価値観の相違

 結論から言えば、クロリスのいた森も《魔蜂》から拒否された。蜜源は多くて好ましいが、天敵がいないので《魔蜂》の繁殖で自滅の道を辿ってしまうのだ。

「このお姫様達、注文が多い……」

 母系社会の蜂の生態を比喩しながら、ユウはげんなりとしていた。

 一回二回駄目だったからと言って、やる気をなくすのが早すぎる。

 クロリスの森は、変わっていないと言えば変わっていなかったし、変わったと言えば変わっていた。森は静かで、落ち葉はさらに枯れて踏む度にぱらぱらと砕け、遠くで動物達の発する息遣いだけが、以前にはなかった。

 肩を落としていたユウは、敵の気配を感じて顔を上げる。

 フルールではなく、かつて《丸呑み》カーパックの体内に取り込まれていたのと同じ種類の生き物だ。

 ユウが体を光の粒と解き、【魔女】から【化け猫】へとアヴァターを切り替えた。

 途端に幼児と同じ位まで小さくなった体から、魔女の衣装が脱ぎ崩れ、畳まれないまま【ストレージ】に放り込まれた。

 猫耳と黒い尾を揺らし、茶屋の賄い娘に似た衣装を纏ったユウが、三日月の瞳を細める。

 木の梢が揺れ、レイビートルが三匹飛び出して来た。

 以前と変わらぬ景色の森で、以前と違って動物が敵意を持って襲って来る。

 此れが《カーパック》が侵入する前の本来の姿なのだろう。

「んー、なんでフルールでないのにこんなに好戦的なのか」

 ユウが問答無用に光の砲撃を仕掛けて来た甲虫に文句を垂れて、難なくその攻撃を避ける。

[光速の攻撃を避けおったぞ]

[発射口になってる角を見とけば割りといける]

[廃人プレイヤーレベルを当たり前のように言わないでください]

 ユウが軽やかに身を翻し、レイビートルの背後を取った。頭と胴の境目に爪を捩じ込み、捻る。

 自慢の外殻も意味を為さず、レイビートルは柔らかな節で分割された。

[手並みが鮮やかすぎるってばさ]

[レイビートル、レベル30近くでもビルドによっちゃ苦戦すんのにな]

[いやー、全くプレイの参考にならないわwww]

 酷い言われようだが、ユウは全く意に介さず、淡々と流れ作業でレイビートルを三匹共、撃退した。

「ん、なんかこのままだと環境破壊になりそうな気がするから、とっとと移動しよか」

 ユウはするりとまた【魔女】に変化して、魔女の箒に横座りした。

 するりと滑り台を逆回しにしたような滑らかさで、楡の柄の箒が高く高く昇って行く。

 やがて、辺りに広がり、途切れ、また塊になる森が幾つもユウの視界に納まった。

「レベル高いなら、HPも高いはずだよねー」

 ユウが右目を澄んだ柘榴色に変えた。

 地表の彼方此方で、簡易ステータスバーが乱立し、ユウが〈魔女の瞳〉を制御して、数値の低いものを非表示に変えていく。

[ちょ、ま、ボス探査してますけどw]

[強敵狙い討ち出来るとか、どんだけレベル上げとドロップ回収する気なの、遥ちゃん……]

[それやったら、プレイヤーにリンチに遭いそうだ]

 ユウの視界で、結局残ったのは三つだ。そのどれもが、HPバーが八段以上ある。

[こうして見ると、中身詰まったカーパックのHPってヤバかったんだな]

[セムがその場で殲滅を諦めたからな]

 ユウが一番近場の目標がいる谷へ魔女の箒を滑らせた。

 両側で森が崩落したようにも見える切り立った谷だ。その底に川が流れ、深く黄色い大地の壁がせせり立つ内側で草花が群生して連なっている。

 その谷のせせらぎの上で、ユウは魔女の箒に横座りしたまま滞空する。

「行ってらっしゃい」

 ユウが声を掛けると、【ストレージ】から《魔蜂》の群れが暗雲となって現れ、谷の中へと散開して行った。

[あれ、ここもしかして]

[ん? どした?]

[うわっ、やっぱり! 魔女の恋人様ちょっと待ってください!!]

「んにゃ?」

 何やら矢鱈と慌てたコメントに、ユウはこてんと首を倒した。

「おーい――」

 谷の上から、プレイヤーがやって来て、ユウに呼び掛ける。

 対してユウはそそくさと〈森想森理のローブ〉のフードを被り、顔を隠す。顔見知りとばかり会っていて忘れがちになるが、本来は人見知りが激しいのである。直せ。

[ぬあっ、フード被られると個人認識ができなくなる…。すみません、ユウさん、お話があります!]

 どうやら、手を振って来るプレイヤーとコメントの主は同じ人物らしい。

 そしてその後ろに、三十人程のプレイヤーの影が見える。

 ユウはコメントと其方を見比べて、人の多さに怯えて、尚更深くフードを被り直した。

[くっ…は、話を聞いてもらえないっ]

[いや、こっちで話せばよくね?]

[遥ちゃん、コメントは見てるよね?]

