第12話 怒りと貞操
星形の太陽が頭上に輝き、牧歌的な町を優しく照らす。リネとエリスの故郷バルテアと同じ――いやそれ以上に和やかな雰囲気が広がっていた。やはりパスティアは平和で良い町だ。
とりあえず俺はローザの家ではなく、町外れの池に移動した。この間のように、麦わら帽子を被った釣り人が池のほとりで竿から糸を垂らしている。
俺は釣り人に近付き、話しかけた。
「いやあ、この間は助かりました! どくばりのお陰で、どうにかサイクロプスを倒せましたよ!」
すると、すっくと釣り人が立ち上がり、目深に被った麦わら帽を取った。途端、ファサッと長い銀髪が棚引く。
「……なっ!?」
俺とエリス、リネは絶句する! そこに立っていたのはこの前、会った釣り人ではない! 鎧を外し、麻の服を着た銀髪碧眼の女騎士ローザが俺を睨んでいた!
「ポリンキなら、もういませんよ。彼はリヴァイアサンが出る時期だけパスティアに来る旅の釣り師なのです」
高い身長から見下ろされる! 『ゴゴゴゴゴ』と効果音が聞こえてきそうな、凄まじい威圧感だ!
「そ、そんなことより、どうしてローザがそのポリンキさんみたいな格好で、釣りしてるんだ!?」
どうにかそう尋ねると、ローザは皮肉めいた口調で笑った。
「くくく……私の修行を逃げ出した後、ポリンキにどくばりを貰ったそうではないですか。なので此処にいれば、またアナタ方がやってくるかも知れないと踏んだのですよ。そしてポリンキの振りをして待っていれば……案の定、マスターが来たのです……ふふふ……くくく……ははははは」
とりあえず俺はローザに合わせて愛想笑いしてみる。
「あ、あははは! お、面白いな、エリス? なっ?」
「お、おう! 面白い! これはかなり面白いぜ! うん!」
「ゆ、愉快だね! うふふふっ!」
瞬間、ローザが持っていた釣り竿を『バギッ』とへし折った!
「全ッ然、面白くありません!!」
「「「ヒイッ!?」」」
三人で抱きつき、震え上がる。予想通り、ローザは激怒していた。虫けらを見るような目を俺に向けてくる。
「どうしてマスターがダメなのか分かりました。ステータスではなく精神性が低いのです。いやその精神の低俗さがステータスに反映していると言うべきでしょうね」
『一生の忠義』はどこへやら。俺はローザに嫌みを言われ出した。
「そもそもマスターはですね……」
そして普通にローザに怒られている。見かねたエリスが俺の前に立ち塞がり、かばってくれた。
「あ、あのな、ローザ。修行をサボったのは本当に悪いと思う。でもな、あのまま修行を続けても、アタシら、サイクロプスにやられてたと思うんだよ」
「そ、そうなんだよ、ローザさん! 私達って、想像以上に弱いんだから!」
するとローザは大きな溜め息を吐いた。その後、腰の剣を抜いて、俺にスッと向けてきたので、俺は心臓が止まりそうになる!
「ウォッ!? お、お願いだ、ローザ!! 殺さないでくれえええええ!!」
「殺しませんよ。……いいですか。修行三日目の朝、この私の剣『エクセリウス』を一時、マスターに貸そうと思っていたのです。加えて、体力を完全回復させる天獄鳥の羽も数枚差し上げるつもりでした。どんなにレベルが低くても、この剣さえあればサイクロプスなど敵ではないでしょう」
エリスとリネが驚いた顔をする。
「そ、そーだったんだ……」
「なら、それを先に言ってくれりゃあよ、」
「もし言えば、アナタ達は努力をしなくなるでしょう?」
リネもエリスも、そして俺も返す言葉がなく、押し黙った。
……そうか。ローザもちゃんと考えてくれてたんだな。確かにハンパなく攻撃力がありそうなこの剣を装備していれば、どくばりが無くても何とかなっていたかも知れない。
俺は白銀に輝くローザの剣に見とれてしまう。いやぁ、しかし凄い剣だな!
「なあ、ローザ。それ今、貸してくんない?」
「……は?」
「いやだから、その剣を俺に、」
「……は?」
「貸してくれたら嬉しいかなって、」
「……は?」
!? ダメだ!! 超怖ぇえ!! マジで斬られそう!!
