の空気を凝縮させたような冷気と、四方が無機質な真っ白さの壁で構成された空間と、体育座りで小刻みに震えながらうずくまるボロボロの白衣の人物が現れた。


 なんかもう、いちいち訊くのもアホらしい気はしたが一応訊いてみた。

「何をしている?」


「いいやぁぁ、頭がものすごくぅぅ、ヒートアップぅぅしちゃいましてぇぇ。

 こうしてればぁ、クールダウンできるかなとぉぉぉぉ。

 でも何故ですかねぇぇ、寒いはずなのにだんだんあったかくぅぅ、なってきたんですよぉぉぉぉ」


 凍りつき、接着されていた唇を指で無理やりぺりぱりとこじ開け、歯と歯をぶつけ合うガチガチ音を響かせながら震え声で答える目井さん。

 千古はなんの感情も浮かんでいない瞳と声で返す。


「貴様それ、恐らく凍死寸前だぞ。医者のくせにそんなことも知らんのか」


「あぁ、何でしょうぅぅ。大きな川が見えますぅぅ。今まで救えなかった患者様達がぁぁぁ、向こう岸で手招きしてらっしゃいますぅぅぅぅぅぅ」


「よくあるヤバい台詞をほざいてないでさっさと出てこい。手貸してやるから」




「いやあ、助かりました……

 ところで、どうなんですかその後?」

 冷蔵庫から救出され、ありったけの防寒着を身にまとい、淹れてもらった温かい紅茶を飲みながら目井さんは尋ねた。


「どうというほどのことでもないが……

 十の住んでるあのアパート、長らく小童こわっぱがいなかったらしくてな。私は外見から小童だと思われたらしく、アパート中の住人に可愛がられている」


「いいじゃないですか」


「フン、今のうちだけだ。どうせあと何年もすれば成長も老化もしないのがバレて気味悪がられるさ」


 10年後、アパートの住人達は千古の容姿が全く変化しないことに気付きつつも今までと変わらず接し続けるのだが、それは未来のことなので今は知るよしもないのだった。


「でも、十さんよくあなたのお話をしてくださるんですよ。

 家事はたくさんしてくれるし、壊れた道具は修理してくれるし、お洋服や小物も手作りしてくれると」


「これまでの人生、暇つぶしに独学で色々なことを覚えてきたわけだが、役に立っているらしいな」


「何よりも、昔のお話を聞かせてもらうのが好きだとおっしゃっていましたよ。

 特に『あの方』についてのお話が素敵だと」


「…そうか」

 千古は軽く目を伏せる。

 少し沈黙があって、それから思い出したように顔を上げた。


「それより貴様、何故なにゆえあんなことをしなければならないほどヒートアップしていたんだ?」


「おお! そうですそうです!」

 目井さんも思い出したように椅子から立ち上がった。


「あなたが先日欲しいとおっしゃっていたもの、一応形にしてみたんですよ。それを実験していたんです」


「欲しいと言った?

 ……いや、あれは雑談の流れであるといいよなと言っただけのことで……」


「でも『あるといい』と思われたんですよね?」


「……はあ、まあな」


「ですよね! じゃあ、見ていただけますか?」

 ため息と共に肯定の言葉を吐き出した千古に尋ねながら、目井さんは20枚目の貼るカイロを開封した。




「ゴミ捨て場から拾ってきたものを適当に組み合わせて作ったものなので少々無骨ですが」

 診察室のカーテンの奥から引きずり出されてきたそれは、言葉の通り古びたTVやラジオやエアコン、何なのか不明な機械までもが銅色の金属製のチューブのようなもので接続された、やたら大がかりなものだった。


