フォースプレイ ネコイヌ大戦

わん娘強襲

 朝日が普ねく眞森を、ユウはゆったりと散歩していた。

 今日はセムもキャロも別行動で、悠がログインするのにもまだ時間が早い。

 ユウは元からのんびりと、ぼんやりと生きるのが好きな性格だから、此れ幸いとスローライフを楽しんでいる。

「んー、なにもすることがないって、さいっこー」

[まぁ、遥ちゃん、ログインから三日でボスを四体も相手してるからねぇ]

[オレなんか、まだまだザコ狩りしかしてないぜ。あー、ドロップがしょぼい……]

[この動画で出て来るのに比べたら、大抵のドロップ品はしょぼいわな]

 ユウもかなり高ランクのフルールを相手にしているし、RACが異常な数値を示しているセムが一緒にいるお蔭で、平然とレアドロップが連続している。

 本当に、ベータテスターとユウは一般常識をことごとく凌駕してくれる。

「あ、ミツバチ」

 ユウの声に従って、脇目を振れば、群れ咲くコスモスの周りを、小さな点が幾つも飛び交っていた。

 大きくて目に付くスズメバチ等と違って、蜜蜂は遠目だと舞い上がった土や塵にも見間違えそうになる。

「いーなー。蜂蜜ほしーなー。あー、でも、メープルシロップのがすきー」

 ユウは純粋に甘ければ甘い程、喜びを感じる味覚をしている。

 逆に酸味は極端に嫌うので、確か蜂蜜でも安い物は口に合わなかった筈だ。

 まぁ、生クリームを与えておけば、際限なく喜ぶので、不機嫌を直すのに手間は掛からないが。

「でも、ミツバチって、本気出すとスズメバチ蒸し殺せるんだよね」

 そして、脈絡なくではないが、常識ではない連想で以て、さらりと黒い雑学を披露する。

「ねぇねぇ、かしこ。ミツバチのフルール倒したら、蜂蜜手に入る?」

「ああ、ドロップする可能性はあるな」

 私が問い掛けに答えると、ユウは視線を眞森の梢に向けた。しかし、風虫揺れるその枝先は、ユウの意識に入ってなく、只々蜂蜜の甘さとそれを手に入れる妄想にばかりその脳は使われている。