「何でもないです。すいませんでした……」
「そ、そんなことよりタクマ君! お礼、言わなきゃ! ローザさんの教えてくれた技のお陰で助かったんだから!」
「そっか、そうだな! ローザの雹撃があったから、ギガンテスも倒せた! ありがとうな!」
嘘偽らざる感謝の気持ちを述べるが、ローザの目は依然冷ややかだった。
「雹撃? どくばりのお陰でしょう?」
気まずい雰囲気が流れる。俺はもう一刻も早く、この場から逃げ出したかった。
「と、とにかくローザ! 色々ありがとう! じゃあ、また……」
そう言って移動呪文を唱えようとしたが、ローザが俺の肩に手を置く。
「お待ちください。今から、この前、出来なかった修行の続きをしましょう」
「えっ! あ、いや、今日はちょっと、」
「用事なんてないですよね? 暇があったからこそ、パスティアに来たのですよね?」
「う……まぁ……」
「私に教えを乞うた以上、少なくとも天限無神流の初歩の段階は会得してくださらないと困ります」
「でも、雹撃は出来るようになったけど?」
「あれは初歩の初歩です。少なくとも六回連続で攻撃を叩き込む『雹撃・
そしてローザは俺の手をぐいと引いた。
「さぁ、修行を始めましょう」
……その後、ローザの修行が始まった。
今日は鎧でなく、質素な麻の服を身に付けたローザを見て、かなりの巨乳だったことに気付く。ナイスバディな美しい先生に教えて貰っている筈なのに、全然嬉しくはなかった。なぜなら、
「集中!! もっと深く集中するのです!!」
ローザは、今までと打って変わったように厳しかった。ローザの指導のもと、藁のサンドバッグに、雹撃を発動して斬りかかるが……まったく上手くいかない。どうしても二回以上、俺の手が分かたれないのだ。エリスの火炎魔法も、リネの回復魔法も同じように二連続が限界のようだった。
「えぇい!! 何をやっているのですか!! そんなことで世界が救えると思っているのですかっ!!」
ローザの迫力と、修行開始から数時間経って溜まった疲労に、リネが泣き言を漏らす。
「ろ、ローザさん。あの私、もうクタクタで……」
「まだまだ、いけます!」
エリスも苦しそうだ。
「アタシも、もう腕が動かねえ……。魔力だってねえし……」
「気合いが足りないのです! 気合いと根性さえあれば、腕だって動くし、魔力も回復します!」
そんなローザの指導に俺は戦慄していた。
――いやこれ、昔のダメなやつじゃん!!
俺は剣を振りながらも、こっそりエリスとリネに近付き、小声で呟く。
「まるで、スパルタ教育だな」
「何だよ、タクマ。それ?」
「俺のいた世界で昔こういう厳しい教え方があったんだ。『気合い』だの『根性』だの精神論に傾きすぎた指導法がな。だが、そういうのが自殺や過労死を招くってことで大きな問題になった」
「た、確かにアタシは、今まさに過労で倒れそうだ」
「私も、何だか死にたくなってきたよ……ぐすっ……」
「ああ。俺だって過労死寸前で自殺したい気分だ。こんな時代錯誤の古くさい指導方法は俺達にはきつすぎる」
「ほら、そこ!! 無駄口を叩かない!! 集中!!」
ローザに注意され、エリスが眉間にシワを寄せた。
「もう我慢出来ねえ! ローザは命の恩人だが……これは行き過ぎてるぜ! アタシ、キレてやろうと思う!」
「マジか! 頑張ってくれ、エリス!」
そしてエリスは大声で叫ぶ。
「ああ、もう出来ねえ!! やめた、やめたあ!!」
するとローザがエリスに近付いていく。
「気合いが足りないのです。続けてください」
「出来ねえもんはいくらやっても出来ねえんだよ!」
「死ぬ気でやれば出来ないことなどありません。何でも出来るのです」
「死ぬ気だって? これ以上やったら本気で死んじまうよ!」
するとローザはエリスの肩をしっかりと両手で掴んだ。
「死ぬ気でやれば……死にませんっ!!」
「!? 一体どういう理屈だよ!?」
そしてエリスは首を横に振りながら、帰ってきた。
「ダメだ、タクマ。目の色が違う。そして、怖ぇえ」
「ううっ! 私、エリスが言われてるのを見ただけで何だか泣けてきたよ……!」
「あれはもうスパルタの権化だな……」
恐れおののき、こそこそと喋る俺達を前にして、ローザが、ふと我に返ったように厳しかった表情を緩めた。
「はっ!? す、すいません。私としたことが少し熱くなりすぎたようです。休憩にしましょうか……」
ホッと一息つくが、ローザは俺の方に寄ってきた。
「マスターはダメです」
「!! いや何で俺だけ休憩ないの!? ホントに死んじゃう!!」
「安心してください。マスターはしばらく、そこに立っているだけで結構です。今から授ける『天限無神流・
敵の動きがスローに見える? そ、それは確かに無茶苦茶便利なスキルだけど……ホントに立ってるだけでそんなスキルが身につくのか?
「それでは私の目をジッと見詰めてください」
そしてローザは俺に体を近付けてくる。いや……近付けるというか密着させてきた! 麻の服を着ただけでノーブラなローザの大きな胸が俺の体に当たる! 更にローザの顔も、ものすごく近い! 温かな吐息を感じる!
