情報伝播の始まり
情報というのはいったいどこからやってくるのだろうか。それは権威のある人間や各著名人の発言だったり一般市民の声だったりいろいろあるだろう。
突拍子もない話だが
しかし、“君が代”みたいに100年以上前の歌でもない。比較的に最近の歌である。
戦時中のムッソリーニ政権に対抗するイタリア市民(パルチザン)が歌い始めたのが発祥という説がある。
Bella Ciaoは日本語訳すると「さらば恋人よ」となる、戦場に赴くため地元に残した恋人を想った詩である。そんな曲も今では日本語訳したものが加山雄三などの著名人にバラードとして歌われている。
因みに戦場に赴くと書いたがパルチザン側が戦場に行くのは自主性である。旧日本軍みたいに赤紙をばら撒いたり、徴兵があるわけではない。本当にこの国を変えたいと本気で思って、恋人や友人、家族を残して戦場に行ったのだ。
この曲が生まれた由来は、先ほど書いたが、ムッソリーニ政権に反対するパルチザン組織に所属する市民だという説が濃厚である。初めは極小だったパルチザン組織は巨大になるとムッソリーニ側の軍人も銃口の向きを変えることとなり、結果ムッソリーニは暗殺された。犯人は未だにわかってはいない。
パルチザン組織の内訳は社会党、行動党、共産党、共和党と数は膨大である。今の日本で表すと完全武装した自民党対野党全部が武器を持って戦争するといった感じである。話が逸れてしまったが、Bella Ciaoはイタリアに始まりフランス、スペインと広まり今ではワールドカップなどでも時々歌われるほどだ。
Bella Ciaoはこうした血生臭い背景をもって生まれた歌である。
上記でも語ったが記録に残らない市民一人の一言が後世に永遠と残ることは多々ある。もうひとつ逸れた話をしましょう。
江戸時代中期の猟師は2.3人で山に入り一日籠ることとなる、当時、猟師が持つ銃にはスコープという便利なものは付いて無い為、遠くの動くものを目視で打つことになる。打った対象が猟師仲間だったら大問題になる。その為に定期的に大きな声で「うわーん」と位置を知らせるために一言大声で鳴く。鳴いた声が聞こえると、もう一人も位置を知らせるために「うわーん」と鳴く。猟師の合図を知らない山の麓の者は、おじさんの野太い声で「うわーん」と鳴いた声が
現代では2ちゃんねる(今は5ちゃんねる)に書かれた一言が良い面にしろ、悪い面にしろ、何年も伝説のように語り継がれていることもある。かのようにして伝説や伝承というのは簡単に誕生させることができる。
現代で一番有名な伝承はやはり“口裂け女”だろう。
口裂け女自体は下記で解説する。口裂け女の発祥は1979年、昭和54年の夏頃に岐阜県美濃加茂市で最初に目撃されたという説と宮崎県宮崎市という説がある。
最初の目撃例では髪は長く、身長は155前後でマスクを着用、赤めの服という姿だ。
1979年6月までに全国に広まっていった噂話は、8月になると沈静化した。子供たちが夏休みに入り、情報の伝達がなくなったからだという。その後、90年代にまた噂が出始めるといった感じだ。
ルーツに関しては様々考えられる。岐阜では発祥当時、小学校でも比較的裕福な家庭の子供のみが学習塾へ通っていたため、余り財力のない家庭が子供に塾通いを諦めさせるために「夜道を歩いていると口裂け女に襲われる」と夜の外出を怖がらせた話がルーツという説。マクロ的に考えると、60、70年代は安保闘争から始まり左翼運動が激化し世の中が銃撃、爆発、誘拐と物騒になっている。
一方、左翼運動とは関係ないが同時期に“青酸コーラ無差別殺人事件”という身近に「死」という恐怖が付き纏うことになった。その為、恐怖に敏感になった末に妖怪を生み出した説。90年代に再興した際には相次ぐ医療過誤や整形が浸透し安価で粗悪な整形外科が増えた為に広がったと考えられている。
恐れという感情は冷静さを欠く。まずは恐れおののく前に冷静に自分を客観視し物事の真意をよく見定めることが大切だろう。
では、本日も格言でお別れしましょう
「通信の速度には驚くべきものがあるが、その速さが偽りの情報を増加させるのもまた事実である」- エドワード・R・マロー
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