第六十八話 アスタリスクと、アヒージョとパフェットと謎の人物!
窓の外は雨が降っている。草木は喜んでいるが、アヒージョは鬱々とした目を窓の外に向けていた。綺麗な装飾が施された窓が、雨で濡れてぼんやりと景色を映している。
アヒージョは、第三区域の合印邸にいた。そして、ベッドの中で横たわっていた。任命式の直前に倒れて、まだ第三区域の合印には成れていない。アスタリスクを手にしたアヒージョは、ハイレベルな暗号解読スキルを手に入れた。そのはずだった。アヒージョは、天井を睨みつけた。
アヒージョの体にアスタリスクが受け付けない。肝心なアスタリスクに選ばれなければ、合印になれない。アスタリスクの力は、強力だった。合印になれるものでしか、アスタリスクが受け入れないようだ。
「ここまで来ましたのに――!」
アヒージョは、布団をぎゅっと握りしめる。
「あともう一息で、合印になれるところまで来ましたのに。アスタリスクさえなんとかなれば、第三区域の合印の座は自分のものですのに……!」
アヒージョは、両手の人差し指と親指を合わせて枠を作った。
「……ッ!」
しかし、その中にアスタリスクは浮かばない。アヒージョの両手が震えている。
アヒージョは、体を起こしてベッドの横にあるキャビネットの上を見やった。ビンの中にはアスタリスクが光っている。あの後、アヒージョはトリオン様に助けられた。アヒージョはそのことを知らない。
そのトリオン様の意地悪い声が、アヒージョの脳裏に蘇る。
『アスタリスクは三ノ選に勝利してから任命式で受け取るものだ。アスタリスクに選ばれない器だったから、苦しむことになったのかもしれないな?』
と――。
「幼い頃から、私は合印になることを夢見ていましたのに。フォイユさんと同じように、私も合印になろうと」
アヒージョは、布団をぎゅっと握りしめている。
「だから、私は、頑張って暗号解読スキルを手に入れましたわ!」
アヒージョの布団を握りしめる手に、力がこもっている。
「やっと、願いが叶うと思いましたのに……!」
アヒージョの布団を握りしめる手が震えている。
遠くから足音が早足で近づいてきた。静かな部屋にその足音はやけに大きく響いた。アヒージョは涙をぬぐって、ドアの方を向いた。ドアが勢い良く開いた。足音が駆けこんで来た。ガーリックとパフェットだった。ガーリックとパフェットは、血相を変えて駆け寄ってきた。アヒージョは、目を丸くしている。
「アヒージョ! 倒れたって聞いたけど!」
「アヒージョさんっ! 大丈夫ですかっ!」
「…………」
ベッドに横たわったアヒージョはにっこりと笑った。
「……ガーリック様、少し元気がありませんので、暗号の森の第四エリアで薬草を採ってきてくれませんの?」
「えっ? 暗号の森の第四エリアで?」
「はいっ! アヒージョさんのためですから、行ってきますっ!」
「まあ、良いけど?」
しかし、パフェットが二つ返事で了承した。アヒージョの顔が嬉しそうになった。
アヒージョは、よいしょと上体を起こしている。それを見たガーリックが、大慌てしだした。
「アヒージョ、あんまり無理するなよ……!」
「ガーリック様かパフェットさん。紙とペンをくださいな?」
ガーリックとパフェットが慌てて探す。
「えーと。ないぞ?」
「アヒージョさん、これですかっ!」
パフェットがやっと見つけて、キャビネットの上にあったペンとメモ帳を差し出していた。
「ありがとうですわ、パフェットさん」
アヒージョは、メモ帳をめくる。さらさらと薬草の絵を描いた。
そして、ガーリックに手渡した。
「おお。これがあれば良いんだな、アヒージョ?」
「はい。よろしくお願いしますの」
「アヒージョさん、分かったですっ! 早く持ってきますっ!」
「行こう、パフェット!」
「はいっ!」
しかし、アヒージョは慌てた様子でパフェットの手を握った。
パフェットは足を止めて、そんなアヒージョにキョトンとしている。
「アヒージョさん、どうしたんですかっ?」
「……パフェットさん、少し寂しいので話し相手になってくれませんの?」
パフェットは目をぱちくりしていたが笑顔で首肯していた。
「構わないですよっ! お話すれば良いのですよねっ?」
パフェットは、ベッドのそばの椅子にちょこんと座っている。
アヒージョはホッとした様子で、上着を肩に掛け直していた。