「でもちゃんと使えるんですよ。人の記憶から写真を生成するマシンです。こちらが先程私の記憶から作られた写真です」


 突きつけられたスマホの画面を凝視する千古。画像には乱れなどもなく、高画質カメラで撮影されたかのような鮮やかさだった。


「何だこれは。流しそうめん?」


「ええ、樋にそうめんを流してるところです。

 先週うちで一人でやった時のことを思い出して写真にしてみたんです。

 流した直後に落ちてくるところまでダッシュしなきゃいけなくて大変でしたが、楽しかったです。

 私、流しそうめん大好きなんですよ。私が流されたいくらい大好きなんです」


「ウォータースライダーに行け。とにかく、これ今使用できるんだな?」


「ええ。ただ、脳全体を酷使するので頭が沸騰するように熱くなるのと、とてつもない疲労感が湧いてくるのでその辺を改良しないと……」


「構わん。今すぐ使わせろ」


「しかし……」


「どんな重傷だろうと疲労だろうと、どうせすぐ回復するんだ。気にする必要など皆無だ。

 ここに座れば良いのか?」

 目井さんの返事を待たず、マシンの一部であるマッサージチェアに腰かけた。


 説得は無駄だと悟ったらしい目井さんは、肩をすくめて頷いた。

「……はい、あと、そこの底板を外した電子レンジを頭に被っていただいて……

 はい、それで結構です。

 あとはこちらのスイッチを押していただいて、記憶の中の写真にしたいワンシーンを強く思い浮かべれば、機械がなんやかんやして写真データを作り出してくれます。

 できた写真はここに接続されたガラケーの画面に表示されます。お手持ちのスマホやPCに送信できますし、プリントアウトもできますよ。


 あ、ちなみに、もうちょっと頑張れば動画を作り出す機能も搭載できそうなんですが、写真だけでいいんですか?」


「動画も良いんだが、写真の方が自分のペースで鑑賞できて好きなんだそうだ。奴が言っていた」


「奴とは?」


「……使い方は分かった。いくつか撮らせてもらうぞ」




 およそ10分後。


「体調はいかがですか?」


「言ったろう心配するなと」


「写真は撮れました?」


「ああ、とりあえず5枚。記憶にあるままの光景が高画質で目に見える」

 私物のスマホを確認しながら言う千古。


「思い出は心に残り続けるものでしょうが、写真のように自分自身の外部にも残しておくことでより鮮明に想起できるものですよね。

 だからこれいいアイデアだと思いますよ、写真撮り忘れても後悔せずにすみそうですし。


 ちなみに、どんな記憶をお写真にされたんですか?

 ……いえ、正直想像はつくんですが、できたら教えていただけますと……」


「貴様、この後時間はあるか?」


「え? ええ、患者様がいらっしゃらなければ」


「そうか、十も今日は暇だったはずだから今から呼ぶ。良ければ一緒に話を聞いてくれ」


「何だか分かりませんが、いいですよ」


「……なあ目井」


「はい?」


「ありがとうな」


 長い間、誰とも深く関わってこなかった。

 だから、人との正しい接し方がまだ分からない。

 けれどはっきりしていることとして、小童こわっぱ共はすぐに死ぬ。

 だから、せめて生きている間に言いたいことはできる限り言うことにした。


 そんな千古の内心を知ってか知らずか、目井さんはいつもの調子で「はい」と答えただけだった。




 ただ単なる画像。どうせ永遠にはもたない、ただのデータ。あの子が蘇ったわけではない。

 けれど目井の言う通り、自分の脳の外にあの子の存在していた証を作り出すことの有意義さは理解できる。


 だが、この機械が欲しかった理由はそれだけではない。




 積日のひたすらな絶望感の中。

 あの子を思い出すたびに、暗黒に沈みきった心が浮上すると同時に、二度とあの日々は戻らないのだという言いようのない寂しさと、「ずっと一緒に暮らす」という約束を果たせなかった罪悪感も浮かび上がり続けていた。


 けれど今は少し違う。

 寂しさも罪悪感も完全には消失しない。

 けれどそれらよりも、愛しさと幸福感が勝っていた。


 生者が死者の幸不幸を決めつけてはならないことは理解してはいる。

 けれど自分が思い出せば思い出すほど、生きれば生きるほどあの子は幸せになれる可能性もあると思わせてくれた。

 死ぬことばかり考えて、仕方なく生きていた日々を変えてくれた。


 私にとって一番大切な人は、未来永劫あの子だ。

 どんなに優しくしてくれても、あいつが一番になることは決してない。


 けれど、一番でなくても、大切な存在に変わりはないから。




 居候先であの子との大切な思い出について語っていたら、その人物がぽつりと言った。


「本当に素敵な方だったんですね。私もお会いしてみたかったです」


 その願いを叶えることは絶対に不可能。

 けれどほんのわずかでも、叶えるのに近いことをするのは可能だ。


 せめて少しだけでも。一番大切な人との思い出を、他の大切な人と共有する。




 十からのすぐにそちらに行くという旨の連絡を確認し、千古は再び写真フォルダを開く。


 写真に写し出された、世界で一番愛しい笑顔に、心の中でそっと微笑みを返した。

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