第20話 見捨てられる世界

「た、タクマ!?」 

「タクマ君!? どうしたの!?」


 エリスとリネが俺の体を揺さぶっている。一刻も早くラルラを唱え、ギルギルから逃げなくちゃならない。分かっているのに、声が出なかった。


 ……ピステカ、テイクーン、そしてマサオミ。生まれて初めて、間近で人間が殺されるのを見て、完全にビビッてしまったのだ。


 ギルギルの両手がピクリと動く。


「ヤベぇ! あの技がくるぜ!」

「タクマ君っ! 早くっ! 何処でもいいから城の外にっ!」


 リネが、ラムステイト歴程を俺の顔に押しつけた。「ぐはっ!?」と叫んだ弾みで、俺はどうにか言葉を紡ぐ。ギルギルを含む王の間がぐにゃりと歪んだ……。




 ふと気付けば、俺達は湿り気のある地面に座り込んでいる。辺りには生い茂る木々。耳に入ってくるのは小鳥のさえずり。どうやら森の中にいるらしい。


「お、おい、タクマ。何処だ、此処は?」

「わ、分からない」


 無我夢中で戦闘から逃れることだけを考えた。ラルラを唱えたのか、ギラルラを唱えたのかさえ覚えていない。


「あ、あれ見て……!」


 リネが青ざめた顔で指さした先には城があった。城門の周りには黒蛇王フォトラの背を縮めたような蛇人間の兵士達がいる。


「此処ってまだサマトラだよっ!!」


 ……咄嗟に唱えた移動呪文で、俺達はサマトラ城の入口付近に移動しただけだったらしい。


「タクマ! 此処じゃ危険だ! アクアブルツに戻ろう!」

「あ、ああ!」


 こくりと頷く。ギルギルの姿が見えないことで、さっきよりはずいぶん落ち着いた。今度こそ、しっかりラルラを唱えようとした時、


「何だ、ありゃあ……?」


 森の向こう。蛇の兵士の喋り声が聞こえてきた。見ると、見張りの兵士達が城の上空を見上げている。何となくその視線を追って――俺は吃驚する。


 サマトラ城の天辺! 小さな足場の上に、ギルギルが直立していた!


「敵か!?」

「射落とせ!!」


 蛇の兵隊達がざわつき始め、弓矢を持った兵士が矢を放つ。だがギルギルは構うことなく、片手を天にかざしていた。ギルギルの手に黒い霧のようなものが集まり、やがてそれは巨大な球体となっていく。


 ――な、何だアレ!? 何か……ヤバい!!


「……グランド・ギルプス!」


 ニヤリと笑い、そう叫ぶと、ギルギルは片手を振り下ろした。黒い球体がサマトラ城の真下に落下する――と同時に大爆発が巻き起こった! フォトラの兵士達は爆炎と爆風に呑まれ、一瞬で消え去り……更に衝撃で巨大な城が崩れ落ちる!


 まるで爆撃! 衝撃波はずいぶんと離れた場所にいる俺達にも到達した! 俺は咄嗟にリネとエリスをかばおうとするが、爆風に吹き飛ばされて、地面を転がる!


 ――め、メチャクチャだ! 強いなんてもんじゃない! もう、別次元の……!


『ゴッ』と鈍い音がして、後頭部に激痛が走った。何かに頭をぶつけたらしい。俺の意識は薄れていった。






『……ねえねえ。ねえったら』


 暗闇の中。聞いたことのある声が響く。


『ねえ、ちょっと時間あるかな?』

『どうした?』

『あのね。異世界アストロフのことなんだけど……』


 そこまで聞いて俺は気付く。


 ――俺を召喚した女神と男神の声だ!


 神達の声を聞いて俺は何だか安堵した。


 ――ああ、よかった! 助けてくれ! マサオミが……天竜の勇者が殺されたんだ! 俺なんかじゃ、もうどうしようも出来ない!


