大蛇との刀奏

 巧が走る、走る、走る。

 腐葉土に足を取られ、ずれる眼鏡をその度に直しながら、時に転んでもすぐに立ち上り、森を駆け抜ける。

《彷徨い子が眞森にきたの

 迷い迷って迷わされ

 深く深くへやってきた

 出口も知らずにやってきた》

 ユウの詩が《ブレス》を詠う。

 私はあくまで、ユウのサポートAIだ。システムメニューの通知はユウに対するものが配信される。

 その添音そおとに励まされながら、巧は止まりそうになる自分の足を叱咤する。

《彷徨い子を追いかける

 さみし甘え子ちらほらと

 あそぼあそぼと追いかける

 姿を見せずに追いかける

 あな、たれぞはふみしか

 彷徨い子は怖れに嘆き迷い迷って迷わされ

 眞森の内をひた走る》

 遠くで葉踏み鹿が柔土を踏み締める音が聞こえたような気がした。

 巧の前を走っていた悠が止まる。

 其処は、先日に巧が、猫の王子と犬の姫様の匂いを追って辿り着いた果てであり、悠がブラックドックに襲われて二人して拘束された場所らしい。

 野葡萄の実りが芳醇に薫る。密集した低木を這って、その蔦が周囲を占領していた。

《彷徨い子を見守るは

 風の囁き、葉の身動ぎ

 風虫そこかしこにて

 あやすよに

 唄い謳われ謡いたる

 啜り泣く子はその歌を

 やさしいつくし歌聞かず

 ひとりぼっちと泣きじゃくる》

 巧も悠も、切れた息を落ち着けるのに懸命だった。それだけ走り続けたのだ。

 それも束の間。

「――っし!」

 巧は無理矢理息を飲んで、意志で空気を求める肺を抑え付ける。

 【ストレージ】から、妖精犬のパピーウォーカーから譲り受けた肩掛けを取り出し、羽織る。

 すんすんと鼻を鳴らして、巧は一つ頷いた。

「わかります……ネコさんとイヌさんの匂い……それから、微かにフルールの匂い」

 〈絶対香感〉によって、巧は此の場に残っていた匂いがどのような人物のものか、はっきりと判別出来た。

「フルールに拐われたのです? 襲われたのではなくて?」

「血の匂いはしません。それに、ネコさんとイヌさんの匂いは、途切れてます」

 巧のもたらした情報に、悠は頭を悩ませる。

「匂いが途切れているとは?」

「ここ、たぶん二人が最後に立っていたところです。匂いが一番新しいので。でも、ここからどっちの方向にも匂いが続いてないのです」

 それは、単純に持ち運ばれた訳ではないと言う事だ。

[ケージにでも入れられたか?]

[それなら、わん娘がわかるだろ]

[【ストレージ】か、それに類するものに閉じ込められた?]

[もしくは、こないだのカーパックみたいなフルールに飲み込まれたとか?]

 私は、巧達に視聴者の推測を伝えた。

 巧は、少しでも手掛かりが掴めればと、地面に這って、残り香を探る。

「どうですか?」

「フルールの匂いは続いてます。あちら、に?」

 地面から顔を上げ、匂いの続く方向を指差した巧が、言葉を詰まらせた。

 悠が其方へ視線を向け、即座に刀の鯉口を切る。

 二人の視線の先で、大蛇のフルールが赤い目をぎらつかせ、舌を出し入れしていた。

「ひぎゃああああ!?」

 巧が、とても女性らしくない悲鳴を上げる。

 それを会戦の合図として、大蛇と悠が同時に動いた。

[二条、もうちょっとかわいい悲鳴あげなさいな]

[ちょ、店主見てんのか、余裕あるな]

