託した願い
翌日、『コミュト』に夜も深まった頃、ユウは身を捩って落ち葉を掻き乱した。大樹の根元の、子猫の体なら四、五匹はすっぽりと納まる所だ。
その中でユウは転がって仰向けになり腹の白い毛を晒し、背中の黒い毛に落ち葉を何枚かくっ付けた。
それから、ぱちりを目を開けて、夜空に向かって投げ出していた四本の足を、勢い付けて地面に倒し、横向きになる。
私は、ぼーっと視覚が定まっていないユウを真向かいから見ながら、配信を開始する。
暫くして。
ユウが前足を顔に寄せて、撫でるように毛繕いを始めた。生まれながら猫であったと言われても疑問に思わない程に自然に、その前足の甲を舌でざりざりと舐め取る。
[遥ちゃん……身も心もネコになってしまって……]
[元から猫みたいに気まぐれだがな?]
[そうか? つむーは、従順なイヌじゃね?]
[それはセムさんに対してだけかと思います]
流れてくるコメントに気付かないまま、ユウは体を折り曲げて後ろ足の間も舌で舐め、背中もグルーミングし、左前足の肉球をペロペロと舐めているところで、唐突に動きを止めた。
「……え、もしかしてもう配信されてる?」
[ばっちり]
[あられもない姿が]
[全国報道です]
「うなぁ!? 早く教えてくださいよっ!?」
いや、自分で気付け。
この無頓着には、溜め息が出るのも致し方あるまい。
ユウは誤魔化すように、化け猫の人型に姿を変えて、ちょこんと根の間に座り込んだ。
「さ、さぁ、二条が来ないと迷子は探せないしなー、どうしよっかなー」
あからさまに話題を反らしたな。
「そんなに呑気にしてらりんせん」
不意に、頭上から声が降ってきた。見上げれば、第一衛星『パル』の白い光と第四衛星『エクリェイル』の紫電を背にして、二又の尾のシルエットが揺れている。
「双緒太夫、なにかあったの?」
相手が《化け猫》だからか、ユウは不意に現れても動じずに受け答えする。
双緒太夫の真ん丸と満月に似た瞳がきらりと尖る。深刻な様子だ。
「犬共が、総攻撃を仕掛けてきもうした」
続いた言葉は、余りにも不穏だった。
ユウも息を呑む。
「こんなに急に!?」
「もう前線ではぶつかってこざりんす」
双緒太夫が地面に姿勢良く降り立った。二又の尾が、ユウに着いて来いと招く。
風を切り、森の木々を抜けて、遠くで激しい恫喝と咆哮が聞こえてきた。
「これはやっばいかもなー」
いつの間にか、妖すの未言未子がユウの頭に乗っていた。
いつもの軽口のようで、しかし悩ましく顔を引き締めている。
双緒太夫が、木の幹を蹴って登り、ユウも猫の姿に化けて後を追う。少しでも見付かり
まだ見通しの利く大木の樹冠から見渡せば、其処此処で、数匹のクー・シーが一つのチームとなって、ケット・シーを追い立てているのが、『エクリェイル』の雷光で浮かび上がった。
互いに唸り声を上げて、まるで森の中を稲妻が駆け回っているようである。
「うわ、うわっ、マジ」
血の匂いも嗅ぎ取れて、ユウは顔を青褪めている。
今はまだ怪我で済んでいるようだが、遠からず死者が出てしまう惨状だ。
そんなものを、許すユウではないのだが。
《たれもかもひとしきものよ
すべからく眞森いだきて
ひとりのいのち》
森をユウの魔力が侵略する。
森が軋み、腐葉土が捲れ、破茶滅茶な分布で木々が成長と枯死を繰り返す。
妖精犬も猫の妖精も、別け隔てなく《眞森》に呑み込まれて孤立していく。
[お、眞森はいけるんか]
[MP消費だからかな]
全てを迷子に変えたまではいいものの、ユウの額には脂汗が浮かぶ。【魔女】と違い、MPが極端に潤沢な訳ではない。
当然、大規模な《眞森》にも綻びが生じるし、さらには相手は感覚の鋭敏な獣達だ。
『エクリェイル』の雷光が空を焦がした瞬間に、ユウは、ひゅっ、と息を無理に吸い込み、大木から落ちる。
木の天辺が雷に焼かれた。
