I can't eat any more
「美味しそうに焼けたね、
「うん、うまくいった」
30数枚のクッキーが並べられた天板を眺め、
今日は日曜日。2人は非口の家でクッキーを手作りしていた。
なんやかんや言いつつも協力し合い、アイシングで色取られたハート型や星型のクッキー達が完成した。
カラフルな色合いが目に楽しい。腹の虫が騒ぎ出すのを感じる。
隠すことなくさらけ出された後頭部の紅赤の唇を、唐紅の舌がジュルリと音を立てて舐める。
「じゃあ、さっそく…」
「いっただっきまーす!」
2人の中学生が、それぞれ1枚クッキーを手に取り、それぞれ自分の口元へと運ぼうとした、
「やめるんだー!」
まさにその時だった。
ドオオオオオンという轟音とともに、非口の兄、
「どうしたの、食郎? というか、いつ、帰ってきた?」
「どうしたじゃないよ食美たん! 今すぐクッキーから手を離すんだ! 両手を組んで頭の後ろに回せ!」
「だから、どうしたんですか食郎さん?」
「だから、どうしたじゃないんだよデンスさん! 食べちゃダメなんだ!」
「どうしてですか?」
「どうしてじゃないんだよ! どうしてもだよ! 食べるなんて許されない!」
「どういう理由で?」
「どういう理由でじゃなく、どういう理由でもだよ! あああああああ!」
「食郎、落ち着いて!」
どうにかこうにか食郎を落ち着かせた2人は、改めて話を聞くことにした。
「で、何が、あったの?」
「今日な、帰ってくる途中でその辺の家の塀に思いっきりぶつかったんだ」
「それでおでこに湿布貼ってるんですね」
「さては、また、歩きスマホ、だね…」
「頭が割れそうな心地の中、頑張ってコンビニで湿布買って貼って帰ってきたんだ。で、お茶でも飲もうと冷蔵庫を開けた。
そしたらな、声が聞こえたんだよ。それも一つ二つじゃなくて、たくさんの」
「声?」
「信じられないかもしれないけど、冷蔵庫の中の食材達が喋ってたんだ。
『冷蔵庫のドア、開いたね』とか『外の空気が入ってきたね』とか」
「…」
「2人してなんだその目は! じゃあさ食美たん、あんたデンスさん来る前、パックの刺身一切れつまみ食いしたろ!」
「え、なぜ、それを…」
「デンスさんも! 食美たんの目盗んで『食美ちゃんこれ大好きだから後で渡そう。その前に冷やさせてもらおう』つって冷蔵庫の奥の方にジュース入れただろ!」
「なんであの時の独り言を一言一句知ってるんですか⁉︎」
「食べ物達が話してたんだよ! これで俺がおかしくなったわけじゃないって分かったろ!?」
「…うん、まあ」
「だからな、もう何も食べちゃダメなんだよ」
「はい?」
「そのクッキー、『この人間達、これから何するんだろうね?』ってワクワクしてるんだよ。さっき食べられた刺身の仲間達だって『あの子連れてかれちゃったけど、どうしたんだろうね?』って心配してた。みんな、何も知らずに。
自分達が食べられるために存在してることも知らずに、無邪気に普通に喋ってたんだぞ⁉︎ そんなもんを食べられるわけないだろ!」
「と、いうわけ、です」
「なるほどですねえ」
非口達に召喚された
「頭をぶつけた時に脳のなんらかのスイッチが入って食べ物さん達の声が聞こえるようになったということなんでしょうが… ともかく、なんとかしなければ」
「なんとかする必要なんてないです」
食郎は据わった目で言う。
「感情があって、しかも喋ってるものを食べるなんて生き物を殺すみたいで俺にはできません」
「でも、そもそも、食べ物って、みんな、元は生き物」
「分かってる。けど正直、今まで実感がなかった。自分で殺してるわけじゃないから。
でも、もうダメ。すっごいバカなことだけど、声が聞こえるようになって、初めて食べ物が生き物だって実感したんだ。
食べることは殺すことだ。もう何も食べられない」
「でも、何も食べなかったら死んじゃいますよ! そうしたら、食べ物を殺さなくても自分を殺すことになっちゃいます!」
「誰かを殺すくらいなら、自分が死んだ方がいいよ」
非口達の説得を受け入れず、俯いたままの食郎に、目井さんははっきりと言った。
「『死んだ方がいい』なんてことはありません。そんなことおっしゃらないでください」
「でも…」
「命の大切さについて、食べるという行為の意味について、食郎さんが考え始めたというのはとてもいいことです。他の人が何気なくしていることが本当に正しいのか疑うこと。そこから現状よりもさらにいい何かを生み出せるかもしれないのですから。
ただ、もしも考えすぎるあまりに何も召し上がれなくなり、あなたの命に関わる場合には…」
言い終わる前に、ドライバーの形に変形した両手の人差し指が、食郎の左右の耳に突っ込まれていた。
「こうします」
ズブリという水分を含む音とともにドライバーを抜かれた食郎は、両耳の穴から血を噴射しながらもんどりを打って倒れた。床の上で泡を吹きながらしばらく小刻みに震えていたが、やがて動きを止め、静かな寝息が部屋に響き渡った。
「これで食べ物さん達の声は聞こえなくなり、声が聞こえていたという記憶もなくされたはずです。目が覚めたら何事もなかったかのようにお食事ができます」
「…とんだ荒治療ですね…」
呆然とコメントするデンスの横で、非口はそういえば目井さんって下の名前は間違えないんだなあと、他人事のように考えていた。
「食郎さん、いい着眼点だったので非常に心苦しいのですが、生きることを最優先しなければならないので今回はこうさせていただきました。
ちなみに、これは私の考えなんですがね」
非口とデンスに向き合いながらも、どこか独り言のように目井さんは続けた。
「殺すのは罪ですが、食べるのは罪じゃありません。
殺された命はそこで終わってしまいますが、食べられた命は、そのまま食べた命の中で生き続けていきますから。死んではいけない理由の一つには、『今までに食べた命を無駄にしてはいけないから』というのもあるんですよ。
そんなわけで、私が食べ物でしたら食べていただけることに不満はないんですがねえ」
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