 だから、だろうか。

 ユウは空から落ちてくるその人物への対応が、決定的に遅かった。

「てんしゅさまぁぁぁああああ――」

 彼女は、遠くからドップラー効果で呼び声をたゆませながら、地面へいるユウへ迫って来た。

「……は?」

 ぼけっと妄想の甘味に浸っていたユウは、その声がはっきり聞こえる程に、そしてその人物の頭に生えた犬耳のシルエットが見える位に接近してからだった。

 残念ながら、ユウにはその落下速度に対して身構えるだけのAGIもSPEもなく。

「ぐなぁうっ!?」

 落下の衝撃を丸ごとぶつけられて抱き着かれ、そのまま二人して揉みくちゃになって地面を転がって、大木の幹に激突した。

「店主様っ、店主様っ、店主様ぁっ! ぼくもやっと会えましたー!」

 そのわん娘は、落下の衝撃も、地面を転がった衝撃も、大木に激突した衝撃も物ともせず、ぶんぶんと大きな尻尾を振ってユウにしがみついていた。

 まぁ、実際のところ、衝撃は全て目を回し現在進行形で脳を揺さぶられているユウが咄嗟に受け止めたのだが。

 気絶するにも気絶も出来ず、ユウはわん娘になされるがまま、がくがくと歓喜のじゃれ付きを受けている。

 やがて、ユウがダメージから快復し。

「犬はキライだって言ってるでしょーがー!」

 珍しく怒号を上げて、わん娘の頭を両手で掴み、上下に揺らして黙らせた。


 さて、大した理由ではないが、ユウが犬を苦手とするのには訳がある。

 小学一年の春休み、家の掃除の為に母親から妹と共に外へ放り出されたユウは、近所の公園に向かった。

 その側には、ハスキー犬を道路の直ぐ横で鎖に繋いだ家があった。

 ユウの妹は、何の気なしにハスキー犬に近付き、ユウは咄嗟に妹を庇った。

 その結果。

 生後一年に満たないが成犬の体重と体格を持ち、まだ甘えが残っていたハスキー犬は、小さな小学一年生に飛び付き、頭を齧った。

 その小学生の頭部の皮が捲れ、血が流れ落ちアスファルトを染めるという惨劇が起きた。

 ユウはその場でも、十七針縫った手術中も、そして事件が落ち着いてからも、ぼんやりと他人事のように惚けていた。

 のだが。

 それはやはり、幼心に恐怖として今日まで残り、テレビの中なら可愛いと思えても、現実では小型犬の鳴き声を聞くだけで泣き出しそうになる程のトラウマとなっていた。

 言うまでもないが、ユウが絶叫し掛けるのは、犬の鳴き声を聞いた時と犬に飛び掛かられた時だ。

 つまり、わん娘がやらかした事は、ユウにとって最悪の恐怖だったと言うのだ。

 結果として。

 ユウが目泉を溢れさせて瞳を潤ませ、びくびくと震えながら、正座させたわん娘に説教をすると言う奇妙な構図が出来上がった。

「いい、二条!? わたしは犬がだめなんだから、飛び付くの禁止!」

「くぅん……」

 わん娘、もとい、桜染おうせたくみは、しょんぼりと耳を伏せて反省の態度を見せつつ、上目遣いでユウを見る。

「うっ……」

 そしてその健気さに、ユウはあっさりと胸を痛めた。

[あいっかわらず、ちょろいぞ、魔女の恋人]

[レズ成分多いなー。男子がんばんなよー]

[くっ、俺にも出逢いがあれば]

[無理だな(ヾノ・∀・`)]

[吹き飛ばされるぞ]

[未言巫女にフルボッコだな]

[運営に通報しますた]

[や、やめろー! 俺は無実だー!]

 コメント欄は今日も平和だな。連行ごっこをしているアカウントは、エリア担当に共有しておこう。

 ユウには近付けさせん。

「むぅ」

 数秒見詰められただけで、ユウの怒りと恐れは鳴りを潜めて、わしゃわしゃと巧の癖毛を耳ごと撫で回す。

「にゃぁん♪」

 巧が気持ち良さそうに猫の鳴き真似をすると、ユウの両手は巧のほっぺへ移動し、むにりと抓み引っ張った。

「二条、あなたは、わん娘、犬なのよ。犬はにゃあなんて鳴かないのよ」

「にゃぅーん」

「うっ」

 巧が悲しげに一鳴きすると、ユウは自分の胸を押さえ付けて埋まった。

 好みへのダイレクトアタックに呆気なく陥落している。

[ち、ちょろいなー]

[ツボが分かりやすすぎる]

[《魔女》とは真逆な性格だけどな]

[【好みが両極端】なかなかやろうと思って狙えない性格がタイプか【パンピーはお呼びじゃない】]

[俺らに希望はないのかっ!]

[ねぇよ、諦めろ。消されるぞ]

[魔女のお焚き上げ]

[管理者からアカバン]

[天使の光で消してあげよっか?]

[周囲の過保護がやばい件について]

 失礼な。少なくとも私はそんなに過保護ではないぞ。

「で、なんで二条は犬耳なのよ」

「バーサスタイプ? に、〈化生〉を選びました!」

 どうにも話が進まないので、ユウから事情聴取が始まった。

 〈化生〉とは、妖怪変化の種族を表現する【バーサス・プレイ・タイプ】であり、相手を惑わしたり元の存在に基づく特殊能力を発揮したりする。

 犬の〈化生〉は、鋭敏な感覚から探索活動が得意で、化かし系の〈スキル〉も多い。

「いや、そうじゃなくてだな。なんでわざわざ犬を選んだし」

「だって、店主様がいつもわん娘って言ってくださるので、この見た目ならすぐぼくに気づいてもらえるかなって」

「む」

 普段の言動を愚直に頼ったいじらしさに、ユウの心がぐらりと揺れた。

 まぁ、元から可愛がっているのだ。

「まぁ、そうね。わかりやすかったわ」

 こうして、直ぐ様その姿を受け入れるのは、目に見えていた。

 これは蛇足だが。二人はVRシステムの、リアルな顔見知りならどんなにアヴァターが変化しても個人を判断出来るという仕様には、一切考えが及ばなかった。

「でもでも。仮想現実でも、店主様にこうして会えて嬉しいです」

「まぁ、わたしも二条には一度会いたいとは思ってたけど」

 恥ずかしさを隠す為に、ユウは少し不貞腐れた態度を見せて頬を膨らませる。

 目の前の従順なわん娘みたいに素直に喜べばいいものを。

「あっ、あっ、ぼく、店主様にいただいた《花晴れ》の《ブレス》をゲットしたんですよっ」

「わかった! わかったから、落ち着きなさい、ぐりぐりしないの!」

 わん娘に頭を腹に擦り付けられて、ユウが悲鳴を上げた。スキンシップに慣れてないと、女子社会で生きるのは大変そうだ。

「とりあえず、フレンド登録したから! いつでも会えるから」

「おおおおありがとうございますっ!」

 大した事ではないのに、感激し過ぎて、巧は得体の知れない声を上げた。そんなに慌てて了承ボタンを押さなくても、フレンド登録は逃げないと言うに。

「とりあえず、巧を連れてマップに出たらどうだ?」

 私は収拾が付かない二人に憐れみを抱きつつ、普通の先輩プレイヤーが新参プレイヤーにまず提案するだろう段取りを掲示した。

 ユウがちらりと巧の顔を見ると、巧は首が取れんばかりに何度も頷いている。

 はぁ。また世話の焼けるのが増えてしまった。

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