「嗅ぎ付かれた……!」
ブラックドック。焚き火のような赤い瞳に、夜に溶け込む漆黒の毛並み、
死の先触れ、墓守り、雷と共に降り死者の喉を食い破る者。
『エクリェイル』の迸る稲光を後光にして、不吉の象徴が牙を剥いて、大木の梢を蹴り焦がしユウに向かって来る。
「にっ!」
ユウが猫から人型へ化ける。
振るわれた爪はその空間を引っ掻き、裂傷を刻む。
だが、ブラックドックはそれを寸での所で避け、毛先だけを散らして迫る。
けたたましい咆哮が、雷となって空気を破裂させた。
鼓膜を破ろうとする音に顔を顰めつつ、ユウは雷を掌で受け流した。
その間にも、《眞森》が段々と縮小していく。
「わっちの魔力も使いなんし」
見兼ねた双緒太夫が、尾を振ってユウに魔力を分け与えた。
ユウの呼吸が少しばかり軽くなり、《眞森》が拡大に転じる。
ユウは地面に激突し、落ち葉を宙に舞わせた。
構わず、ブラックドックが突っ込んで来る。
雷が、辺り一帯を見境なく焼いた。
「残念でした。妖されたよ、きみ」
ブラックドックの背に、人を食ったような声で笑う妖すが腰掛けていた。
落ち葉に紛れていた団栗が芽吹き、急成長する。
窓のない球体となった樹牢が、ブラックドックを封印せしめた。
「はぁ、はぁ、はぁっ――」
ユウが息を切らしながら、魔力を切らさないように、気を張る。
双緒太夫から与えられる魔力と、持ち前のMPポーションと、合わせればどれだけ時間が稼げるか。
「二条、がっ、来てくれれば……」
そう、それだけでは時間を稼ぐしか――浪費するしか出来ない。
この戦場を鎮静化するには、ユウ以外の手が必要だ。
ユウがそう望み、意識を向けたからか。
光の粒が二つの柱を作り、人の姿を成していく。
「店主様ー! ご無事ですかー!」
「紡岐さん、すみません、遅くなりました!」
現れた二人のプレイヤーを見て、ユウは弱々しくも笑った。
良かったと、気持ちを少し落ち着ける。
「二条、悠さん……あぁ、これで、まだ希望が繋がりますね」
ユウの右手首に、双緒太夫が尾を絡めた。直接接触ならば、魔力も効率良く譲渡出来、またユウの行っている《眞森》の制御も僅かばかり肩代わり出来る。具体的には、話をする位には。
「二条」
「はいっ、店主様っ」
背の低いユウが下から手を上げて、巧の手を、指を絡めて握る。願いと誓いを交わす為に。
「ここは、わたしが止める。だから、あなたは、かしこと悠さんと一緒に猫の王子と犬の姫様を探すのよ」
「そんな、店主様を一人にするなんてっ!?」
『パル』の白い光が、雲の切れ目から差し影を、ユウの顔に零した。
何時になく、真剣で揺るぎない瞳が、
「一人じゃないし。双緒太夫も妖すもいるし、他の未言達もいる。それでも、探すのは二条の桜、あなたにしかできないのよ」
ユウは揺るがぬ信念で、巧に決意を促す。全てを託すと、目で伝える。
巧が、ユウの繋いでいない左手の甲で眼鏡を上げて、涙の粒を拭った。
「はいっ」
巧はそれしか言えず、ユウはその返事だけで満足だった。
「かしこ、お願いね。これ以外に方法はないから」
「奇抜な発想をするものだ、キミは」
内心、ユウの計略に舌を巻いて、私は巧の肩に乗った。
いつものユウと同じ位置に乗られて、巧がほんの少し場違いに嬉しさを表情に覗かせた。
「行きましょう。一刻も早く見付けないと」
「わたしと双緒太夫が、魔力使いきって干からびちゃう前にお願いね」
ユウと悠が、反対方向に背を向けて、巧の行動を急き立てる。
「あ、あ、店主様、ぼく、ぜったい見つけますから!」
何とかそれだけ言って、巧は悠の背中を追った。
ユウがそんな巧に向かって、振り返りもせずに後ろ手を、何時までも振っているのを見ていたのは、私だけだった。
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