第2話 卑屈にリテイク

 町娘のほがらかな笑顔は、俺の右手の紋章を見た途端、真剣な表情に変わった。


「その紋章……! も、もしや、この御方は……!」


 いつの間にか周りに人山が出来ていて、


「この御方は地竜の勇者様だ!!」


 誰かがそう叫ぶ。そして、さっきと同じ流れで、あれやこれやと事々が進み……俺は今、この町バルテアの長老宅にいた。


 そう。『さっきと同じ流れ』だ。


 あの声の主達は『俺を夢うつつにさせて、記憶を消してからリスタートさせる』と言っていた。だが残念だったな。『見た夢の内容を覚えている』――自分でも悲しくなるこの微妙すぎる特技のお陰で、お前らの会話をしっかり覚えているぞ。いや……実際、忘れた方が良かったのかも知れないが。


 俺をこの世界に転移させた――多分、神っぽいあの男と女――の会話を聞いて、段々と置かれた状況が分かってきた。


 つまり俺が最初に召喚された町は、ゲームでいうところの『ラスボスを倒した後、もっと強い裏ボスのいる世界にある町』だったという訳だ。俺を召喚した女神は『ちょっとのミス』と言っていたが……とんでもない大ミスだろ!


 しかし俺にとって、それよりもっと衝撃的だったのは、俺の召喚理由である。


 何と他に『何とかマサオミ』とかいう奴が召喚されており、ソイツこそが本命の勇者で、俺は『ついで』だというのだ。更に俺が勇者として選ばれたのは『異世界もののラノベを読んでただけ』だという。いや何だ、その理由! そんな奴、他にもいっぱいいるだろ! ふざけんな!


「ああっ、イライラするっ!!」


 つい、感情が言葉になって出てしまう。するとテーブルの向こうで、ツルツル頭で白ヒゲの長老がビクッと体を震わせた。


「ど、どうされたのですか、勇者様!?」

「あ、悪い。ちょっと考え事をしてたので……」

「そうですか。では話を続けさせて頂いてもよろしいですか?」

「ああ、うん。よろしく」


 そうだ。今、俺はこの町バルテアの長老から、世界の現状について聞かされていたのだった。ヤバい。ほとんど聞いてなかった。


「という訳で、この世界アストロフに復活した魔王のせいで、各地の魔物達の動きが活発になっているのです。バルテアの町近くにも多くの魔物が出現するようになってしまいました。勇者タクマ様、どうかこの町の近隣にいる魔物を退治してはくれませんでしょうか?」


