笹舟の文

「ああぁぁぁあああっっ!!??」

 朝日が射し込める魔女の家の中で寛いでいたユウが突如奇声を発した。

 いきなりどうした。煩いぞ。

「あの森の探索するの忘れてたぁぁあああああっ!!」

 ああ、そう言えば、ピアノに聴き入って、そのまま満足して帰って来て、寝てたな、さっきまで。

 まぁ、どうせあの老人が番人をしていた森――というか、その奥に繋がっていた山には《魔蜂》を住まわせる事は出来なかっただろうから、さして問題もない。

 私は欠伸をして朝の太陽に暖まる前の澄んで冷涼な空気を口に含んだ。

「かしこさん、他人事すぎませんかね!?」

「私はプレイヤーの動向に手出し出来ない管理AIだからな」

 不当な憤慨を向けてくるユウは無視するに限る。

「みぃぃぃぃっ」

 適当にあしらっておけば、ユウは勝手に鳴き始め、それでも相手にされないと分かれば、くいくいと体を引っ張って来るがそれも無視しておけば。

「みぃ」

 恨めしそうに低い声で最後の一鳴きをして、不貞腐れたユウは〈化け猫〉のアヴァターに変わり、床に転がった。

 私もこやつの扱いにすっかり慣れてしまったな。嘆かわしい事だ。

「紡岐さん、急に叫んでどしたー?」

 ユウがいじけて床で丸まっている所に、ゆらが呑気な調子でやって来た。ひょこひょこと尻尾の万年筆が揺れて、何処で踏んだのか、肉球の足跡がインクで床に続いている。

 その黒い足跡を見て、ユウが悲鳴を上げた。

「ゆらさん!? ゆらさん!? 足跡スタンプ付けないでくださいましっ!?」

「あ、やっちまった。ごめん、つむぎゅ」

 ゆらは軽く謝って、テーブルに上がり、四つの足を布巾で拭った。

「にゃーん……」

 次々と起こる惨事に、ユウはぺたんと耳を倒して項垂れた。

 その目の前に、ゆらがテーブルから飛び降りて、その拍子に尻尾の万年筆からインクが点々と飛び散った。

「……ニクェ」

 ユウが光の失われた眼を見せながら、悲しそうに低い声で魔女の箒を呼び出すと、《異端魔箒》は【ストレージ】から独りでに出てきてその身を光らせた。

 発光が収まったときには、ゆらが散らしたインクも、ゆらが押した足跡も、綺麗になくなっていた。心なしか、部屋の空気も清らかになったように思える。

「さすがつむぎゅ。ゆらさんが家を汚しても平気だな」

「できれば汚さないでくださいましなぁ」

 草臥くたびれた雑巾のように、ユウは背中を丸めてうじうじと床に顔を擦り付けた。

「つむぎゅが拗ねてしまった」

 ゆらは、ユウの背中に伸し掛かった。人間で言うと頭を撫でてるようなものなのだろうか。

 いや、こやつらどちらも、此処では猫の姿をしているが、現実では人間の筈だったな。何故こんなにも猫の仕草が板に付いているのか。

「ところでつむぎゅー宛に手紙が来てたよ」

「手紙です?」

 ユウはぐにゃりと背中を捻って振り返り、ゆらを見上げた。

 ゆらは【ストレージ】から其れを咥えて取り出し、ユウの鼻先にぽとりと落とす。

 其れは、笹の葉で折られた舟だった。

「うにゅ?」

 ユウが首を傾げる仕草に連動させて体を正位置に戻し、そのまま猫から猫耳の姿へと変化する。

 ゆらがその背中にぷらんと垂れ下がる。

 笹の葉の舟をユウが手に取ると、掌の中で其れは開いた。

 その葉の表面に文字が認められていた。

『紡岐さんへ

 これからログインして、そちらに伺います。

 うえののぱんだ』

 中身を確認して、ユウはやっぱりこてんと小首を傾げた。

「これ、ゆらさんのとこに届いたのです?」

「うちの目の前に光って出現したぞ」

「……なぜに?」

 はっきりとユウ宛なのに、ゆらの元へ現れたという手紙には、確かに不思議しかなかった。

「パンダ」

「パンダって書いてあるな」

 ユウとゆらが同じ事を言って顔を見合わせる。

「あのパンダさんですかね?」

「つむぎゅ、他にパンダの知り合いいるんか?」

「いません」

 二人して何とも不思議な会話を繰り広げていた。

 つまりは、共通の知り合いに心当たりがあると言う事だが、人を捕まえてパンダ呼ばわりはどうかと思う。

「ところで、つむぎゅ、この森にログインしたら迷子待ったなしじゃね?」

「あ」

 此処は、ユウのホームであり、元は《魔女》の家である。そして周囲は《魔女》が丹精込めて育て上げた《迷いの森》を取り込んだ《眞森》である。足を踏み込んだ者は、延々迷って外に連れて行かれる。

 それに今更気付いた現在の森の主は、いそいそと『うえののぱんだ』というプレイヤーを迎えに家を出たのだった。

 その足元に、万年筆の尾を揺らしてインクを飛ばすゆらを連れて。

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