「ちょ、ちょ、ちょっと近すぎじゃねえか!?」
俺の代わりにエリスが叫ぶ。そして俺は冗談めかして照れ笑う。
「そ、そうそう! ローザ! これじゃあ妙な気分になっちゃうって! あははは!」
「タクマ君!? ふざけてるとまた怒られるよ!?」
リネの台詞に俺は体をビクッと震わせた。
「ご、ごめん! 違う! ローザ! そういう意味じゃない!」
『一体、何を考えてるのですかっ!』などと一喝されると思った。だが、
「ひょっとして、私に欲情されたということですか? 困りますね」
ローザは両手で俺の手を優しく握り締めた。はっ、えっ? な、何コレ……?
「困ります。『今は』。ただマスターが実力でこのパスティアまで来られた暁には、何なりとお好きなように。私はマスターに全てを捧げようと心に決めていますので」
ローザは、修行中の鬼のような形相から想像も付かない慈母のような微笑みを湛えていた。突然の展開に俺の脳が付いていかない。
顔を赤くしたリネが、ローザにおずおずと問いかける。
「あ、あの、ローザさん? 全てを捧げる、って……えっと、もしかして……そういう意味なの?」
するとエリスが一笑に付す。
「ば、バカだな、リネは!! そんな変な意味の訳ねえだろが!! なっ、ローザ、そうだよなっ!?」
ローザは俺を見詰めたまま、言う。
「はい。マスターに私の貞操を捧げる、という意味です」
時間が停止した……ように感じた。一瞬の沈黙後、エリスが叫ぶ。
「ええええええっ!? じゃあそのまま『変な意味』じゃねえかよ!!」
「どうして『変』なのですか? 私とて女。そして私は勇者に全てを捧げる為にこの世に生を受けました……」
潤んだ色気のある双眸が俺に向けられていた。
「今日は辛く当たってしまい申し訳ありません。しかし、これも全てマスターの為を思えばこそ。いつの日かマスターと共に、世界の始まりと終わりを告げるヘスカリオスの塔に挑むことを――ローザ=ラストレイ、心待ちにしております」
ローザは俺の手を離して、深々と一礼した。
「日も暮れてきました。修行はここまでにしましょう。それでは、また明日……」
ラルラで城にある俺の部屋のバルコニーに戻る。気が抜けたようにリネとエリスがその場にへたり込んだ。
「うう。体中、痛いよぉ」
「ああ、ゲロ吐きそうだ……」
疲労困憊の二人。もちろん俺だってクタクタだ。それでも俺は何だかホワンとしていた。さっきのローザの台詞を思い出す。
『私はマスターに全てを捧げようと心に決めています』
その言葉はリネにとっても衝撃的だったらしい。ポツリと呟く。
「それにしても、ローザさんって意外と大胆なんだね……」
確かに、お固い女騎士かと思ってたら、性的に随分オープンだった。これがラムステイトに住む女性特有の性格なのか、ローザの性格なのかは分からないが。
エリスが少し口ごもるようにして聞いてきた。
「な、なぁ。それで、タクマ。どーすんだよ。明日もローザのところに行くのかよ?」
「うーん。修行はしんどいけど……ああいうこと言われると、頑張りたくはなるよなあ」
だって、もしも万が一、奇跡的にパスティアまで辿り着けたら、ローザが俺のものになるんだろ? そりゃあ、男だったらやる気になるよ!
俺は右手を見詰める。ローザの温かい手の感触を思い出していると、無意識に顔がニヤけてしまったらしい。エリスが怒声をぶつけてきた。
「な、何だらしない顔してんだよ、この色ボケ野郎!! あんなのタクマにやる気を出させる為の口実に決まってんだろ!! 鵜呑みにしやがって、バカみてえだ!!」
「ちょ、ちょっとエリス!? 『色ボケ』とか『バカ』とか……タクマ君、一応、勇者なんだよ!?」
「だってリネだって思うだろ!? ローザみたいな美人がタクマと釣り合う訳がねえ!! アストロフに伝わることわざで言うなら『月とスライム』だ!!」
へえー。そんな『月とスッポン』みたいなことわざがあるのか……って、
「誰がスライムだ!! だいたい何でエリスがそこまで怒るんだよ!?」
「タクマは戦闘に関しちゃ『弱い』って、わきまえてるじゃねえか!! なのに女相手じゃ、どうして分かんねえんだよ!? タクマみたいな平凡な人間に、ローザは絶対似合わねえ!!」
「ああ、そうだよ!! どうせ俺は戦闘も弱いし、見た目だってスライムみたいに格好悪いよ!! ブヨブヨだよ!!」
「べ、別にブヨブヨで格好悪いなんて言ってねえだろ!! だから、タクマにはローザじゃなくて、もっと他に、ちゃんと釣り合う女がさあ、」
怒りのせいかエリスは顔を真っ赤に染めていた。リネもおたおたしている。
しかし、俺達のいざこざは激しいノックの音で中断された。
「失礼します!!」
急にドアが開かれる。血相を変えた兵士が部屋に飛び込んできた。
「勇者様!! 非常事態です!! 今すぐ王の間までお越しください!!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。