 熱い眼差しを向けられるが、俺は目を逸らしてしまう。


「うん……まぁ……」


 どうにも、やる気が出ない。俺より他にずっと優れた勇者がいると分かった今、一体、どうやって自分を鼓舞すればいいのだろう。


「長老。もう一人の『天竜の勇者』だっけ? ソイツは此処に来てないの?」

「はい。タクマ様が初めて出会った勇者ですが」


 どうやらマサオミとは、スタート地点が違うらしい。何だよ。この魔物討伐もマサオミって奴がやってくれりゃよかったのに……。


 俺の気も知らず、長老はニコニコしながら荷物を手渡してきた。


「お使いください。革の鎧に棍棒でございます」


 受け取りながら、思う。


 ……何コレ、ぼっろ。


 よくよく思い返してみると、あの最果ての町にいた通行人達はみな高価そうな服や防具を身に着けていたように思う。


 俺はふてくされながら言う。


「ケッ。俺みたいなボロい勇者には、ボロい装備がお似合いってか」

「!! そんな!? せっかくあげたのに!?」


 長老がビックリしているが、現在、俺のテンションはダダ下がりなのだから仕方ない。


「こ、このような装備しかなくて、すみません。なにぶん、小さな町でして……」


 そして長老は話題を変えるように手を叩いた。


「おお、そうだ! 勇者様のお供をしたいと申す者がおりましてな!」

「仲間か。そうだな。百人くらい欲しいかな。俺、弱いから」

「ま、祭りじゃあるまいし、いくら何でもそんなにお供させられませんよ……おぉい! リネ! エリス!」


 呼ばれて部屋に入ってきたのは、神官のような格好をした茶髪でショートカットの背が小さい女の子と、黒いローブを羽織り、赤髪を後ろで一つに縛った活発そうな女性だった。


「この小さい方がリネ。背の高い方がエリス。二人は姉妹でしてな」


 リネが愛嬌のある顔で俺に笑いかける。


「初めまして、勇者様! 私、リネっていいます! 僧侶で、回復魔法が得意です! よろしくお願いしますっ!」

「アタシはエリス。火の魔法使いだ。よろしくな」


 エリスは少し男勝りっぽいが、整った顔立ちでなかなかの美人。またリネは目が大きく可愛い系の外見である。


 しかし、最果ての町で会ったあの人間離れした美貌の――そう、名前もよく覚えている――女騎士ローザ=ラストレイを見てしまった後では、何だか二人が駆け出しの三流アイドルに思えてしまうのであった。


 エリスが声を張り上げる。


「それじゃあ早速、町の外に行くか!」

「うん! スライムが結構、湧いちゃってるんだよね!」


 二人はやる気満々だが俺は憂鬱だった。


「スライムか。勝てるかな? 俺、全然能力ないから……」

「アンタ、勇者なのにすっげえ卑屈だな!? 勝てるだろ!! スライムくらい!!」

「そ、そうだよ!! 選ばれし勇者様なんでしょ!?」

「いや……選ばれし勇者っていうか、選ばれし虫けらっていうか……」

「!! 選ばれし虫けら!?」

 

 リネが吃驚していたが、エリスはカラカラと笑う。


「きっと謙遜してんだろ。心配いらねえよ、リネ」

「そっか! そうだよね! うん、じゃあ行こうよ、勇者様っ!」


 二人に急かされ、無理矢理、革の鎧を装着。手に棍棒を持たされた。


 そうして俺はスライム退治に行くことになったのである。





 町の外には地平線が見える程、広大な草原が広がっていた。草いきれの匂いで満ちた道なき道をしばらく進む。


 やがて、前方の草むらに何やらブヨブヨとした水色の物体が潜んでいることにリネが気付く。


「いたよ! 勇者様!」

「アレがスライムか……。実際、近くで見るとグロいな。こ、この棍棒で叩けばいいのか?」

「勇者様は戦闘するのは初めてなんだよな? ああ。棍棒で思い切り殴れば子供でも勝てる弱いモンスターだぜ」


 なるほど。じゃあ、いくら俺でも勝てるだろう。


 そう思って棍棒を持って、にじり寄る。だが俺に気付いたスライムは、唐突にジャンプして飛びかかってきた! 


「つおっ!?」


 そして棍棒を持っていない方の腕にくっついて離れない!


「う、腕に付いたァァァ!? 痛い痛い痛い痛い!!」


 体から酸でも出ているのだろうか。しみる! 何だか、すっごい、しみる!


「エリス! 火の呪文でやっつけてあげてっ!」

「ダメだ! 今、やったら勇者ごと燃えちまう! 待ってろ! 今、アタシが引っぺがしてやるから!」


 魔法使いエリスにスライムを引っぺがして貰う。その後、地面に投げ出されたスライムに、


「……ヒータ!」


 エリスが火の呪文を詠唱。手から出た炎でスライムを燃やしていた。


 初めての魔法に呆然としている俺を、リネがジッと眺めていることに気付く。


「ほ、本当に弱いんだね……! 勇者様……!」

「だから言っただろ。マジで弱いんだよ、俺は」

「さ、最初はこんなもんだって! なっ!」


 スライムを灰にしながらエリスが励ましてくる。その時、俺の体が妙な高揚感に包まれた。


「な、何だ、今の感じは? 体がフワッとしたような……!」

「あっ! ひょっとして勇者様、モンスターを倒してレベルが上がったんじゃないかな!」

「すげえじゃんか! 早速、水晶玉でステータスを見てみようぜ!」


 エリスが懐から水晶玉を取り出す。呪文を唱えると水晶玉にステータスが映し出された。皆、そろって水晶玉を眺める。




 磯谷拓馬いそがい たくま

 Lv2

 HP35 MP7

 攻撃力28 防御力25 素早さ19 魔力3 成長度2

 耐性 無し

 呪文 ラルラ

 特殊スキル 無し

 性格 普通




「ま、マジで能力値、低いな……! そこらへんの子供みたいだぜ……!」

「え、エリスっ! 声が大きいよ!」

「あっ! で、でも、すげえよ! 呪文、覚えてるじゃねえか!」


 ……む。本当だ。『ラルラ』? 前に見た時は呪文なんて覚えてなかったと思う。ひょっとして今のレベルアップで覚えたのか?