 ユウが茶々を入れるも、巧はそれに応じる余裕はなかった。

 臆病に地面に丸まって、頭を低くしている。

 まぁ、このわん娘が戦闘で役に立たないのは分かり切っていた事だ。

 だからこそ、悠は此処にいるのだから。

 抜刀。羽織の袖が剣閃を追って翻る。

 その刀身が、悠を押し潰そうと振り下ろされた大蛇の頭を弾いた。

 反動で、悠が二歩、後退あとずさる。

 再度、大蛇が身をしならせた。鞭のように、図太い胴が風を切り、悠を打ち据えんとする。

 悠は柄尻を大蛇の胴にぶつけて、直接の衝撃を相殺し、消し切れなかった衝撃は地面を転がり逃がす。

「重い、ですね」

 梔子柄の羽織に何枚も落ち葉を付けて起き上がった悠の左手には、硝子製の扇が握られていた。

《曲想を羽成す刻》

 悠が《ブレス》の宣言をしつつ、《曲想を羽成す刻》を開く。

 しゃらしゃらと鳴きながら開く《曲想を羽成す刻》は、悠の掌で回り、羽を一枚ずつ散らし、悠の周囲に浮かべる。

 一枚一枚が悠の身長と同じ大きさに変わり、浮遊する姿はオーディオモード、この演奏系《ブレス》の真の姿だ。

 その展開は、大蛇が三度首をもたげ、振り下ろす前に間に合った。

 身を鞭としならせ、頭を槌と叩き付けるその一撃は、《曲想を羽成す刻》にぶつかり、押し留められる。

 アイテム型の《ブレス》や《リリック》は、その物品自体がそう簡単に壊れない強度を持つ。それを頼りにした障壁の代用だ。

 悠は、この余裕が出来た時間で、右手を刀から離して振り、痺れを取る。そして、静かに深く、長く、息を吐いていく。

「行きますよ」

 悠が刀を両手で握り直し、切っ先を真っ直ぐ天に向け、頭上に掲げる。上段の構えだ。

 《曲想の羽成す刻》が、演奏を始める。和太鼓の響きが森の大気を奮わせ静寂を破り、三味線と琴の調べが悠の心を昂らせる。

 悠は、大蛇がぶつかっていた《曲想を羽成す刻》を少しずらし、開いた隙間に刀を振り下ろした。

 大蛇の鱗に触れて鋼が甲高い音を鳴らし、大蛇は鱗で刃を滑らせてくねりながら斬撃から逃れる。

 悠は下ろした刃を地面に当たる直前で止め、手元を腰の高さに維持したままに、大蛇へ踏み込んだ。

 逆袈裟に刃が払われた。だが、やはり大蛇の鱗で滑る。

 構わず、悠はさらに一歩踏み込み、右肩から大蛇の頭部へ突進する。

 大蛇がよろめく。しかし、胴体全てが肢であるのが、蛇だ。頭だけが退いても、続く身体が踏ん張り体勢を崩さない。

 逆に反動を付けて、大蛇は頭槌を悠に振るった。

 《曲想を羽成す刻》を辛うじて差し込んで、悠がその一撃を防ぐ。激しい太鼓の律動が、懸命に大蛇を押し返そうと動悸する。

[一対一じゃ厳しそうだな]

[……でも、そこで木の陰に隠れてるわん娘は戦力外だしな]

[手数足りねー]

[悠さん、悠さん、《曲想を羽成す刻》を攻撃に使ったらどうです?]

〔〈バーサス・プレイ・タイプ:化け猫〉が4レベルになりました〕

〔〈スキル:アヤカシ〉が2レベルになりました〕

 ユウが動画へのコメントを通して、悠に助言する。レベルが上がる程に激しい戦闘をしながら、良くまぁ、此方の状況を見て口を挟む余裕があるものだ。

「悠、ユウが《曲想を羽成す刻》を攻撃にも使えと言っている」

 悠は大蛇から目を反らせず、とてもコメント欄を覗き見る余裕はなさそうなので、私から彼女へ伝えた。

 悠はちらと此方を見て、僅かに頷いた。

「やってみます!」

 悠は下段に構えていた刀を、大きく回して遠心力を付け、袈裟斬りに振るう。

 大蛇はその刀身をするりと逃れた。

 だが、その直後、二枚の《曲想を羽成す刻》の羽が、鋭角を大蛇に向けて、その額へ、目へ、突撃した。

 大蛇の反撃が、その連撃によって削がれる。

 流れが、悠に傾いた。

 大蛇の頭が転がり、下顎が悠に向かって露になる。

 悠が刀を肩の高さまで持ち上げ、刀身を逆さに返し、刺突の体勢を取る。霞の構えと呼ばれるものだ。

 悠が踏み込みと同時に、構えで捻った体の発条を弾き、跳ぶ。

 蛇の下顎は、大きな獲物を丸呑みする為に、繋がっていない。額や頭頂部では、頭蓋骨の硬さと丸みで受け流されるが、骨がないなら、話は変わってくる。

 悠の突きは、鱗の隙間に巧く差し込まれ、大蛇の下顎深くまで食い込んだ。

 しかし、刃は大蛇の筋肉に掴まえられ、抜けなくなってしまった。

 痛みに叫ぶ大蛇が頭をもたげると、刀を握る悠は宙ぶらりになる。

 このまま大蛇が頭を降ろせば、悠はその巨体と重量に潰されるだろう。

 悠が大蛇の顎に向けて、掌を開いた。

 悠の背後から、三味線が掻き鳴らされる音色が連なり迫る。《曲想を羽成す刻》が七枚、次々と大蛇の顎へ衝突していく。

 衝撃が大蛇を打ちのめし、振動で刀が揺れて筋肉の万力からずるり、ずるりと滑り出す。

 刃が大蛇の傷から解放され、悠が自由落下を始める。

 鉄紺の袴が刹那、重力の束縛から外れて翻り、しかし垣間見えたブーツは、すぐに新緑の硝子を踏んで、降ってきた袴の裾に隠れた。

 足場があれば踏ん張りが利き、脚力を斬撃に伝えられる。

「こんなところで、もたついてなんか」

 悠が深く膝を落とし、刀を足場にした《曲想を羽成す刻》よりも下げながら振り回す。

「られないん、です、よっ!」

 言葉の一つ一つを裂帛とし、悠は足のさらに下から掬い上げるように、全身の跳躍を刀身に集約させて斬り上げる。

 竜巻の挙動にも似た旋回の一閃は、狙い過たずに、既に開いていた大蛇の顎の傷を抉り、千切り、嬲る。

 勢いに呑まれて、大蛇の体が渦巻きながら吹き飛び、何度か地面を跳ねて、殴打の追撃も受けた。

 悠が地面に足を降ろして息を荒くしつつ睨む先で、大蛇のフルールは遂に光の粒になって崩れた。

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