「じゃあ、俺は薬草を探しに、一人で暗号の森の第四エリアに行ってくるから」
「いってらっしゃいですっ!」
「よろしくお願いしますわ」
ガーリックは、チャッと手を振るとドアを開けて出て行った。
扉の向こうの足音が遠ざかる。
アヒージョは、ガーリックが消えたドアの方を見つめていた。
「アヒージョさん、お話は何にしますかっ?」
パフェットは、アヒージョに微笑みかけている。
そのままアヒージョは、キャビネットの上の方を指差していた。
「そこに、アスタリスクがありますの」
「えっ!」
パフェットが、驚いた様子でキョロキョロしている。そして、キャビネットの上にある、ビンに入ったアスタリスクを見つけた。パフェットの目が、キラキラと輝きだす。
「これが、アスタリスクっ! す、スゴイっ!」
パフェットは、アスタリスクがある事に気づいて、美術館の絵画を見るように感嘆の息を吐いている。
「それを取ってもらえませんの?」
「えっ、これをですかっ? 分かったですっ……!」
パフェットは、落とさないように慎重にアスタリスクの入ったビンを持ち上げて、そろそろと歩いて、アヒージョに手渡していた。
「どうぞですっ……!」
「ありがとうですわ、パフェットさん」
アヒージョは、アスタリスクのビンを開ける。パフェットは目を見張っている。アヒージョは、ビンを逆さまにして、アスタリスクをパフェットの手のひらに転がした。
「パフェットさん、これがアスタリスクですわ」
「うわぁ……!」
パフェットの目の中に、アスタリスクがキラキラと光って映っている。
アヒージョはしょんぼりとアスタリスクを眺めている。
「私、アスタリスクが体に受け付けませんでしたの……」
「えっ!? アスタリスクがっ? でも、これは合印だということを認めるものですよっ?」
パフェットは、アヒージョの言っている意味が理解できていないようで、疑問を顔に浮かべている。
「パフェットさん! 私は、パフェットさんやガーリック様には勝てませんわ!」
「えっ!?」
アヒージョのいきなりの告白に、パフェットは吃驚している。
アヒージョは目に涙をいっぱいに浮かべていた。
「パフェットさんとガーリック様が居たら、私はどうやっても合印にはなれませんわ!」
「そんなことないですよっ!」
「えっ……?」
「アヒージョさん、上手くいかないなら、方法を替えたら何とかなるかもですっ!」
「そうかしら……?」
「はいっ! だって、合印は区域がたくさんありますし、成れるチャンスは沢山ありますからっ! うまく行けば、みんなで合印になれるかもしれないですよっ!」
「アハハ、そうですわね!」
パフェットの問いに、アヒージョは笑顔になった。しかし、次第にその笑顔が曇る。
「……でも、私がやったことは簡単に許されることではありませんわ」
「えっ? アヒージョさんは何も悪い事をしていないですよっ?」
パフェットはキョトンとしているが、アヒージョは苦笑している。
「パフェットさん、そのアスタリスクをガーリック様からルーウェル様に返してもらえませんの?」
「えっ? ルーウェル様ってあの第五区域の合印邸に居合わせた人ですかっ?」
「そうですわ。ガーリック様の知り合いみたいでしたから。お願いしますわ」
「分かったですっ! アスタリスクをガーリックさんに渡せばいいんですねっ!」
「……」
パフェットは、にこにこして言った。アヒージョは、そんなパフェットを無表情で見つめていた。アヒージョの顔から、いつの間にか笑みが消えていた。
パフェットは、アスタリスクのビンをバッグに仕舞って、立ち上がった。そして、アヒージョの居る部屋から退室した。合印邸の庭に出た。ついこの間、合印決定選があったとは思えないほど、ひとの声一つしない。ただ、庭の横に植えられた木々の葉がザワザワと風に揺れるだけだ。それでも、合印決定戦の声援が耳に蘇りそうになる。
「パフェット! 久しぶりだな?」
ふと、誰かに声をかけられた。先ほどの声は、空耳ではない。確かに人の声だった。
パフェットはそのまま振り向いて、ギョッとした。
「えっ! ど、どうしてですかっ!?」
幻かと思ったが、そうではない。
その人物は、ニヤリと不気味に笑った。
「また、私のために一役買ってもらおうか?」
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