「なあ、エリス。ラルラって、攻撃呪文なのか?」

「いや移動呪文だな」

「……なんだ。移動呪文か」

「で、でも凄く便利だよ! 行ったことのある場所にアッと言う間に行けるし、それに戦闘中、敵から逃げることも出来るんだよ!」


 便利でも所詮、補助系の呪文じゃねえか。押し黙る俺に、エリスが精一杯明るい声を出す。


「さぁ、気を取り直してスライム狩りを始めようぜ!!」


 だが、俺は無言で近くの切り株まで歩き出した。


「お、おい? 勇者? どうしたんだよ?」


 切り株に腰掛けると、


「……集合」


 俺はリネとエリスを手招きした。しばらくの沈黙の後、俺は用件を切り出す。


「このパーティを……解散しようと思います」

「!! いきなりかよ!?」

「そ、そうだよ!! 私達、まだスライム一匹倒しただけだよ!?」

「これは俺の問題なんだ。今の俺の戦いぶりを見ただろ? スライム相手にギリギリだった」

「初めてだから仕方ないよ!」

「そうだって! レベルだって上がったし、これからもっと強くなるさ! 大器晩成なんて言葉もあるじゃねえか!」

「いや、この手を見てくれ。さっきスライムにやられた。見て分かるように、ちょっと溶けてる」

「だから何? こんなの、すぐに治せるからっ!」


 リネに回復呪文を唱えて貰う。暖かい光に包まれながらも俺は語り続ける。


「リネ。エリス。いいか。俺はお前達の為を思って言ってるんだ。スライムに溶かされちゃうような俺と一緒にいると、今後お前らに危害が及ぶだろう」

「だから、そんなこと、」


 言いかけたリネの前に手をかざして、言葉を止めた。


「じゃあもっとハッキリ言う。実は俺は神にも全く期待されてないんだ。天竜の勇者こそが本物。俺は偽者みたいなもんだ」

「に、偽者……? そ、そんなあ……!」

「だから、どうしてもお前らが世界を救いたいなら、その本当の勇者を見つけてだな……」


 言っている最中、リネが黙って黙ってプルプル震えていることに気付く。その後、


「うわああああああああああああああん!!」

「お、おい、リネ!?」


 突然、リネが泣き出した。エリスの制止を振り切り、一目散に地平線の向こうに走っていく。


 エリスと一緒に遠ざかるリネの背中を眺める。「はぁーあ」とエリスが溜め息を吐いた。


「な、なあ、エリス。どうしたんだ、リネは? いくら何でも、あんなに泣くことないだろ」

「いや……あのな。リネの奴、昔からずっとアンタに会えるのを楽しみにしてたんだよ」

「え?」

「バルテアの町には『魔王の魔の手が迫った時、勇者がこの町に現れて世界を救う』って伝承があってな。それをリネもアタシも小さい頃から聞かされてきたんだ。そして実際、アンタがやって来た……」

「なるほど。リネは俺に期待してたんだな。でも、まぁ早めに分かって良かったと思うよ。天竜の勇者を見つけて二人で仲間にして貰った方がお前らの為にもなる」


 するとエリスは少し悲しそうに笑った。


「アンタ、さっき解散って言ったけどさ。元々、私らって、ちゃんとした仲間じゃないんだよ」

「仲間じゃない? ど、どういうこと?」

「ぶっちゃけた話、リネもアタシも三流の僧侶と魔法使いだ。世界を救う勇者様と一緒に旅するなんて出来ねえのさ。アタシらは、この町の付近で勇者様が戦いに慣れるまでの『期間限定のお供』ってことだ」

「そーなのか……」

「まぁアタシだって憧れはするけどさ。『強くなって世界を救う』なんてお役目に……」


 エリスはちょっと照れくさそうに頭を掻いた。


「あっ。アタシだってアンタに会えるの、ちょっとは楽しみにしてたんだぜ? ホラ、結婚して子供出来たりしたら自慢出来るだろ? 『母ちゃん若い時、短い間だけど、勇者と一緒に冒険したんだ』ってさ!」