 大声で叫んでいるつもりだったが、何の反応もない。向こうの声は聞こえるが、一方通行。俺の声は届いていないらしい。


『それで今、すっごくピンチなのよ』

『知っている。地竜の勇者の移動呪文のせいで、世界の均衡が崩れてしまったようだな』

『そうなの! あのバカが移動呪文なんか使ってチートしようとしたのがいけないのよ!』


 ――ぐっ! 俺のせいかよ!


『いや。元はといえば、お前が間違って地竜の勇者を最果ての町からスタートさせたのが原因だと思うが?』

『うっ……そ、そうね。ごめんなさい……』


 ――ホントだ! もっと言ってやれ、男神!


『それで裏世界からアストロフに来た怪物は、現在どうしている?』

『サマトラ城周辺の魔物を蹂躙しながら、地竜の勇者を捜してるみたい。南に向かって、ゆっくり歩いてるわ。このペースだと、夕方にはミズレ峡谷に辿り着くかしら』

『すると、その辺の人間は皆殺しだな』

『あ! でもサマトラは元々、黒蛇王に占領されていた地域だから、人間はほぼ全滅していたの! その点はラッキーだったわ!』

『何がラッキーだ。どちらにせよ、そのうちアクアブルツに来るだろう。虐殺は時間の問題だ』

『う、うん。そ、それでホラ! 玄武川雅臣が殺されちゃったし、次の勇者候補をアストロフに送り込めないかな?』

『バカを言え! いきなり召喚されて、あの怪物に勝てる勇者など存在するか!』

『だ、だよねえ、やっぱり、そうよねえ。もう無理よねえ。ううっ、ぐすっ……!』


 ――泣いて済む問題か、この超絶駄女神!! 男神、もっと怒ってやってくれ!!


 しかし、男神は溜め息を吐いた後で言う。


『まぁ、もう過ぎたことだ。あれこれ悔やんでも仕方がない』

『ぐすっ。本当にゴメンなさい……ぐすっ』

『泣くな。そこまで気に病む必要はあるまい。我々神からすればアストロフは数多あまたある世界のうちの一つ』


 ――え。お、おい……嘘だろ。


『今回のアストロフの失敗を糧に、次の世界ではうまくやればいい』

『う、うんっ!』

『では早速、次の異世界救済を始めよう』

『ようし! 今度こそ私、頑張るわっ!』


 ――そ、そんな!? 待ってくれよ!! お前ら、アストロフを見捨てる気か!? それでも神様かよ!!


 だが、女神と男神の声は徐々に遠ざかっていく。そして、



「……タクマ! タクマ、起きろ!」


 エリスの声で俺は目を開けた。心配そうな顔のエリスとリネが俺を覗き込んでいる。


「よかった! 意識が戻ったぜ!」

「え……。お、俺……?」

「タクマ君、そこの石に頭ぶつけて倒れてたんだよ!」


 リネに言われて見た先には大きな岩があり、血が付いている。俺は頭を触るが、傷も痛みもない。リネが回復魔法で治してくれたのだろう。


「俺、どのくらい倒れてたんだ?」

「十分くらい。タクマ君、うなされてたから心配したんだよ」

「そっか……って、そんなことより、ギルギルは!?」


 焦って尋ねるが、エリスは微笑む。


「安心しろ。とりあえず城からは去ったみたいだぜ」

「ひょっとしたら、ラムステイトに帰ってくれたんじゃないかなあ?」


 リネの希望的観測に俺は首を横に振る。


「……いや。ギルギルは移動呪文が使えない筈だ。アイツは歩いて南に向かってる」

「ええっ!! 南ってアクアブルツかよ!?」

「タクマ君、どうして分かるの!?」


 たった今、神々の会話を聞いたからだ。そう……この世界アストロフは神に見捨てられた……。


 ――畜生! 何とかしなきゃ……!