 ユウはこくこくと頷いた。

 遠目からではとても分からないジェスチャーだが、配信動画を通してなら、何とか意志疎通が計れる。

[じゃ、このまま聞いてくだしあ! ここのアーキタイプなんだけど、俺らのパーティで討伐しようって知り合いに声かけて、一週間前から準備して、今日初戦なんだよ! お願いだからアーキタイプを譲ってくださいどうかこの通り!!]

 谷の上で、先頭にいたプレイヤーが地面に跪いて、頭を擦り付けた。それに続き、団体の半数程が土下座に連なる。

 それに対して、フードに隠れて相手に見えないユウの顔が、恐ろしい物を見たかのように引き攣った。

「か、かしこ、どうしよう? どうすればいいの?」

 生来のコミュ障が、録画にも拾えないような小声でビビっている。

 いや、私に訊かないで自分で決めろ。

 私は顔を擦る位に縋り付いて来るユウを尾で叩き、離れるように促す。

[あー、まぁ、この魔女の恋人、そこらのアーキタイプならソロ撃破しそうだしな]

[え、アーキタイプって強いですよね? 強いですよね!?]

[つ《魔女ニクェ》を討伐したのはだぁれだ?]

[にゃんこと内緒話してるな。これは…荒れるぞ(ごくり)]

[ひぃいいいいいっ!!?? 平に、平にご容赦お願いしますっっっ!]

[あんたら、心にも思ってないことで初心者脅すの止めなさいよ]

 ユウがコメントにも答えず、うじうじと縮こまって背中を丸めていたら、《魔蜂》が帰って来た。

 その内の数十匹が、興味なのか警戒なのか、谷の上にいるプレイヤー達の側を経由している。

 その《魔蜂》に襲われないか、ユウの機嫌を損ねてないかと怯えている彼等がとても哀れで仕方ない。

 《魔蜂》が魔力交信で、ユウにこの谷の評価を伝えて来る。

 ユウはフードの陰からちらりと視線を覗かせ、谷の上のプレイヤーを見た。

[ひぃぃぃいいいっ!? 睨まれた!?]

「睨んでません!?」

 下手に視線を隠すから、睨まれたなんて勘違いを起こさせるのだ。

 ユウが徐に左手を肩の高さまで挙げて真っ直ぐに伸ばすと、《魔蜂》の群れが一斉に【ストレージ】へと飛び込んだ。

 その後に残った無音の空間に、魔女の箒がユウを運んで行く。

 そして、谷の上のプレイヤーと視線の高さが等しくなった位置で滞空した。

 フードに隠れて認識阻害の〈スキル〉に包まれたユウの口から、相手のプレイヤーへと言葉が流される。

「ここは、蜜源が少なくて《魔蜂》の生活には適さないようです」

 だから自分は関与しない、とまでしっかりと言えばいいのに、ユウはそこで言葉を切った。

 相手のプレイヤーも、恐らくは、とユウが端折った文意を予想しているが、あくまでも予想なのだと緊張した面持ちで黙っていた。

 しばしの沈黙が、ユウに少しの思考をする間を与えた。

「この谷の【アーキタイプ】はフルールではありませんよね?」

 その問い掛けは確認であり、次のユウが本当に訊きたい事へ繋ぐ為の呼び水だ。だから、ユウは相手の返事も待たず、直ぐに次の疑問を投げ掛ける。

「なんで、倒そうとするのですか?」

 相手のプレイヤーも、彼の後ろに並ぶ仲間達も、一様に虚を突かれた顔になった。

 ゲームに出て来るモンスターを倒して、高ランクのアイテムを入手する。普通のプレイヤーなら、欲求とも思わないような、当たり前の思考だ。

「生きているものを、殺されそうな場面でもなく、食べるためでもなく、生活の糧にする訳でもなく、殺すのですか?」

 それだけ告げて、ユウは相手に見えない瞳を閉じた。

 そして、反論が来る前に、空へ上がる。

「あなた達も、あなた達に襲われる《アーキタイプ》も、どうか怪我をしませんように」

 ぽつりと、そんな祈りを零して。

 ユウは、心からの願いを、 只言葉にしただけのつもりだった。

 だが、その言葉は、蛍のような淡い光の粒となって、谷へ、そして谷の上に立つプレイヤー達へ降り注いだ。

「あれ?」

 ユウが戸惑いの声を漏らすも、それはもうプレイヤー達には聞こえない高さにまで来ていた。

[なぁぁぁあああっ!? DEFが跳ね上がって、ATKが激減したぁぁぁあ!?]

[え、なに、呪われた?]

[あー、あれだ。遥ちゃんの〈言霊〉だ、たぶん]

[そういや、花の女神のクエストクリアした時にそんな〈スキル〉入手してたな]

[一番、この魔女の恋人に与えちゃいけなかったスキルな]

 ユウは、ピンと来てない顔でこてんと小首を傾げた。

 相変わらず、自分のステータスを把握しない奴だな。

「ま、いっか。これで誰も傷付かなくなるなら」

 ユウは自分の〈言霊〉の影響がプレイヤーだけでなく、谷の生き物全体に掛かっているのを感じて、そんな事を宣った。

 被害を受けた側からすると、随分と横暴な態度だが、それこそユウの知った事ではなかった。

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