 何だか話を聞いている内に、胸が締め付けられるような気分になった。


 そっか。リネとエリスは、俺と似てるんだ。世界を救うなんて大役につけないモブキャラ……そんな感じか……。


 エリスは俺の肩を軽く叩いてくる。


「帰って長老に本当の勇者がいることを話せばいいよ。そして、しばらくバルテアの町でゆっくりして、これからの身の振り方でも考えな」

「そう……だな。だけどその前に、」


 俺は傍らに置いていた棍棒を取った。


「リネを探しに行こう。そして町の周りのスライムくらいは一掃してから帰ろう。手伝ってくれ」

「お? どうしんたんだよ? 急にやる気出して?」

「せっかく異世界に来たんだ。ちょっとくらい活躍しないとな」

「ははっ! その意気だよ!」


 だが、その時だった。


「きゃあああああああ!!」


 遠くの方で叫び声が聞こえた。間違いない。リネの声だ。


「ったく、リネの奴。スライムの群れにでも囲まれたのか?」


 余裕の表情で声の方に足を進めるエリスに付いていく。だが歩くにつれ、エリスの顔が青ざめていった。


「う、嘘……だろ……!」


 愕然として呟くエリスの視線の先を見て、息を呑む。三メートルはありそうな漆黒の怪物が腰を抜かしたリネの前に佇んでいる! ヤギのような頭部、耳まで裂けた口元からは鋭い牙を覗かせている!


「エリス!! 何だよ、アレ!?」

「デーモンだ!! でも、ありえねえ!! この地域に、こんな強力なモンスターが出るなんて!! こ、これも魔王の魔力のせいなのかよ!?」


 喋りながらエリスが駆け出す! 俺もどうにか後を追う!


「勇者! アタシがおとりになる! その隙にリネを助け出してくれ!」

「わ、分かった!」


 ジリジリとリネに迫っていたデーモンは、走ってくるエリスの方に視線を移した。


「ヒータ!」


 呪文の詠唱と共に、エリスの手から小さな炎がデーモンに向けて、ほとばしる!


 エリスがデーモンの気を引いている内に、俺はくずおれているリネの手を握った。


「こっちだ!」


 無我夢中で走り、安全な位置まで移動した後、エリスの様子を窺う。


 そして……俺は驚愕する。


 がくりと垂れたエリスの頭! 宙づりにされたように揺れる体! デーモンの拳がエリスの腹を貫通していた!


「いやああああああっ!!」

 

 リネが絶叫する。 声を聞いたデーモンが腕を『ぶん』と振ると、エリスは数メートル離れたこちらまで吹き飛んできた。


 おいおいおいおい、冗談だろ!! こういうシリアスなのは『本当の勇者』の展開だろ!! 何で弱っちい俺のとこに、こんなハードな展開がやってくるんだよ!!


 デーモンが俺達の方にゆっくりと歩んでくる!


 ど、どうする!? 戦うか!? い、いや無理だ!! 勝てる訳がない!!


「呪文……!」


 隣でリネがぼそりと呟いた。


「え?」

「移動呪文、使って! みんなでこの戦闘から逃げるの!!」


 そ、そうか!! だけど呪文の詠唱って、どうやるんだ!?


 目前まで迫ったデーモンを前にして、躊躇している暇はなかった。


 ――とにかく頼む!! 俺達全員を最初の町へ!!


 そう念じながら、


「ラルラ!!」


 俺は呪文の名前を叫ぶ! 途端、


「わわっ!」


 目の前の空間がぐにゃりと歪んで……俺は今までいた草原とは違う場所に立っていた。


 隣にはリネ。そして足下にはエリスが横たわっている。


「せ、成功……した? バルテアの町に戻って来たのか?」


 だがバルテアとは町並みが違うような……い、いや! 今はとにかく、


「エリス、エリスっ! 死なないでえっ!」


 リネがエリスを抱きかかえて叫んでいる。エリスの腹部からは血がドクドクと溢れていた。早く何とかしねえとエリスが死んじまう!


 俺は藁にもすがる思いで、近くを歩いていた鎧の戦士に声を掛ける。


「お願いだ! コイツを助けてくれ!」


 戦士がゆっくりと俺を振り返る。


「おや。アナタは……マスターではないか……」


 白銀の鎧に身を包んだ女戦士ローザ=ラストレイが、きょとんとした顔で俺を見詰めていた。

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