 俺はラムステイト歴程を持って立ち上がる。


「ウルググに行こう! そしてカイオウに相談する!」

「う、ウルググ? けどカイオウさん、第三等級者だよ? ギルギルは第一等級なのに……」

「それでもカイオウは俺の知ってる中で最強の戦士だ! 何とか解決策を見つけてくれるかも知れない!」

「そ、そうだよな! カイオウのオッサン、歴戦の強者って感じだもんな! 良い案を教えてくれるかも知れねえ!」


 俺は呪文を唱え、エルフの町ウルググに移動した……。




 早速、道具屋で残りのどくばり二本を売り払い、30000Gを得る。その後、急いでルナステの酒場に向かう。


 カイオウは酒場の端で、この前のようにどっかと椅子に腰掛け、酒をあおっていた。


 俺はカイオウのいるテーブルに早足で歩み寄り、大金の入った袋をドサッと置いた。


「カイオウ。30000Gだ。助けてくれ」

「うむ。金さえあればどんな依頼でも引き受けよう」


 頼もしいカイオウの言葉を聞いて、ほんの少し肩の荷が下りた気がした。堰き止めていたような感情を、リネとエリスがぶつける。


「カイオウさん、聞いてっ! ギルギルって奴がメチャクチャ強くって、第一等級者で、天竜の勇者もやられちゃって、」

「カイオウのオッサン! もうアンタだけが頼りだ! 何とかしてくれ!」

「まぁ、少し落ち着け。自分の力量を遙かに上回る敵に出会って狼狽えているようだが……冷静さを欠いてはお終いだぞ?」


 そしてカイオウは酒を一口飲む。


「まず、その敵が第一等級者だというのがそもそも疑わしい。第一等級者などこの大陸に一人もいない。果てしなく広大な世界ラムステイト中を探しても、片手で数えられる程にしか存在しないのだ」

「で、でもカイオウのオッサン! ギルギルは防御不能の技を持ってたり、一瞬で城を破壊したりするんだ!」

「お前達の世界アストロフは、ワシらから見れば脆弱そのもの。それに闘気をぶつけて建物を破壊するくらいの芸当はワシにも可能だ」

「そ、そうなのか……!」

「本来の力量より自分を大きく見せようとするのは、狡猾な魔物が良く使う手段。実際、ラムステイトには自らを第一等級者だとうそぶく輩が多い。紋章の偽装をする奴すらいる程だ。まぁワシが見れば一目瞭然だがな」


 カイオウに言われ、俺はハッとする。確かに俺達はギルギルの異様さに呑まれ、相手を必要以上に恐れていたのかも知れない! ギルギルはマサオミを倒した強者には違いない! けれど、カイオウからすれば手に負える相手なのかも!


「それで、そいつは何処にいる?」


 エリスがアストロフの地図を広げた。サマトラ城周辺の位置を指で辿る。


「奴が南下しているとして……馬に乗らずに歩いていれば、ちょうどこの辺じゃねえかな」


 エリスの指が止まった箇所には『ミズレ峡谷』と書かれている。そうだ! 確か、女神が言っていた! 『夕方にはミズレ峡谷に辿り着く』と!


「此処だ! 間違いない! 奴は此処に向かってる!」


 俺が確信して言うと、カイオウが椅子から立ち上がり、愛用の斧を担いだ。


「それではお前の移動呪文で、この峡谷に向かおう。なに案ずるな。ワシの斧のサビにしてくれるわ」


 頼もしいカイオウの言葉を聞いて、俺とエリス、リネは顔を見合わせて笑った。そして俺は地図に手を当て、ギラルラを唱えてミズレ峡谷に移動した。





 切り立った崖に挟まれて一本道が延々と続いている。落ち始めた太陽が、ミズレ峡谷を血のように赤く照らしていた。


 カイオウの指示で俺達は片方の崖の上に移動する。カイオウは胸元から望遠鏡のような物を取り出して、片目にあてがった。体勢を低くして、数十メートル下の一本道を眺めている。


