情報伝播の真と偽

 今は情報化社会を経てさらなる情報化社会“超情報化社会”だと私は考える。

戦争においても情報は戦力になる。例えば第二次大戦のナチスの暗号であるエニグマに対して連合国軍は解くことができず大打撃を受けた、そして戦後の2006年のコンピュータ計算ができるまで解くことができなかった。解読したのはM4Projectというドイツのインターネットアマチュア暗号解読集団によって解読された。日本陸軍情報局の暗号“九七式欧文印字機(パープル暗号)”には米国も頭を抱え終戦まで殆ど解読できなかった。話が逸れたが、情報というのは人間社会において強力なものとなっている。

 現代の情報化社会の中心であるネットでも同じことだろう。一つ情報を出しただけでも早急に世の中に広まり沢山の人々の目に留まる。しかし広まれば広まるほどその情報に対する真偽を確かめようとせずに鵜呑みにするものも多い。例えばジャッキー・チェンが死亡した。なんて情報がどこかしらか出ればメディアはすぐにどこよりも早く記事を出す。(ろくに調べもせずに)実際、2000年頃の大手メディアは多くこのウソ情報に騙されて記事を書いている。


 2000年ごろのメディアを揶揄したが、現代人も多く騙されている。

知らない人も多いと思うが、未だに一部界隈で人気の“やりすぎ都市伝説”に出てくる物語(テラー)は昔よくオカルト板や陰謀論者の間でで語られていたことを掘り返して地上波で話をしているだけだったり、ただのフェイクだったりとネット掲示板に昔から住んでいる人間には新鮮味がなかったりする。実際私もその一人だった。というかこれを読んでいる人の中に“宇佐和通”や“山口敏太郎”や“飛鳥昭雄”というライターを知っているのだろうか。知らない人は彼らの書籍をどれか一冊ずつ購入してみてほしい。三人とも違うタイプのオカルトライターだ。


 情報は世界を制することができる。広まった情報が嘘であれ真実であれ、広まった時点で情報戦に勝利したことになる。This Manがそうだろう。知らない人は是非調べてほしい、この話は後にフェイクと判明した話だ。作者のアンドレア・ナタレ氏は現代における噂の伝播速度を調査するために噂を流したのだと本人から公言した。

This Manに関してはただの実験なので大したことではないが、その実験を応用すれば経済や国際関係にも多く使われているのも事実だ。なんかはあまり話題にはされてないが立派なプロパガンダによって民衆が扇動され結果アメリカは多大な利益を得ている。


 オカルトにおいてもレーガン大統領がUFOを見たとか、宇宙飛行士やパイロットが怪しい物体を見たとか、そんな情報を簡単に鵜呑みにする人が多い。コンドン委員会の「未確認物体に関する学術的最終報告(通称:コンドンレポート)」でも書かれているが、民衆が大統領などの“権威ある人のお墨付き証言”という権威主義的な思想によって信じ込む者も多く、更に民衆には天文学や航空力学などの学術的知識がない事も含め、見間違いやフェイク写真なんかで「過去のUFO研究から科学的知識は全く得られず、これからもUFOの研究からは科学の進歩に貢献できる情報などは出てこないだろう」という言葉でコンドンレポートは締められている。


 人は騙される、真偽はともかくそのことも含め様々な情報を今後は更に私たち自身で吟味していく必要がある。民意や権威に頼りきってはいけない。自分の目や耳、知識や感覚で自分の信じる道を歩んでほしい。


本日も名言でお別れしたい。

「一般民衆の大半は...小さな嘘よりも大きな嘘の虜になりやすいものだ。」     - アドルフ・ヒトラー


用語解説

・This Manとは、2006年、とあるニューヨークの精神科に訪れた女性が「逢ったことのない男が夢にしばしば現れる」という事で診察を受ける。医師は女性の証言をもとにモンタージュを描いた。後日、別の男性患者が病院を訪れる。診断の結果、女性の症状と似ていたので再びモンタージュを描いてみると、先日描いたものとそっくりであった。これに興味を示した医師は、仲間の精神科医にモンタージュを送った。すると、新たに4人の患者がこの男を夢の中で見たことがあると言ったという。この現象を不思議に思った医師たちはウェブサイトを立ち上げて「This Man」の目撃情報を収集することにした。すると、This Manを夢の中で見たことがあるという証言が2000人から送られた。その2000人の居住地はモスクワ、ロンドン、北京、バルセロナ、ストックホルム、ローマなどなど…バラバラであった。(原文ママ)

以上の出来事から「世界中の人々の夢に現れる男」とされるようになった。


・トンキン湾事件は、1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍

の哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射したとされる事件。

これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入、北爆を開始し

た。アメリカ議会は上院で88対2、下院で416対0で大統領支持を決議

をした。しかし、1971年6月ニューヨーク・タイムズのニール・シーハン記者

が、報告書『ベトナムにおける政策決定の歴史、1945年-1968年』

こと“ペンタゴン・ペーパーズ”を入手、トンキン湾事件はアメリカが仕組んだものだったことを暴露した。


・ナイラ証言とは、「ナイラ」なる女性(当時15歳)が1990年10月10日に非政府組織トム・ラントス人権委員会にて行った証言。イラクによるクウェート侵攻後、イラク軍兵士がクウェートの病院から、保育器に入った新生児を取り出し放置、死に至らしめた経緯を涙ながらに語った事で知られる。当時のマスコミはクウェートへ入れなかったため、この証言が信憑性のあるものとされ、広く喧伝された。アメリカ合衆国上院議員や大統領も幾度となく引用しており、湾岸戦争の布石を敷くこととなる。

クウェート解放以後、マスコミが同国内に入り取材が許された結果、新生児の件は虚偽であった事が発覚。また、1992年に「ナイラ」なる女性は当時クウェート駐米大使であったサウード・アン=ナーセル・アッ=サバーハの娘との事実が明らかになった。その上、証言自体がクウェート政府の意を受けた、ヒル・アンド・ノウルトンによる自由クウェートのための市民運動の広報キャンペーンの一環であったことが判明した。

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オカルト冬の時代 Smoking0_07 @Yayoi133

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