「く、来るかなぁ、ギルギル……。私、怖いよ……」


 リネが不安げに呟くと、カイオウは望遠鏡を見ながら言う。


「冷静さを欠いては終いと言ったろう? 勝てる戦も勝てなくなるぞ」

「う、うん。そうだよね。ごめんなさい……」


 やがて、しばらく黙っていたカイオウが言葉を発した。


「む。向こうから人影が見える」


 俺は一本道に目を凝らすが何も見えない。カイオウに尋ねる。


「ど、どんな奴だ?」

「……道化師のような風変わりな格好をしている」

「!! それだ、カイオウ!! それがギルギルだ!!」

「ほう。アイツか。どれどれ、腕の紋章は……」


 そう言ったっきり、カイオウは静かになった。


「カイオウ?」


 俺が聞くと、カイオウは望遠鏡をことりと落とし、震える声で呟く。


「と、闘神グレスコフの紋章……!!」


 地面を転がった望遠鏡を拾いもせず、カイオウは俺に言う。


「……移動呪文だ」

「ギルギルのところに行くのか?」

「違う! 奴からもっと遠くに離れるんだ!」

「は、離れるって何処に?」

「何処でもいいから、早くしろおおおおおおおおお!!」


 今まで見たこともない鬼気迫る形相で、カイオウは俺の胸ぐらを掴んできた! 


「わ、わ、分かった! ら、ラルラ!」


 



 移動呪文で急遽、ミズレ峡谷からアクアブルツ城の俺の部屋に戻った。


 カイオウが、中腰の体勢でゼェゼェ言っている。体中に汗をかき、爪を噛み、ヒゲをむしるその姿を見て、俺は叫ぶ。


「いやアンタこそ、冷静さの欠片も無くなってっけど!?」

「こ、こ、これが冷静でいられるかあっ!! あれは大魔王ヴァルカザスの右腕、死神ギルガメス=ロロギルコ!! 紛れもない第一等級者だ!!」


 !! 大魔王の右腕!? ううっ、やっぱりギルギル、滅茶苦茶ヤバい奴なんじゃねえかよ!!


 俺達が戦慄する中、カイオウはヒゲを毟り続ける。


「何という恐ろしい奴が……! おそらくこの世界アストロフの魔王など軽く凌駕するであろう……!」

 

 そしてカイオウは金の入った袋を俺達に返してきた。


「えっ! カイオウ?」

「返す。金は大事だが、命あっての物種だからな」

「そんな! 金さえあればどんな依頼でも引き受けるって言っただろ!」

「……すまん」

「謝らなくていいから助けてくれよ!」

「無理だ。アイツに確実に勝てるのは『三大覇王』と言われる絶級者のみだろう」

「三大覇王?」

「奴の親玉、大魔王ヴァルカザス。竜王グランハザロ。そして我らが妖精王エクスミリアン様だ」

「そ、その妖精王って寛大なんだろ? 助けてくれたりしないか?」

「不可能だ。お目通りなど叶う筈がない。ワシも生まれて一度も会ったことなどないのだからな」

「ちなみに竜王は?」

「……人間を食い物としか思っておらん」


 絶望的な状況に俺達はカイオウにしがみつく。


「じゃあやっぱりカイオウ、何とかしてくれよ!」

「そうだ! せめて一緒に戦ってくれよ! カイオウのオッサン!」

「カイオウさん、お願いだよっ!」


 するとカイオウは姿勢を正し、深々と頭を下げてきた。


「……ごめんなさい」

「!? 『ごめんなさい』じゃないだろ!!」


 あまりの豹変振りに俺が叫ぶと、カイオウは三枚の札を差し出してくる。


「な、何だよ、コレ?」

「『エルフの守護符』だ。高確率で一撃死を防ぐ。これをタダであげるから、後は自分達で何とかして欲しい」


 そしてカイオウは懐から鳥の片翼のようなものを取り出した。


「……では、さらばだ」

「ちょ、ちょっと! カイオウ、」


 翼を左右に振った途端、カイオウの周りの空間が激しく歪み――エルフの傭兵は俺達の前から忽然と姿を消したのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る